第32話 最終回『住宅広告と私』

4窓青空窓の月
床に寝転んで窓を見上げると月が見えることがあるんです。予算を削るとき窓の数を減らそうかと考えていましたが、そこは無理して良かった、と思う窓です

なぜ私は三井ホームで家を建てたのか Vol.32

私の職業はコピーライターです。広告屋です。広告を見てもらって購買意欲をモリモリさせてもらうのが仕事です。しかし、今回、自分が家を建てようとしたとき、広告なんかほとんど目に入りませんでした。三井ホームの広告もまったく気にしません。住宅メーカーのCMが流れても「何言ってんだか」という感じでした。なぜでしょう・・・。それどころじゃないんですよ、現実は。現実は予算や建築条件や時間との闘い。CMが言おうとしている「いいこと」ばっかりではないんです。住宅メーカーの広告はすべて「ウソ」に見えていたのかもしれません。広告屋として言っておきますが、広告を発信する側は決してそんなつもりはありません。広告で消費者を騙せるなんて思っていません。だから決してウソは言っていないんです。でも、さあ、買うぞ! ローンを払って買うぞ! と「覚悟」を決めた人には広告なんて目に入らないのです。

そんなボクにも、ずっと記憶に残っている住宅のCMがあります。漫才の「いとしこいし」の夢路いとしさんがおじいさん役。壊されていく自分が建てた古い自宅を淋しそうに眺めている。建て替えて新しく2世帯住宅を建てるという話。ヘーベルハウスのCMでした。これを見たのは大学生だったか、とにかく20代で自分が家を建てるなんて思ってもいない頃でした。そのとき「この気持ち、わかるなぁ」「きっとこんな気持ちになるんだろうなぁ」「こんなやさしい目線を持ったCMをつくる住宅メーカーは、きっといい会社なんだろうなぁ」と思った記憶がいまだにあります。20代の男子には「家を建てる」という可能性は低いけれど、いまだに憶えているし、将来もし住宅展示場をみることになったら、ヘーベルハウスは見てみようと思っていました。(実際は木造ではなく方向性が違うと思ったので選択肢には入りませんでしたが、いまだに一企業として好感を持っています)

住宅というある意味一番高額な商品の広告。それは、コンビニに売っている新発売の商品とは違います。CMが面白いから、買ってみよう、という商品ではありません。そして今回の私のように、「家を建てよう」と決意をしてからは、もう広告は見ない。もっと現実的な、「評判」を調べたり、購入した人の「ブログ」を読みまくったりする。つまり、広告が効くのは「買う、ずっと前」さらに言えば、「買うなんて思ってもいない頃」なんだと思うのです。「買うぞ」と覚悟した人にはやることがいっぱいある。将来買えたらいいなぁ、くらいの人の「記憶」に残しておくことが大事なんだと思います。例えば大学生が感動する住宅CM。商品の性能を自慢するのではなく、「家って、こうだと思うんです」という企業の理念に共感すれば記憶に残る。その企業がいい「人柄」に見える。そして「ファン」になる。そして、大人になって家を建てるか、という年齢になったとき、そのメーカーを見てみたい、と思うはずです。住宅メーカーの「早く売りたい」「いま売りたい」「こんどの連休に買わせたい」というCMを見るとうんざりします。そんなCMで買うかよ、と。

私がまだ、免許も持っていなかった学生の頃。MAZDAのRX−7のCMを見た記憶があります。たしか、映画『ブレードランナー』の曲を使ったCMだったと思います。(違ったかもしれないけど) それを見て、「カッコイイなぁ〜」と思った。曲も好きだったし(いまだに好きですが)とにかくカッコ良かった。そのCMのオンエアはとっくに終わっていて、30才になった頃、初めて自分のクルマを買いました。私は、RX−7を買いました。

高額な商品ほど、長く記憶に残すことが大事だと思います。だから、「社長が代わったから」とか「宣伝部長が交代したから」とかいう社内の事情で、広告のトーンを変えないでほしい。お客様には関係ない事情です。お客様は長いレンジでその商品、その企業をみているんです。住宅のような一生に一回買うか買わないかという商品と、コンビニで買って美味しくなかったら二度と買わなければいい商品とは違います。いいコピー、いい音楽、いい商品名は長く使うべきです。広告がコロコロ変わる企業は信用できません。ブランドイメージというものは、積み重なって初めて認められるものだからです。

私は、三井ホームに住んでいます。とても満足しています。でも、他の住宅メーカーの広告も作れると思っています。広告屋はウソつきなんかじゃなく、「いかに客観的にその商品を見れるか」だと思うからです。広告屋がクライアント側に立ち過ぎたり、その商品のファンになり過ぎると恋は盲目状態になります。どこかハスに構えて、いいところ、悪いところを冷静に見られる立場でいたいと思うのです。クライアントは自分の商品が一番だと思っています。広告屋もそのまま行き過ぎるとユーザーが置いてけぼりになってしまう。私は、どんな商品を担当しようと自分の立ち位置は、クライアント側の、一番ユーザー側に近い場所にいてコピーを書くコピーライターでありたいと思っています。

「なぜ私は三井ホームで家を建てたのか」という文章を、広告屋という立場で、施主という立場で、書いてみました。長々と書いてしまいましたが、何かのお役に立てばうれしく思います。参考になる話、反面教師となる話。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

もし、もう一軒、家を建てるとしたら・・・やっぱり三井ホームにしようかな(完)


第32話 最終回『住宅広告と私』」への3件のフィードバック

  1. たまたまブログを見つけ、一気に読んでしまいました。とてもよかったので、なにかコメントを残してしまいたくなりました。
    私も先日三井ホームで家を建てたものです。竣工はほんの一ヶ月前です。
    拝見していると、なにかいろいろと自分とオーバーラップして、あーそうだったなーとか、ほんとその通りとか激しく同意していました。
    年を重ねても色褪せない、とてもいいブログだと思いましたし、これから家を建てようと考えてる人に紹介したいと思いました。

    ありがとうございました!

  2. 安田裕典さん、見つけていただき、ありがとうございます!読んでいただきうれしいです。ボクも建てる時、いろんな方のブログが一番役に立ちましたから、自分も書こうと思いました。広告なんかゼンゼン役に立ちませんw(ボクはコピーライターなのですが、今のままの広告ではダメ、という意味です)コメントありがとうございました!

  3. ピンバック: なぜ私は三井ホームで家を建てたのか■総合目次 | ぶ厚い手帳:コピーライター中村禎の場合

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