昨日、球場に来られなかった…

昨日球場に

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昨日、球場に
来られなかった
人たちにも
ありがとう。

応援感謝 星野仙一

2003年 星野仙一
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広告主:星野仙一(後半)

 星野さんは「名古屋だけはちょっと特別やから、ドラゴンズファンに気をつかってやりたいんや」とおっしゃっていた。で東京中日スポーツには「あ~しんどかった(笑)」をキャッチにして、小さく「名古屋に育てていただいた星野が、大きな仕事をさせていただきました。野球人として幸せであると感じています」とか「ユニフォームは違うけれど、笑って許してやってください。もう一度胴上げを見たかった、妻との約束だったのです」という一文を小さく入れましょうかと、星野さんと話し合っていた。しかし、直前にドラゴンズの山田監督解任みたいなことになり、中日新聞が「掲載は遠慮したい」と言ってきたのだった。あ~あ、一本コピーをへらさなきゃ・・・。「ひっくり返された夢も見た」を削って、他の紙に「しんどかった」を回した。

 阪神戦のチケットは高騰してすごい値段になっていて、なかなか手に入らない。ボクも今年は1試合も球場に行けていない。そんなファンもいっぱいいると思った。だから、そんな自分みたいなファンが、こんなこと星野さんから言われたらたまらんだろうな〜というコピーを書いた。「昨日、球場に来られなかった人たちへもありがとう」とか「テレビの向こうの声援も、ちゃんと聞こえとった」とか。また、新聞記事に「阪神優勝の経済効果」とかいうのが出るだろうし、どこかのオーナーが「景気回復のためにも阪神が優勝してよかった」みたいな負け惜しみを言いそうだったから、「日本経済のために優勝したんやないで(笑)」をいれた。

 掲載が超極秘だったので、誰にも相談できず、コピーを書いても会社で拡げられず。自宅にこもって、書いたコピーを床に拡げながら、考えた。ほんとは阪神ファンのみんなに「どれがいいと思う?」とか聞いて回りたかったが、それもできなかった。しかし、ただひとり見つけた。人も少ない深夜の電通CPC37階。(当時の所属、クリエーティブ・プランニング・センター)そこの小部屋で作業をしていた「適任者」を見つけた。林尚司氏である。彼は生まれつきの関西人(京都らしいが)だし、生まれつきの阪神ファンなのだ。その林に「ちょっとコピーを見て欲しいんだけど・・・」と切り出した。部屋のドアを閉めて、「実はサ、星野監督がサ、自腹でサ、優勝した翌日にサ・・・」と説明しながら、なぜかウルウルしてきてしまった。自分でも興奮していたのだと思う。いま思うと、林に意見を聞くフリをしながら、誰かに見て欲しくて、見せびらかしたかったのだと思う。(林は「阪神ファンでよかったやろ?(笑)」を気に入ってくれた)

 胴上げが、神宮球場からナゴヤドームへ移り、ナゴヤドームから甲子園へ移り。そして9月15日の夜。ついにXデーがきた。優勝後の監督インタビューを家のテレビでみていて、その第一声に驚いた。「あ〜しんどかった(笑)」だった。ホントに言うとは思っていなかったから、うれしかった。その夜は何度も録画した特番を見ながら朝まで起きていた。朝5時頃、コンビニに掲載紙を買いに走った。しかしまだ、届いていなかった。一度家に戻り目覚ましをセットして、朝8時頃またコンビニに走り、5紙全部ゲット!ほんとに掲載しているかドキドキしながら新聞をめくった。

 男・星野仙一と目を合わせて話をして、一緒に仕事できたということは、ホントにラッキーだったし幸せだったと思う。作り手が掲載を前にしてドキドキするという、広告の原点みたいなものを思い出させてもらった。

 スポーツ新聞が街にあふれた16日の夜。一緒にコピーを悩んでくれたクリエーティブ・ディレクターの佐藤尚之氏(さとなおさん)と新橋の寿司屋に行った。「ああ、明日からの楽しみがなくなっちゃったね・・・」と小さな打上げをした。何年か後、関西かどこかの居酒屋に行ったとき、もし店の壁にあの原稿が貼ってあったら、涙がでるだろうなと思った。新聞広告は明日になったら、ただの新聞紙。ただの古新聞だ。でもそこで、誰かの記憶に深く残ることができるとしたら、これほど広告屋としての幸せはないのではないか。と同時に、記憶に残すことが一番の広告効果なのだとつくづく感じた仕事となった。だからもう、しばらく仕事はできまへん(笑)

                    2003年9月 コピーライター中村禎

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この星野さんの応援広告の5本シリーズは、東京コピーライターズクラブのTCC賞を受賞しました。その授賞式に、ボクはある紙袋を持って出席しました。名前が呼ばれて壇上に上がる時、その紙袋に入っていたものに着替えたのです。日本シリーズのとき甲子園で買った『背番号77 HOSHINO』の白い縦縞ユニフォームです。緊張していたのでハッキリとは憶えていませんが会場から笑いが漏れていました。失笑だったと思います。でも、いいんです。ボクは星野さんに感謝を表したかったし、壇上に星野さんと登りたかったのです。「バッカじゃないの」と思われたかもしれないけど、いいんです。会場に星野さんが来てくれたらすごいことだし、祝電でもあればすごいことだけど、やっぱりダメでしたが。

この仕事は、東京コピーライターズクラブが発行する『コピー年鑑2004』に掲載されました。そこにあった、審査員のコメントがうれしかったことを憶えています。「星野監督の優勝インタビューのコメントを、そのままコピーに使ったコピーライターの勇気を讃えたい」・・・イヤイヤ、それじゃぁ翌日の掲載に間に合いまへんがなw。ファンの人たちもそう思ったに違いないんです。この広告はゼッタイ「どうせ広告代理店が企画を持ち込んだんだろ?」と思われたくなかった。事実、そうじゃないんだし。広告主は星野仙一なんだ、と。だからこの言葉が星野さんの言葉に見えなければ、この広告は失敗なんだと思っていました。コピーライターは黒子なんです。(だからホントはTCCなどに応募してはいけなかったのかな・・・) そしてもうひとつ、うれいしいコメントがありました。「中村くんは星野監督になりきって書いている。むかし、糸井さんが矢沢永吉になりきって『成りあがり』を書いたことを思い出した」うれしかった。コピーライター、一倉宏さんのコメントでした。

あ〜しんどかった(笑)『広告主:星野仙一(前半)』

あーおもろかった。

 

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