ものごとの「いい面だけ」を見る

ものごとのいい面を見よう、見つけようと思う。これはコピーライター養成講座中村組でも自分の体験談(電通に途中入社した頃の失敗談)として話していることなんですが、なっかなか習慣化できない。ついつい悪いほうに目が行って、ダークサイドにひきずられてしまう。世の中、悪いこともあればいいこともある。でも今年は意識的に「いい面だけ」を見よう、見て行こう、見つけよう、と思います。

イヤなことがあったとき、そのことに「時間」と「心」を占領されてしまう。そんなときは師匠である仲畑貴志さんのエーザイ・チョコラBBのコピー「世の中、バカが多くて疲れません?」を思い出して、イヤなこと、イヤな人のことを忘れるようにしてきました。最近それより効きそうな言葉を無理やりつくりました。「ああ、可哀そうに」と思うようにしてみる。イヤらしいですが、そのイヤなヤツが地獄にでも落ちるかのような想像をしてみます。想像だけならいいでしょ?そうやって自分の記憶の中から消すことで自分がラクになるんだったらいいと思ったんです。ある人から酷いことをされる、ムカツクことをされる。そんなとき、そんなヤツはゼッタイ幸せにはなれない、と決め付けるのです。「ああ、可哀そうに」と。それでそのことを記憶から消してしまう。

要するに、イヤなことはすぐに忘れたいんです。そんなことに「時間」と「心」を占領されているヒマはもう、ないんです。ボクはこれからの人生、ハッピーでありたい。そのために、無理やりにでもマイナスの記憶はすぐ消したい。

昔、コピーライターの眞木準さんに「面白いよ」と教えてもらった小説『摩天楼の身代金』の中に、主人公があることをいとも簡単に自分の記憶から忘れ去るシーンがあって。その言い回しがすごくステキだった。ステキだったのは憶えているんですが、正確には憶えていない。たしか、「まばたきをするくらい簡単に記憶から消した」みたいな言い回しでした。そんなふうに忘れよう、と。

作戦を思いつきました。今年2013年の、1日1ページのぶ厚い手帳に毎日「今日のうれしかったこと」を一行書いていく。どんな些細なことでも、どんなショーモナイことでも、自分がうれしいと思ったことを思い出して書いていく。そうすると、今年が終わるころ振り返ると、めっちゃ幸せな1年が思い出せるんじゃないかと。まあどうなるかわかりませんが、とりあえず始めてみます。

12月28日に書いた、栗原はるみさんとマザー・テレサさんの言葉を実践してみます。
http://baccano21.wordpress.com/2012/12/28/
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暮らしの中でちょっとした幸せを
見つけ出す努力をしないと
人は幸せを忘れてしまうんじゃないかしら

栗原はるみ
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当たり前と思っていたことが
当たり前じゃないことに気づいて
「ありがたい」と思う

マザー・テレサ
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ものごとの「いい面だけ」を見る」への3件のフィードバック

  1. 嫌なお得意とか出てくるとすぐ顔に出てしまい苦労している次第です。以前、銀座のクラブの女性に聞いたことがあるんです。「生理的にも受け付けない人についた場合どうするの?」って。その時に彼女は「見た目も話もが嫌な人でもきっといいところがあると探し続けるの」といいました。それを聞いて自分の浅はかさを感じずにはいられず情けなくなったことを覚えています。禎さんのこのブログを読んで、再度引き締めてさせられた今日この頃です。

    • ミヤカワくん、ボクも同じですよ。イヤな人と接するとすぐ顔に出る。それは素直な反応だと思っています。その人のいい所を見つけるのは難しいし、なかなかできないよねぇ。ボクが「やだな」と思ってる人も、ボクのことを「やだな」と思っているだろうから、お互いのために会わなければいいと思います。ボクのいう「いい面を見る」というのは、そんなイヤな人を忘れて他のいい人を探す、ということなんですね。

  2. ピンバック: 1月の目次 | ぶ厚い手帳:コピーライター中村禎の場合

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