母の馬力を、なんとかしたい。

母の馬力CM

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母の馬力を、なんとかしたい。

ミセスの求人ページ、できました。とらばーゆ

1986年 とらばーゆ
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この仕事のプレゼンは、いつもの編集長だけでなく、リクルート本社の役員の方々にプレゼンすることになっていました。朝まで演出コンテを描いていた今村カントクはタクシーで新橋とらばーゆのビルに向かっていました。現地集合でロビーに集まったとき、「あ!」 なんと、今村カントクはタクシーの中に演出コンテを忘れてしまったのでした。役員をお待たせすることはできない…。会議室は一瞬まずい空気になりました。そこで今村カントクは覚悟を決めてホワイトボードの前に立ちました。「イタリアの田舎の田園風景を思い浮かべて下さい」といいながら、地平線を描き始めました。演出コンテをホワイトボードに描いて行くのです。1カットずつ丁寧にト書きをしゃべりながら描いて行く。演出コンテは頭の中に入っているから、完璧です。コピーした紙を配って見てもらうより、みんながホワイトボードに集中しているので、結果的にそのほうが何倍もわかりやすい演出コンテとなりました。

母の馬力2

「母の馬力を、なんとかしたい。」というコピーを考えていたとき。サン・アドへ通う大手町の地下鉄の階段で若いお母さんを見かけました。右腕に赤ちゃんを抱っこし、左手に紙袋をいくつも持って、階段を上って行く。母は強しだな、と思うと同時に、階段の下からその姿を見ながら「母の馬力をなんとかしたい。ミセスの求人ページ、できました。とらばーゆ」と頭の中でコピーをつぶやいてみました。よし、いける。このコピー、大丈夫だ、と思ったことを憶えています。(CMは「馬力を」なんとかしたい、とし、ポスターは連貼りだったので「馬力も」としました)

この頃の仕事は、不安と試行錯誤の連続でした。クリエーティブ・ディレクターとコピーライターというポジションを任されたことはプレッシャーでもありましたが、不安だったからこそ、いろんなことを記憶している。今思うと、悩んだことすべてが自分の血や肉になったのではないかと思います。


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