以前、Twitterで知ってメモした糸井さんの言葉がありました。
「多忙は怠惰の隠れ蓑」という言葉。
「忙しさのせいにして、本来やるべきことをやってないんじゃないか?」
という戒めだと理解していました。
先日のパルコでの「はたらきたい展」で、
その言葉、糸井さんが高校の時の先生の言葉だったことを知りました。
そして会場の展示パネルに、「大人になって深く理解した」と書いてありました。
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1965年前後のある日
高校生の糸井重里、
「多忙は怠惰の隠れ蓑」という言葉を知る。
教えてくださったのは、現代国語の亀島貞夫先生。
その言葉について糸井は「ほぼ日」をはじめた半年後に
「いまになって、やっと理解できたように思う」と書いています。
「多忙なときっていうのは、現実的な問題がいっぱいあって、
それを現実的に解決したり、解決しかかっていたりしている状態だ。
そういうときというのは、達成感もあるし、幸福感もある。
だが、そういうときに欠けていきやすいものがあるのだ。
それは、おそらく『なぜ』という疑問とか、おおきな視野とか、人間の感情とか、
何かすぐには役に立たないような、それでいて大事なことばかりなんだと思うのだ」
(ダーリンコラムより)
50年前の国語の先生の言葉は、いつも「気をつけておきたいこと」として、
現代の「ほぼ日」乗組員の間に共有されています。
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高校生のときに先生から聞いた言葉を
いまだに心に憶えているというのはステキだと思いました。
生徒に伝えた先生もステキだし、憶えている糸井さんもステキ。
「いい言葉」というのは、言った人もたしかにスゴイんですが、
それを「いい言葉だ」と記憶している人もスゴイと思うのです。
別に、その言葉が万人に「いい言葉」である必要はないと思います。
自分が「いい言葉だ」と思えばそれでいい。
「学ぶということは、自分が感動すること」という
三代目市川猿之助さんの言葉にまた行き着きます。
実は、ボクも高校の現代国語の先生に聞いた話で、
いまだに憶えていることがあるんです。近日アップします。