長友さんと一緒に【稀代】⑥ EST!

へー、そのフレンチフライ食べてみたかったですなぁ と長友編集長
クリネタ29号 Photo by 木内和美

クリネタらしいBARを紹介する、稀代(ケッタイ)の記事をご紹介します。長友さんと一緒に取材に行ってまとめた記事です。

「稀代」(けったい)とは、なんだ? クリネタおススメの、いい店、おもろい店
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EST!
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バーは、棚
「稀代」で取材させていただく店は「ケッタイな店」イコール「風変わりな店」ではなく、むしろ「唯一無二な店」「ファンタスティック!な店」の意味あいが大きい。今回は「湯島」と聞けば、「あ!」と思い出す人も多いのではないだろうか。オーセンティックなバー、EST!だ。ここを知らないなんてバー業界のもぐりではないかとさえ言われるくらい老舗中の老舗バー。オープンは1974年、この湯島の地でかれこれ41年。マスターの渡辺昭男さんは今年8月で81才を迎える。お元気です。なにか健康に気を付けていることはあるんですか?と聞くと「毎日ちょこちょこ動くことですかね」と笑う。天気のいい日は湯島まで自転車で通うこともあるそうだ。

カウンター9席、テーブル4席の小さなバー。重厚な雰囲気を醸し出しているのはバーの顔でもある酒の棚だ。渡辺さんが昔見た、ドイツの倉庫の写真からイメージされてつくられたもの。太い柱で組まれたその棚は東日本大震災の時もビクともしなかったそうだ。

「店を始めたころはこの棚もガラガラで淋しかったんです。この棚がいっぱいになるくらいのお酒の種類を揃えられなかった。それを見かねた人がBlack&Whiteを一列贈ってくれて。最初はそればっかりが並んでいたんです」
と渡辺さんは笑う。そうか、それでこのEST!の入り口にはBlack&Whiteのボトルがたくさんディスプレイされているんだ。オープン当初の感謝の気持ちを忘れずに41年目の営業をしているんですね。

「この店の柱や梁の木は私が焼いたんですよ」と渡辺さん。大工さんに頼んでも「できない」と言われたので、自分でガソリンバーナーで焼いて、タワシでゴシゴシ磨いて、自分で組み立てたそうだ。自分で組み立ててみて、なぜ大工さんが嫌がったかがわかった。手も身体も炭で真っ黒になってしまったのだそうだ。41年という歳月の味もあるだろうが、渡辺さんのその情熱がしみこんだ柱や梁がこのバーの雰囲気を作ってくれているのだろう。初めての来店でも落ち着いた気持ちになれるのはそのせいかもしれない。

ちょちょっとしたもの
昔は軽食として温かいものも出していた時もあったが、今はもうやっていないそうだ。「昔はフレンチフライを揚げていたんですよ。毎日ジャガイモ洗って切って、一日さらして翌日揚げて。若い頃はそれを毎日やっていたんですが、でも、いまはもう、ね。ちょっとシンドイもので・・・」一日分を切って洗って一晩さらして翌日揚げて。それを聞いただけでうまそうなフレンチフライ。絶対うまいはずです。食べたかったけど、いまはもうない。昔のEST!に通っていた人がうらやましい。

「ライ麦パンならありますけど、焼きましょうか?」なんか温かくて、ちょちょっと食べれるものはないですか?という長友編集長のお願いにやさしく応えてくれました。「クリームチーズをパンにはさんで焼くだけなんですが」「ぜひお願いします!」バーテンダーのつくる「ちょちょっとしたもの」って、なんかうまそうだ。

バーテンダーと薬剤師
満州で生まれ、九州佐賀県育ちの渡辺さんは薬剤師を目指して上京した。それがどういうわけか渋谷宇田川町のトリスバーの求人広告に目が留まり、バーで働くことになる。薬剤師とバーテンダー。薬の調合とカクテルづくりは、まあ似てるといえば似ているけれど、どうしてこの世界にはいっちゃたんでしょうかねぇ、と笑う。

60年前の渋谷宇田川町。バーといえばトリスバーくらいしかなく、渋谷の街はチンピラだらけ。「毎晩その辺に人が倒れているような街」だったそうだ。渋谷はヤバイ、銀座へ行こう。その後銀座のバーに移るものの、上野にバー「琥珀」がオープンするというので転勤。銀座の店からは「早く銀座に帰ってこい」と懇願されるも「琥珀」のママも渡辺さんを手放さない。結局上野の「琥珀」に18年。そして念願の自分の店「EST!」を湯島に持つことになる。

「EST!」とはフランス語で「ここにある!」という意味。東京大学醸造学の坂口健一郎教授が命名してくださったそうだ。店の外には「EST! EST!! EST!!!」と、ビックリマークが増えていくネオン看板が「ここにある!」と静かにアピールしている。

修行はチラ見
渡辺さんのふたりの息子さんもバーテンダーだ。長男の憲賢さんは、新橋のアトリウム・エン、次男の宗憲さんはアトリウム。ふたりとも新橋で。長男は東京のパレスホテルのBARで5年、次男は札幌の「BARやまざき」で、それぞれ修行を積んだそうだ。お父さんの元で修行させないんですか?と聞くと、「やはり外に出ないとね」と。

バーテンダー見習いは、ただひたすら見て習うそうだ。ああしろこうしろ、ではなく師匠の姿を見て盗む。カウンターの中でひたすら観察するのだ。お客様の前でつくるので、それを横からじっと見つめるわけにもいかない。「グラスを拭く素振りなどしながら横目でチラチラ見ながら盗むんです」と笑う。そこでの発見なり記憶なりが自分の味となっていくのだろう。(どんな仕事もそうなんですね。「教えるということは、自分の姿勢を見せること」と3代目市川猿之助さんも言っていました)

たとえばギムレット。辛口が好きなお客様もいれば、やや甘めが好みの人もいる。そのお客様の好みを探りながら、こうかな?ああかな?と試行錯誤するのが楽しいという。「ある意味、バーテンダーはお客様に育てていただくものかもしれませんね」。その渡辺さんは『お客の心で主(あるじ)せよ』という言葉を大事にしているのだという。

 

観察力と記憶力
「昔のパレスホテルのバーにミスター・マティーニと呼ばれる今井さんというバーテンダーがいましてね・・・」渡辺さんはその今井さんがつくるマティーニ、何回ステアするのか、こっそり見ながら数えたことがあったという。「そのときはたしか、15、6回でしたかね」

パレスホテルのバーには筆者にも思い出がある。当時パレスビルにある会社に勤めていた私は、社長のSさんに連れて行ってもらったことがあった。「Sさんは常温のハイボールがお好きでしたね」と渡辺さん。え!Sさんのこと、ご存じなんですか!「ウチのお店にもよくお見えになりました。常温のソーダ水でつくるハイボール。Sさんの名前のハイボールでした」もうそのSさんはお亡くなりになって何年にもなるのだが、好きだった飲み方まで憶えてもらっているなんて、いいなぁ。そして、そうして憶えてくれているバーテンダーって、いいなぁ。私もこれから常温でハイボール、頼もうかな。

取材の後の記念写真 あの日は寒かったなぁ 長友さんと一緒の写真に写れるだけでシアワセなことです

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EST! 
東京都文京区湯島3-45-3
■03-3831-0403 営/18:00~24:00 休/日曜
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No.29 (2015年春号)
クリネタ
http://www.crineta.jp

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