すりばちの底に落ちこんだアリ

湯の島館春慶塗の離れ

下呂温泉にて②

私どもも、その「山の中腹の古風な宿」に泊まった。昭和天皇もご宿泊されたという古い旅館で、本館、別館、新館とが長い廊下でつながっている。その廊下の窓から風情のある佇まいの離れが見える。その窓のそばになにやら文字が飾ってあった。手書きの文字で「司馬遼太郎著『街道を行く・飛騨紀行』より抜粋」とあった。

司馬遼太郎

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春慶塗(しゅんけいぬり)

 下呂谷はすでに飛騨の国に入る。
 益田川(飛田川の上流)の河原からゆたかに温泉がわくことから、下呂は、古来泉郷として知られてきた。
 まわりは山々で、日没後ここに入ったとき、すりばちの底に落ちこんだアリのような思いがした。
 もっとも、よろこびも感じた。美濃から入り、夜をこめて”中山七里”をくぐりぬけてきた身としては、突如ひらける里のともしびに人心地がつく思いがしたのである。

 私どもは山の中腹の古風な宿にとまった。
 さすがに飛騨の匠のふるさとらしく、みごとな普請だった。とくに部屋部屋がよかった。わたしがとまったのは品のいい京壁、単純化された遠山の欄間。それに欄間も柱も障子の桟も、ことごとく柿色の春慶塗で統一されていて、おさえこんだ華やぎがある。
「日本文化ですなあ」
 心のうきたちをおぼえつつ、須田画伯の部屋をのぞきに行ったり、画伯をわが部屋に招じ入れたりして、柄にもなく束のまの数寄に興じた。
 春慶というのは、人の名らしい。一説では十四、五世紀ころ、堺に住んでいた漆工で、この塗はこの人の工夫にかかるといわれている。
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風呂から帰る途中の妻が廊下でこの文章を見つけた。『すりばちの底に落ちこんだアリのような思いがした』という一文が、まさに今日、ローカル線の各駅停車で来た時の気分を言い当てていると言った。ぜったいここに来て書いた文章だと。なるほどね。やっぱりコピーもコピーライターがロケ地で書かないとダメなんだよ、と笑った。
ところで司馬遼太郎さんは「泊まった」とは書かず「とまった」と書いたのはなぜだろう。

私どもは山の中腹の古風な宿にとまった。

私どもは山の中腹の古風な宿に泊まった。

上のほうが「山の中腹の古風な宿」という文字がひらがなにはさまれてくっきり見えるからだろうか。違うか。(ちなみにボクらが泊まった部屋はこの春慶塗ではありません)


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