あ〜しんどかった(笑)

 

あ〜しんどかった

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あ〜しんどかった(笑)

応援感謝 星野仙一

2003年 星野仙一
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2014年10月、楽天イーグルス監督の星野仙一さんがユニフォームを脱いだ。ずいぶん昔の話ですが、星野さんが阪神タイガースの監督で優勝した2003年に書いたコピーをご紹介します。当時書いた作文『広告主:星野仙一』。長いので2回に分けてアップします。

 

広告主:星野仙一

 今年、もう阪神の優勝は決りだろうという空気だった8月の終わり。ボクのケータイが鳴った。杉山恒太郎さんからだった。「中村君は、野球はどこファンだっけ?」と、阪神戦のチケットでもくれるのかと気楽に「当然タイガースファンですけど」と答えると、「実は、超極秘なんだけどサ・・・」という話だった。

 まず星野さんが個人的に「優勝したらファンにお礼がしたい、優勝の翌日にスポーツ新聞に広告は出せないか」と親しい友人、元日刊スポーツの高橋さんという人に相談した。それを聞いた高橋さんが電通の媒体担当の森隆一取締役を知っていて電話。その森さんがクリエーティブの杉山恒太郎さんを知っていたので電話。その杉山さんの脳裏に、なんとなく中村禎の顔が浮かんで、電話をくれたのだった。

  8月24日、日曜の午後。大きく負け越した「死のロード」の最終戦、ナイターのベイスターズ戦を控えた横浜シェラトンホテル。初めて星野さんに会いに行く。この先そう何度も会う機会もないだろうから、手ぶらで会うのはもったいない。どんな広告にしたいのだろう?と、勝手に「阪神タイガース監督、星野仙一」になったつもりで、いろんな角度からいっぱいコピーを書いて見てもらうことにした。それはもう、久々にいっぱい書いた。でるわでるわ。それを星野さんに見てもらった。「あはは、ホンマにこのとおりや」とか「これは、言いたいけど無理やろな」とか言ってくれたコピーに印を付けていった。「あ~しんどかった(笑)」とか「あ~おもろかった」とか「やっとぐっすり眠れるわい」とか「ひっくり返された夢も見た」とか「テレビの向こうの声援も、ちゃんと聞こえとった」とか「弱い阪神が好きだったというファンに、アッカンベ~や(笑)」とか「阪神ファンでよかったやろ?(笑)」とかとか。

  星野さんは、昔、王選手がホームラン世界記録を出したときや、日本シリーズで日本のプロ野球が盛り上がったときなどに「なんで(野球界の)コミッショナーがファンにお礼をせんのや!」とつねづね思っていたらしい。また今年は特に、球場に女性やこどもさんのファンが増えたことがうれしかった、ともおっしゃっていた。「だから、ワシはやるんです」と。「阪神ファンだけじゃなく、野球ファンにお礼がしたいんです」と。星野さんのあの太い声、ドスの利いた表情の後に、こどものように笑う顔、できるかぎりを記憶して、さらにコピーを書きまくり、6,7本に絞った。

  マジックは7くらいまでに減ってきていた。最短の胴上げが9日の神宮の可能性もでてきた。9月4日の広島戦。急遽、試合前の星野監督の時間がもらえることになり、新幹線に飛び乗った。広島の滞在先ホテルグランビアのロビーはおっかけのファンやマスコミ関係の人たちでざわめいていた。エレベーターに乗り、監督の宿泊している部屋で広告代理店新聞局の次長とコピーライター中村のふたりでのプレゼン。びびった~。部屋に案内してくれたのは監督専属の広報担当の平田さん。そう、あの85年のV戦士、背番号30番ショート平田勝男さんなのだ。その平田さんにおそれ多くもアイスコーヒーなんか持ってきていただいちゃって。恐縮です!特別料金とはいえ6紙(最初は東京中日スポーツも予定していた)の掲載料は軽くン千万は超える金額。それを個人で払うと。それなのに、緊張で早口になっていたボクの話を静かに聞いてくれていた星野さんは、「わかりました、いいと思います。ありがとう、あとはおまかせします」とニコッと笑ってくれた。ぶ厚い手としっかり握手させてもらって、興奮しながら広島を後にしたのだった。(長いのでつづく)

昨日、球場に来られなかった…

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