コピーライターとして育てていただいた会社サン・アドの50周年記念のピンバッジ。個人情報保護法なんて野暮なものがなかった時代、年末になると総務課から小さな住所録が配られる。そこにはサン・アド全社員の住所と電話番号が記載されていた。年賀状でも書きなさい、という季節だったからか、毎年配られた。その名簿の名前がすごい。佐治敬三さん、開高健さん、山口瞳さん、そして柳原良平さん。今はもう手元には残っていないが住所や電話番号が書いてあった。同じ印刷物に自分の名前と偉大な大先輩の名前が並んでいるだけでありがたかった。その大先輩のおひとり、柳原良平さんが逝去された。直接お話しさせていただく機会はなかったものの、遠くから(近くから)お顔を拝見するだけでうれしかった。ご冥福をお祈りいたします。このピンバッジ、大切にいたします。
柳原さんで思い出した。サン・アドが丸の内1-1-1パレスビル9Fから引越すとき、『丸の内・名残の一夕』という会が催された。そのとき、柳原さんもいらっしゃっていた。この寄せ書きに自分の名前を書けるというシアワセ。直接言葉をかけていただくことはなかったけれど、同じビルの同じエレベーターの、同じ会社の空気は共有できたのだと思うだけで、うれしい。
ピンバック: 今日のピンバッジ『サン・アド50周年記念』 | ぶ厚い手帳:コピーライター中村禎の場合
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