国(内)電話(も)、KDD。

98KDD

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国_電話_、KDD。
 内  も

1997年 KDD
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これはたしか、競合の仕事だったかと思います。鎌田一郎CDからの単発の新聞15dで、数年後のKDDI合併のことなんか想像もしてない頃の仕事でした。何チームかあったので「中村は好きにやっていいよ」と言われていたような。代官山東急アパートアネックスで個人事務所をやっていた北川雅彦さんにADをお願いして、二人で考えました。考えたというより、「こんなのどうかな」「あ、いいね」「じゃぁそうしよう」で決まって、その後はすぐ代官山に飲みに行ったように記憶しています(たぶん)

この当時は、国際電話といえばKDDしかなく、「001(ゼロゼロワンダフル)、国際電話はKDD」というフレーズは認知度ほぼ100%だったんじゃないでしょうか。国際電話はKDD、国内電話はNTT。それだけだった時代です。なにしろK(国際)D(電信)D(電話)という会社でしたから。一番早い伝え方は、みんなが知ってるコピー、ドカーン。それを赤字で落書きしたように修正しようと思いました。「国際電話は、KDD」というコピーは有名でいろんな場所に使われている。これからは、それを見たら、この「赤字」で訂正されているコピーも思い出してもらえるといいな、と思って企画しました。

すごくカンタンにつくっているようですが、この「赤字」の訂正(ボクの字なんですが)はいくつも書きました。文字もそうだけど、グジャグジャという線も何タイプも書いて、一番自然で勢いのある線を北川くんと選んだように記憶しています。

この仕事は単発の仕事でしたから、数年後にKDDI合併の仕事をすることになるとは想像もしてませんでした。のちにKDDIの仕事をしたとき、クライアントに「中村さんですよね?あの赤字で消したコピーの」と憶えていてくださった方がいらして、とてもうれしかったことを思い出します。加藤さん、お元気ですか(もういらっしゃらないらしいのですが)


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