サン・アドに入れた本当の理由

サン・アド書類2

『経験3年以上』という決まり文句のあった入社試験。
「なんで未経験の僕が入れたんですか?」
入社後しばらくして、時期を見計らって社長の坂根さんに聞いてみた。

「経験者は2人決まっていたんだ。中村クンはおまけだったんだよ。
仲畑クンが『こいつも入れときましょうよ』って言うもんだから、
おまけの3人目ね」

と言われた。なんでおまけになれたのか、仲畑さんに聞いてみた。
『中村の作文が良かったのよ』
と仲畑さん。

作文のテーマは『サン・アドに入って私のやりたいこと』だった。
僕は何を書いたか今でもはっきり覚えている。
当時僕は23才。トンプソンの新入社員の営業で、
夜、コピーライター養成講座の専門コースに通っていた。
その講師である岡田耕さんのことを書いた。

岡田さんは電通の部長クリエーティブディレクターで
隣りの席に山川浩二さんという岡田さんのライバルでもある
部長クリエーティブディレクターがいた。
山川さんも養成講座の講師だった。
そしていつも
「うちのクラスからは糸井(重里)クンが出たんだよね。
岡田くんも講師やってるんだって?」
と岡田さんに自慢してきて、
岡田さんはそれがイヤでイヤでたまらなかったと聞いたことがあった。

僕は書いた。
「糸井さんみたいになる、とはおこがましくて言いませんが、
 サン・アドには中村禎というなかなかいい
 新人コピーライターがいるらしいね、くらいになって、
 岡田さんに肩身の狭い思いをさせないようにしたい」

それはハッキリ覚えている。だって、ほんとにそう思っていたんだから。
仲畑さんはその作文を読んで、
こいつを取ろうと社長に進言してくれたという。
文章が上手なのではない。
書いた中身が仲畑さんの心に引っかかったのだと思う。
稚拙な文章でも本当の本気で書いた言葉にはチカラがあるんだと思った。

2001年の春、僕がKDDIの仕事で
TCC最高賞を獲ったことは知らないまま、
岡田耕さんはお亡くなりになってしまったけれど、
中村禎という岡田クラスの生徒が、
サン・アドで最高新人賞を獲ったことは報告できた。

そして今年、
そのサン・アドでコピーライターになってから30周年となった。
当時の養成講座岡田クラスの生徒だった中村禎が、
現在の養成講座中村クラスの教え子たちから祝ってもらえたことを
岡田さんに追加で報告したいと思った。(2011年8月)

リンク元:サン・アドに内定


サン・アドに入れた本当の理由」への3件のフィードバック

  1. そうだったんですね・・・。投稿されてから3カ月も経ったいま、拝読しました。昔を懐かしみながら、お二人の深い絆を知りました。お二人が最初に養成コンビになられた時の、言わば1期生だった自分の昔を。昨日この釧路で、ひどいことが起きましたが、またキチンと前を向いてゆきます。益々のご健闘お祈りしてます!

    • 桑嶋義直くん?岡田クラスをボクも手伝うことになった時の生徒だった。あの色白の桑嶋くん?あの代はたしか、岡田さんとどこかの中華か何かの座敷で飲み会やったよね。写真が残っていたんだよ。それでみんなの顔もなんとなく覚えてる。懐かしいねえ。

      • 光栄です!憶えていてくださったなんて。今も飲むと変な関西弁の私です。
        そうでした、銀座のどこかで解散式やりましたね。中村先生と赤ら顔して並んだ写真持ってます♡(そういうのじゃないですよ)
        今も秋山さんや上田さんとは年賀交流してます。
        遅ればせながら、インディペンデス、おめでとうございます!

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