17歳の記憶

icon_sr福岡県内の高校再編成で閉校になった母校の正門

■7月にNIKKEI AD Webの『コーヒー&コピー』という欄に掲載された文章です。主にクライアントが読むというのでそれを意識して書きました。
■夏の高校野球を見ていて(ボクはサッカー部でしたが)、高校2年の頃を思い出し、こっちのブログにも載せておこうと思いました。
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『永久不滅メディア』

福岡県立門司高等学校2年6組の教室。現代国語、伊東先生の授業でした。
伊東先生は、まじめで堅い先生が多いウチの高校の中で、
どちらかというと、明るく軽く気ままな気質の先生でとても人気がありました。
ちょくちょく授業が脱線するから、みんなもそれを楽しみにしていました。
その脱線した話のひとつを、いまだに憶えています。

「ええか。よく人に、『誰々さんに似てますね』って言うやろ?
あれなぁ、あんまりうかつに、言わんほうがいいんやぞ」
と伊東先生は言うのです。
人は無意識のうちに自分に似た人を判別していて、
自分の嫌な部分が似ていると感じると無意識に嫌う場合があるというのです。
「似ている人」イコール「好きな人」だとは限らないというわけですね。
当時高校2年生だったボクはただただ「へー」と思ったのでした。

それ以来、誰かに似た人がいたら
「ねえ、○○さんていうタレント知ってる?」→「うん知ってるよ」→
「その人好き?」→「まあね」→「ちょっと似てるね」と、
ちょっとメンドクサイのですが、そういう段取りを踏むようになりました。
「ねえ、○○さんていうタレント知ってる?」って聞いて、
「うん、アイツいやなヤツだよねー」と言ってきた場合は
「だよねー」と言えばいいんです。
まあ、他愛のない話なのですが、何を言いたいかというと、
その話を「いまだに憶えている」という事実。
40年ちかく前の話をまだ鮮明に憶えている。
この「人の記憶」というメディアはすげーな、と思うわけなんです。

いままでの多くの広告は使い捨てでした。
新聞広告は翌日になったら古新聞。トイレットペーパーに換わります。
一生懸命悩んで書いたコピーも翌日には捨てられてしまう。
今日の朝刊の広告で憶えている広告はありますか。
昨日の新聞広告ではどうですか。最近の広告で憶えているコピーはありますか。
「人の記憶」というメディアに残れば、
その広告は何十年も生き続けることができる。
逆にいうと、「数字上その広告を見た人」が多くても、
その人の記憶に残らなければ、ほぼ使い捨てと同じこと。
媒体は小さくてもいいから、記憶に残るコピーを書きたいとボクは強く思います。


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