長友さんと一緒に【稀代】#13 The OPEN BOOK


長友さんと行ったケッタイ取材、最後のお店となってしまいました。

クリネタ36号 Photo by 木内和美

「稀代」(けったい)とは、なんだ? 
クリネタおススメの、いい店、おもろい店
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The OPEN BOOK
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新宿?
京都の町家に来たような錯覚。でもここは、なんと新宿ゴールデン街。2016年の3月にオープンしたばかりのケッタイなお店。まだ木の香りが残る、静かな図書館のようなBAR「The OPEN BOOK」です。オーナーの田中開さんは作家・田中小実昌さんのお孫さん。「おじいちゃんの本が家にたくさんあって、もったいないから、それを飾る場所として、お店をやることにしたんです」

店内は開さんのラフスケッチから設計された吹抜け。漆喰の白い壁と船底の古木を使ったカウンター。遠く広島の友人を訪ねて探し出した、こだわりの古材です。ゴールデン街のお店ですから、当然広くはないのですが、見上げると吹抜けの壁には本、本、本。約1000冊くらいはあるそうです。どの本がどこにあるか、わかるのですか?と尋ねると「作家の名前の五十音順に並べてあります」小実昌さんがご自宅の本棚でもそうやって並べていたそうです。

我らが長友編集長も「なんやったかいな、小実昌さんの本の装丁もやったんやけどなぁ」と「た行」の棚を探すものの思い出せない。開さんが「もしかしたら今、ちょうど貸し出してる本かもしれません。こないだ何冊か貸したので」常連になると、貸し出してくれるようです。

本棚を見上げるとやっぱり気になるのが、吹き抜けから見える上の階。上はどうなってるんですか?ハシゴのような急な階段を登ると2階にはトイレスペースともうひとつ。靴を脱いで上がる、茶室のような畳の小部屋が出現。一輪挿しの花が静かにに飾ってあったりして。この座敷で飲めるようになるには、多分何回か通って馴染みにならないといけないのかも。ボトルを入れて飲まないと、一杯ずつお替りしていたら運ぶのが大変です。その場合はせめて途中まで取りに来てもらうか、ですかね。

そして、もう一つ、上のお座敷に上がった人だけが目撃する「もう一つの秘密」がここにあります。これは、お店に行った人の楽しみとして取っておきましょうか。ヒントは「体の固い人にはきついかな」です。

メニュー?
1階はスタンディングのカウンター。まず気になるのが、スライスレモンがたっぷり入った何やら見慣れないマシーン。The OPEN BOOK自慢のレモンサワー・マシーンです。黒糖焼酎ベースでつくるレモンサワー。バーテンダーがお酒をつくる仕草を眺めることは、バーでの楽しみの一つですが、このレモンサワーも是非注文してほしい。何でもない小道具に感動したりします。筆者は小さな電動泡立て器に、おおーっと、(心の中で)声が出ました。

他には何があるのかなと見回すと、古木のカウンターにさりげなく原稿用紙が一枚。そこに手書きの縦書きでメニューがありました。「本」と「原稿用紙」は、相性がいい。さりげないセンスを感じます。

そのメニュー、最初にレモンサワーが書いてあって、次にあるのがビール。「金鬼ペールエール」と書いてある。少量生産の地ビールを取り寄せているそうで、いつも同じビールがあるわけではなく、その時々で変わるそう。それも楽しみです。で、ビールサーバーはどこ?と思うと、カウンターの上の天井から黒いアームが突き出ている。ここからビール?そうなんです。生ビールの樽は2階にセットしてあって、場所をとらずなかなかスマートです。

レモンサワーの次はジムビームのソーダ割り。「バーテンダーの作るちょっとした食べ物」が大好きな長友編集長は、メニューの文字を見逃しません。乾きものだけではなく、ちょっと温かいものがうれしい。「この、カレートースト、お願いできる?」とろけるチーズとカレーの乗った一口サイズに切ったトーストは、たぶんみなさん、お替りなさると思います。取材班も2度お替りしました。

長友さんは温かいものが好き

数学?
ほろ酔いになり始めた頃、ぼんやり本棚を眺めていたら、階段のそばの本に「ん?」と目が止まりました。「数学辞典」という本。数学の辞典?そのそばには何やら数学関係の難しそうな本が数冊。何ですか?これ?とたずねると「大学で応用数学をやっていたんです」と開さん。てっきり作家系というか、文学系だったのかと思いきや、数学。「文学はいつでもできるから。数学は後からじゃできないと思って」大学は早稲田の理工学部に進んだそうです。

それを聞いた東京理科大学で化学専攻の柴田副編集長がうれしそうに語り始めます。「そう、数学は哲学なんだよ」・・・ホンマかいな。柴田博士曰く、「1+0=1」なのに、「1×0=0」になる。そして「0÷1=∞」になり、「1÷0=やってはいけない」のだそうです。うーむ、わからん。わからんところが哲学なのか。懐かしそうにその数学辞典をめくる開さんの長い指がセクシーです。その長い指がレモンサワーやハイボールを作る仕草もセクシーでした。

「しかしThe OPEN BOOKとはいい名前やねぇ」と長友編集長。たくさんの本があって、みんながその本を開く・・・あ、田中開さんだからOPENか!とその時気づいたら、「なにを今ごろ気づいてんねん」と笑われました。「せやから、いい名前やねぇ、いうてんねん」と。すみません。

こんなにたくさんの本の「か行」の最後の「く」のあたりにクリネタも並べていただけますか。バックナンバーもいいのが揃っていますので。

なにを今ごろ気づいてんねんw

The OPEN BOOK
〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町1-1-6 ゴールデン街五番街
営業時間 19:00 -26:00 無休  
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No.36 (2016年冬号)
クリネタ
http://www.crineta.jp

長友さんを偲んで【稀代】①モンド・バー
長友さんを偲んで【稀代】②BAR JADA
長友さんを偲んで【稀代】③ne & de
長友さんを偲んで【稀代】④ Salon書齋
長友さんと一緒に【稀代】⑤抱月
長友さんと一緒に【稀代】⑥EST!
長友さんと一緒に【稀代】⑦赤道倶楽部
長友さんと一緒に【稀代】⑧ボロンテール
長友さんと一緒に【稀代】⑨KOMATSU RESTAURANT & BAR
長友さんと一緒に【稀代】⑩JAZZ BAR直立猿人
長友さんと一緒に【稀代】#11 サントリーラウンジ 昴
長友さんと一緒に【稀代】#12 キヌ・ギヌ
長友さんと一緒に【稀代】#13 The OPEN BOOK

長友さんと一緒に【稀代】#12キヌ・ギヌ


こういう表情の人になりたいんですよ、ボクは。

クリネタ35号 Photo by 木内和

「稀代」(けったい)とは、なんだ? 
クリネタおススメの、いい店、おもろい店


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LE QUINE GUINE 
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後ろの朝?
まず店の名前からしてケッタイでしょ。何語だと思います?「LE」なんて付いているからフランス語かなと思いつつ、フランス語圏のアフリカ系の匂いもする。セネガルあたりの。っていうか、その前に何と読むの? これは「キヌギヌ」と読みます。キーボードで「キヌギヌ」と打つと「後朝」と変換されて出てくる。『実はこれ、日本語なんですよ、平安時代の』と説明してくれたのはオーナーの榎本晋輔さん。衣衣(きぬぎぬ)とも書くこともあるのですが、「衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるときそれぞれ身につける、その衣」のことだったり「男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れの時間」のことを言うそうです。なんとまぁ、色っぽい。京都出身の榎本さんらしいネーミングです。フランス語っぽく「キュイーヌ・ギュイーヌ」みたいに読めるのも洒落です。そんなフランス語ありそうですけどね。

新宿三丁目の画材の世界堂ビルの横にある雑居ビルでお店を始めて12年。現在の場所に移ってきて1年ほどだそうです。カウンターに3人。詰めて座って5人。カウンターの後ろにソファ席。詰めて座れば7、8人。決して広いとは言えない狭いお店。『以前はもっと狭かったんですよ』と榎本さん。

楽器店?
ケッタイなのは店名だけではありません。ドアを開けると、あれ?こちらはBARでよろしかったでしたっけ、、、と言ってしまいそうなくらいの楽器楽器楽器。飾ってあるだけではなく、ほとんど全部演奏できるし、実際演奏するというのです。クラリネット、フルート、バイオリン、ホルン、オーボエ、ミュートのトランペット。そしてなんとカウンターかと思っていたらそれはグランドピアノ。『ベランダにチェンバロと小さなパイプオルガンがあります』ですって。さらにハープまで。戸棚の中には和太鼓や鼓を隠してある。決して広くないスペースによくもまあこんなに。有名なミュージシャンが来店して演奏してくれたこともあるらしい。こんな街中で生演奏の音出して大丈夫なんですか?と心配すると『昔ここカラオケのお店だったので防音バッチリなんです」とはいうものの、ベランダの窓開けてるじゃん、と突っ込みたくなります。

黒い歴史?
若い頃ミュージシャンを目指して、バンドをやっていたオーナーの榎本さん。この店にある楽器は全部演奏できるそうです。なんでミュージシャンの道を諦めたのですか?と聞くと、笑いながら『黒い歴史があるんです』と。それ以上は聞けませんでした。ミュージシャンの道は諦めて調理師学校に通い始めます。ミュージシャンから料理人に転向する、というとガラッと方向転換な気がしますが、『料理を出しながら、自分のお店でジャズピアノなんか演奏して聴かせられる、そんな店ができたらいいなと思っていました』なるほど。ミュージシャンになるために努力した時間と調理師学校で努力した時間は、ちっとも無駄になっていない。むしろその両方があってこその今があるのですね。「じゃあ、こちらでも料理を出されるのですね」と聞くと『いや、料理はやらないんです。楽器が痛んでしまうから』だそうです。やや、がっかり。でもね、このキヌギヌには料理はいらない。それ以外がタイヘンなんです。やることがいっぱいなので食べている場合じゃないんです。

全員参加?
『お客さんと毎晩演奏するんです』じゃあ楽器のできない人はどうすれば?『ライト係、紙吹雪係、緞帳係、いろいろやることあるので手伝ってもらいます』よく見ると、ただのインテリアの小道具かと思っていたら、全部使える装置なんです。スポットライト、フラッシュライト、カウンターに緞帳。そうなんです、ここは一応BARということになっていますが、劇場のような、楽屋のような宇宙なのです。カウンターの中がメインステージで、お客さんがそれぞれの楽器を担当し、VIPのお客様は後ろのソファから眺めている。そんな一夜を想像しました。その中に、かの有名なあの人が演奏し、かの有名なあの人が踊る。なんという贅沢な劇場でしょう。

トイレのうさぎ?
いろいろお店の「仕掛け」を紹介してくれたのですが、このページ数では紹介しきれませんし、全部は言わないほうがいいと思います。でも、ひとつだけ紹介しておきます。カウンターの中から見える位置にウサギがトイレに腰掛けているライトがある。OCCUPIEDと書かれている。『トイレに誰か入っている時に、点灯するんです。飛行機や新幹線みたいでしょ』こういうことの大好きなオーナーなのです。

チェンバロと煎茶?
もうひとつ、どうしても書いておきたいことがあります。「LE QUINE GUINE」における「チェンバロ点前」について。チェンバロと煎茶道。豊臣秀吉が大坂城をつくった安土桃山時代。イスパニア国王(スペイン)から贈られた巨大なチェンバロがあった。秀吉はその楽器を弾いて楽しんだ。しかし大坂夏の陣の時、大阪城とともに焼けて幻となってしまったという。

煎茶(葉茶)が日本で広まったとされる時期は歴史的検証も必要でしょうが、新し物好きの秀吉がチェンバロの音を聞きながら煎茶を飲んだという可能性は十分ありうる。そこで榎本さんがチェンバロを演奏しながら、そのチェンバロをテーブルのように使いながら、煎茶道を嗜む友人の黒田久義さんがみんなにお点前を披露してくださる。

バロック音楽ではなく現代風にアレンジされた榎本さんのTea For Twoを聞きながら、黒田さんの所作を眺める。チェンバロの音色が安土桃山時代を想像させる。ベランダに置かれたその小さなチェンバロの上で煎茶を入れる静かな時間。大阪城でこの音色が流れていたのか。秀吉もこのお茶の香りと音色を楽しんでいたのかもしれない、と思えてくる。音と香りが想像力を刺激するのって気持ちいいもんですね。

年間購読?
と、ここで悲しいお知らせがあります。ここまで書いて、まだ書ききれないほどの仕掛けやサプライズがまだまだあるのですが、この「キヌギヌ」、会員制のお店なのです。「クリネタを見てきました」くらいでは入店できない。せめて「クリネタを年間購読しています」くらいじゃないと(それでも厳しいかも)。

会員制のお店というと「なんだかお高くとまってるなぁ」とお思いかもしれませんが、そうじゃない。そうじゃなくて、キヌギヌを愉しんでくださっている今までのお客様たちのバランスが壊れないように、オーナーがとても気を使っているんです。ご理解ください。でも、新宿●丁目のどこか狭い道を歩いていて、ビルの上からチェンバロが聞こえてきたら入れる・・・かもしれませんね。(かつ年間購読なら)

 LE QUINE GUINE(キヌギヌ)
東京都新宿区秘密丁目
電話:03-内緒-内緒
営業時間 Wed & Thu 20:00 -26:00
Fri & Sat 20:00 -27:00
Sun 20:00 -24:00
Mon&Tue close
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No.35 (2016年秋号)
クリネタ
http://www.crineta.jp

長友さんを偲んで【稀代】①モンド・バー
長友さんを偲んで【稀代】②BAR JADA
長友さんを偲んで【稀代】③ne & de
長友さんを偲んで【稀代】④ Salon書齋
長友さんと一緒に【稀代】⑤抱月
長友さんと一緒に【稀代】⑥EST!
長友さんと一緒に【稀代】⑦赤道倶楽部
長友さんと一緒に【稀代】⑧ボロンテール
長友さんと一緒に【稀代】⑨KOMATSU RESTAURANT & BAR
長友さんと一緒に【稀代】⑩JAZZ BAR直立猿人
長友さんと一緒に【稀代】#11 サントリーラウンジ 昴
長友さんと一緒に【稀代】#12 キヌ・ギヌ

長友さんと一緒に【稀代】#11 サントリーラウンジ「昴」


『中村くん、何ゆうてんのん』なのか、『ふんふんふん』と聞いてくれているのか。何の話をしているのか忘れましたが、長友さんと「稀代」取材の有難いひと時です。
クリネタ34号 Photo by 木内和美

「稀代」(けったい)とは、なんだ?
クリネタおススメの、いい店、おもろい店
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サントリーラウンジ「昴」
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「あの人はいろんなお店を、よく知ってるよねぇ」は褒め言葉だ。あらかじめ調べて予約をして、その店に行くのならカンタン。出たとこ勝負で、さあ今からどこ行く?となった時、とっさに数件候補をあげられる男は実に頼もしい。恥かしながら筆者は、とんと疎い。広告業界ではプロデューサーと呼ばれる人たちに、その得意技をもつ人が多い。いろんな店を知っている人たちがいる。その人たちに甘えて育ったせいか、サッパリ私はお店を知らない。こんな時間に、こんな人数で、小腹も空いてて、雨も降ってきて・・・みたいな状況で、ささっと電話し「OKです、行きましょう」と涼しい顔で歩く後ろ姿ほど頼もしいものはない。そんな人に憧れる身としては、今回のケッタイのお店は、知っておいたほうがいいと思った。

新宿三丁目。バーニーズ・ニューヨークの前の角のビルの7階、サントリーラウンジ昴。新宿三丁目に男性数人、女性が1人。みんなお腹も空いているが、落ち着いて飲みたいとき。ホテルのバーほど気取らずに、かといって居酒屋とまでは砕けずに、ちょうどいいデラックスなバーを見つけた。(柴田副編集長によると、ゴージャスという派手さではなく、デラックスという言葉の響きのほうがしっくりくる、という。うんうん、なんか、わかる)バーというよりラウンジかな。ラウンジバーかな。ま、よろし。広いカウンターで、テーブル席も十分あって。後輩数人引き連れて、新宿を彷徨うとき、「昴に行くか」といえる先輩は頼もしい。

これがカウンター

カウンター席に着いて、サントリーオールドのハイボールを頼む。カウンター席のお客さんは、たぶん全員尋ねるだろう、という質問をしてみた。「このカウンターのこれ、何ですか?」長く、しかもL字カーブしたカウンターに黄金色のデラックスな着物の生地が敷き詰めてある。(その上に透明の板)「これ、着物ですか?」と尋ねると、なんと幅80センチの一枚物本友禅が敷き込んであるという。この友禅は、白生地(縮緬)をカウンターの巾に合わせて織り、しだれ桜に源氏車の友禅模様を手描き、手染めで仕上げ、さらに全面に金箔押しをした特別注文品だそうだ。織って、描いて、染めて、押して、なのだ。

「普通の友禅は着物巾(約38センチ)ですが、この友禅は6人の友禅職人が、2ヶ月半かかって仕上げた日本唯一の作品なのです」だそうだ。しかも、こだわりはそこだけではない。この友禅の上に乗せている透明の板はガラスではない。「ガラスだと中の友禅が青みがかって見えるので」という説明。色をちゃんと見てもらうためにアクリルにしたのだそうだ。さらに、この友禅に施された刺繍。この刺繍が浮き出て見えるように、友禅の下に真綿を敷き詰めてあるという。まるで美術館だ。美術館の展示の上でオールドのハイボールを飲んでいる。

美術館のような気がするのには、もうひとつ理由があった。カウンターの中にあるガラスケース。ウイスキーの記念ボトルが飾ってある。厚さ8ミリのガラスには、銀座の古美術商から仕入れた北斎、歌麿の浮世絵がエッチングしてある。うん、美術館の展示室でちゃっかりお酒を飲ませていただいている気分にもなります。ホテルのバーで修業をし、昴がオープンした頃からのベテラン・バーテンダー黒川さんにオールド・ハイボールのお代わりを頼む。
バーテンダー黒川さん

お酒を飲みに行こうかって時は、お腹も空いていることが多い。そんな時、食べ物のメニューが充実しているバーはうれしい。昴の食べ物メニューは写真付き。レストランのメニューのように充実していた。オススメは、霜降りビーフ(軽く炙った薄切りの冷製牛肉で白髪ねぎを巻いて、西洋ワサビ風味特製ソースで)、牛肉と野菜の四川風(鳥の巣造りの揚げたポテト、紹興酒風味)その他、シェフのおすすめは、洋風カニミソバター、ビーフストロガノフ、スモークサーモン、春巻きと唐揚げの取り合わせ、エスカルゴ(殻付きorココット焼き)、ピザ(ミックスorアンチョビ)、姫カレイの一夜干し、特製ステーキサンド。この中に多分それぞれ、常連のお客さんの定番があるに違いない。

あったかい食べ物ある?

そして、何より驚いたのは、ウイスキーの価格設定が低めだということ。お店の内装のデラックスさに比べて、ウイスキーの価格が実にリーズナブル。「スペシャルプライス」と銘打って、サントリー協賛ウイスキーが特別な価格で提供されている。しかもシングルが 「30mlプラス5ml」。ダブルが「60mlプラス15ml」と書いてある。この「ちょいミリリットル足し」というのが、うれしいじゃあ、あーりませんか。きっちり量り売りされるのが普通だけれど、まあいいじゃないのとおまけしてくれる感じ。そして何より、そのスペシャルプライスにする気持ちに「粋」を感じる。「ウチはウイスキーファンに支えてもらって30年やってきました。そのお客様たちがリタイアされた後も、安く飲めるようにしようと思って」ですって。ええ話や。

年寄りは年金がたくさんもらえていいな、若者は年金なんてあてにできないからな、なんていう時代だけど、この昴に通った先輩たちのおかげで、現代の若い人たちもこの昴でリーズナブルな価格でお酒が飲めるのだ。昴に若い後輩たちを連れて行かれる先輩がたは、ぜひこの話をしてあげてください。ただ調子に乗って先輩風を吹かせてしまうと突っ込まれます。「スペシャルプライスは、若い頃、昴に通った人たちのおかげであって、センパイは最近クリネタで知って来ただけじゃないですか」と言われますから。
デラックスでしょ

サントリーラウンジ 昴
東京都新宿区新宿3−29−9 モアビル7階
電話:03-3350-8800 
営業時間 平日17:30 -24:30       
日祭日17:30 -24:00定休日 12月31日〜1月3日以外年中無休
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No.34 (2016年夏号)クリネタ
http://www.crineta.jp

長友さんを偲んで【稀代】①モンド・バー
長友さんを偲んで【稀代】②BAR JADA
長友さんを偲んで【稀代】③ne & de
長友さんを偲んで【稀代】④ Salon書齋
長友さんと一緒に【稀代】⑤抱月
長友さんと一緒に【稀代】⑥EST!
長友さんと一緒に【稀代】⑦赤道倶楽部
長友さんと一緒に【稀代】⑧ボロンテール
長友さんと一緒に【稀代】⑨KOMATSU RESTAURANT & BAR
長友さんと一緒に【稀代】⑩JAZZ BAR直立猿人
長友さんと一緒に【稀代】#11 Jサントリーラウンジ 昴

長友さんと一緒に【稀代】⑩JAZZ BAR直立猿人

「そないなこともあったかいなぁ」実はこの時の取材の録音が残っているんです。記事に書いていたい部分の長友さんの話も貴重なんだけど、何よりちょっと鼻が詰まったような長友さんの「声」が貴重なんだな、これが。みんなの中に長友さんの声が残っている。クリネタ33号 Photo by 木内和美

「稀代」(けったい)とは、なんだ?
クリネタおススメの、いい店、おもろい店
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JAZZ BAR直立猿人
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そそられる地名
「昨日、〇〇で飲んだんだ」と聞くとき、そそられる地名ってものがある。そのひとつに上げられてもいい街、蒲田。今回のケッタイは蒲田のジャズバー「直立猿人」だ。蒲田駅西口を出て、東急池上線の線路沿いを歩く。ガード下にいい感じの店が並んでいる。ちょっと東京ではないどこかの街に出張に来て歩いているような気持ちになる。

街灯に「バーボンストリート」と書いてある。バーボンの店が多いわけではなさそうだが、まさか、直立猿人に向かう道だからこういう名前なのか?そんなことはないか。やや歩くとそろそろお店がまばらになってくる。そろそろ店がある場所だが・・・と不安になり始めるころに店のちいさな看板が見える。角が駐車場になったとなりのビル。1階が「白鳥」、2階が「燦燦」というスナックのビルの急な階段を上がって3階。

いつも思うのだが、よくまあ毎回毎回「ケッタイ」なお店を見つけるなぁと感心します。さすが長友編集長チョイス。

蒲田のジャズバー直立猿人は今から40年ほど前にオープンしたそうだ。現在のマスターはまだ2年目で、初代のマスターが身体の調子を崩されてバトンタッチされたらしい。初代マスターの写真が飾ってある。ああ、たしかに40年前だ。1976年頃、筆者も大学生だった。その当時のカラー写真の色あせ具合が似ている。しかもファッションもどことなく見覚えがあった。


現在のマスター石崎さんは、まだ2年目なのに、開店当初からいたような風貌。「この店に最初からいたみたいだ」「とても馴染んでいる」「店の名前にぴったりだ!」(←どういう意味?)と称賛があがった。というわけで、今回は、マスターよりもお店に詳しい常連客であられる日本工学院の秋山潔さんにお話を伺うことにします。

絶滅危惧店
「こういうジャズバーが東京からなくなってきてますね」と秋山さん。昔は新宿、中野、下北沢、自由が丘あたりにたくさんあったそうだ。みんなジャズのレコードを聴きに集まって来た。店ではひと言もしゃべっちゃいけない雰囲気もあったそうだ。だから、ちょっとでもしゃべろうもんなら「シーーーッ!」って言われたもんや、と長友さん。当時はオーディオを買うのも、レコードを買うのもカンタンなことではなかったですからね、と石崎マスター。

テーブル席に6、7人。カウンターに4、5人というとても小さなお店。ここでタバコの煙がモクモクしながらみんなでジャズの名盤を聴いていたのですね。「ここで生演奏もやっていたんですよ」と秋山さん。え!このスペースで!この近さで生演奏が聴けるというのはある意味贅沢だなぁ。でも、このビルのあの急な階段を楽器を抱えて登ってくるのはさぞタイヘンだったんじゃないかと想像します。

ふと、副編集長の柴田さんが少しにやけながらシャレたことを言った。「絶滅危惧店ですね」(いいこと言うでしょ的な笑みを浮かべて)言い得て妙だ。こういう店が少なくなるのは淋しいが、変わっていくのが人生よ。だから絶滅する前にもっと来てね、なんだと思う。

オブジェ
春雨サラダ、あさり豆腐、オムライス。黒板に手書きのメニューがある。うまそうだ。と思ったら、今はもう作っていないという。店長が「昔はやっていたんですけど、いまはこれ、オブジェです」といいながらナッツを少し出してくれた。

「ジャズにはつまみはいらないんですよ」と秋山さんが低い声でぽつり。こうやって文章に書くとクサいセリフのように思えるかもしれないけれど、セロニアス・モンクなどを聞きながら、ほんとにジムビームのソーダ割りがすすむ。「ジムビーム、うまいっすね」とつぶやくと、「つまみがジャズなんだよ」と柴田副編集長がさっき秋山さんがおっしゃったことを繰り返した。すいませーん、氷ください。


ぶ厚い本

直立猿人という店の名前はチャーリー・ミンガスのピテカントロプス・エレクトスからきている。この店のことは平岡正明の平民芸術という著書の中、帝国都改造計画―蒲田に裏国連をーというページに出てくる。——-

——-帰りに立ち寄った「直立猿人」のマスターは頑固そうなところがよかった。直立猿人–チャーリー・ミンガス–古い木造家屋三階のジャズ喫茶、したがってフュージョンはない店、だから入ろう。という論理で階段を上ったタキモッちゃんの推理どおり、あまり流行しなくても趣味でリアル・ジャズを守るといったマスターが、一人、マイルスの「死刑台のエレベーター」のサントラ盤をかけていた。——-

——-この中で平岡氏は「音にいま一つ厚みがほしい」と書いてある。なかなか手厳しい。しかし、この本が出版された頃よりこの店の壁や天井にいろんなものが染みついて、ちょうど今頃いい厚みが出せているんじゃないだろうか。

すごい人のサイン
「これ美術セットでつくるとなると、大変だろうね。なかなか再現できないよね」棚の隙間にマスターのタバコとライター。壊れたオーブントースターは貴重品入れになっている。柱のコンセントの周りにはジャズコンサートチケットの半券がびっしり。中には78年横浜大洋vs阪神、なんてのも貼ってある。赤いマジックで何か所にも印がつけられた日本地図。ジャズを聴きながらバーボンソーダを飲みながら、店内を見回すだけでも飽きない。細かいところがいちいちおもしろい。

「有名なラッパ吹きが来たってゆうといて」

長友編集長が壁にサインを書いてほしいと頼まれる。押しピンで貼られたジャズメンの写真がある板張りの壁にササっと描きはじめた。すごいミュージシャンが来たみたいに描きはじめた。「有名なラッパ吹きが来たってゆうといて」クリネタの読者のみなさん、蒲田の直立猿人にお寄りの際は、「このサイン、なんかすごいミュージシャンのサインなんですか?」と聞いてみてください。クリネタ編集長のサインですね、なんて野暮なことは言わないで。


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JAZZ BAR直立猿人
東京都西蒲田7-61-8エンリコビル3F
電話:090-8726-1728(店長石崎さん携帯)
営業時間18:00 – お客様がいなくなるまで
定休日 日曜祭日
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この取材のあと、長友さんがご存知だった蒲田のうまい鳥の素揚げの店にみんなで行った。「もう絶品やねん」その通りだった。あの日はたしか2月の中頃。カメラマンの木内和美さんが男性陣みんなにバレンタインのチョコレートをくれた夜だった。

No.33 (2016年春号)
クリネタ
http://www.crineta.jp

長友さんを偲んで【稀代】①モンド・バー
長友さんを偲んで【稀代】②BAR JADA
長友さんを偲んで【稀代】③ne & de
長友さんを偲んで【稀代】④ Salon書齋
長友さんと一緒に【稀代】⑤抱月
長友さんと一緒に【稀代】⑥EST!
長友さんと一緒に【稀代】⑦赤道倶楽部
長友さんと一緒に【稀代】⑧ボロンテール
長友さんと一緒に【稀代】⑨KOMATSU RESTAURANT & BAR
長友さんと一緒に【稀代】⑩JAZZ BAR直立猿人

スタジアムの言葉


3年前の大阪長居競技場 親善試合で日本がオーストラリアに勝った試合後、オーストラリア側のコンコースに「アジアカップ決勝で会おうぜ!」というメッセージ。

日本代表がロシアW杯出場を決めた埼玉2002スタジアム、オーストラリア戦。そこで掲げられた横断幕の言葉についてフェイスブックに自分の思いを書きました。それに少なからずの反響がありました。同意してくれた意見もあり、そうは思わないという声もあり。一連のコメントをもらって初めてわかった事実もあり、思い出したことや、考えたことをもう一度まとめておこうと思ったのでした。

まず最初に、先日書いた文章が、これです。
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残念な横断幕
ロシア行きを決めた試合後の埼玉2002のスタンド。数年前(2009年南アフリカW杯最終予選の時)にオーストラリアサポーターが掲げた「Nippon Forever in Our Shadow!」(日本は永遠に俺たちの影)に対してのジョークなんだろうけど、これを準備しておこうぜ、と思ったセンスにちょっとガッカリ。

1997年フランスW杯最終予選で日本が苦戦していた時、ライバル韓国はすでに出場を決めていた。その韓国での最終予選の日韓戦、チャムシル競技場。もう絶対日本が負けられない試合で、韓国サポーターの真っ赤なスタンドに『一緒にフランスへ行こう』という横断幕があった。ボクは日本人としてうれしかった。韓国サポーターの方がW杯の先輩だった。

ボクだったら、日本サポーターがオーストラリアに仕返しするんじゃなくて、『一緒にロシアへ行こう』って言葉を掲げたい。それを試合前に準備しておく。そしてロシアで同組になってドイツW杯での借りを返すのが、一番カッコイイと思う。

と書きました。
(注:2006年ドイツW杯の予選リーグ第1戦日本vsオーストラリア戦。1点リードしたものの終了間際に3点入れられ逆転負け。当時オーストラリアはオセアニア地区。現在はアジア勢同士が1次リーグで同組になることはありません)
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この書き込みに対して「そうだ!そうだ!」という同意のコメントと「いや、あれはあれでいいじゃないか」というコメントが集まりました。ボクは両方の考えがあっていいと思うし、あるだろうと思っていました。だから、ボクならこうする、を書いたわけです。いろんな声が聞けて意義のあるスレッドになったと思います。

すると、これらのやり取りを見ていた「ある事情通」が書き込んでくれました。「正也さん」です。正也さんは、国内はもちろん、多くの海外アウェイの日本代表の試合を現地で応援している、コアなサポーター。海外で見かけるおなじみの日本語の横断幕も、正也さんたちが張ってくれている横断幕もあります。(他にもいろんなグループがあるらしいです)で、この正也さん、ボクともフェイスブックで繋がっている友だちなのです。そこで知った、この「お返事横断幕」の背景をもっと多くの人に知ってもらうべきだと思ったのです。

まず時系列で話を整理すると
南アフリカW杯最終予選の最終節。2009年6月17日、オーストラリアのホーム、メルボルン・クリケットグラウンド。日本は1点先制するも、「天敵」ケーヒルに2点を決められ逆転され、敗北。その試合終了後、オーストラリア側のスタンドに掲げられたバナーがこれでした。「NIPPON;FOREVER IN OUR SHADOW(日本は永遠に我々の影)」

で、今回の「AUS; Forever in Our Shadow!」は、その時メルボルンにいた正也さんの先輩の日本サポーターたちが出した横断幕なのだそうです。ただ、メルボルンでのメッセージに対しての「仕返し」の意味とは違って「日豪のサポーターシーンの中で、彼ら(オーストラリアサポーター)が日本をそういう相手として見てくれている事に対して、僕ら(日本サポーター)も返事をしている、だけなんです」と正也さんが教えてくれました。

考えてみれば、スタジアムでお互いの代表チームを応援していて、サポーター同士も自然と顔見知りになるだろうし、知り合いになってそういう話をしているんだろうと想像できます。実際、正也さんの知り合いのオーストラリアサポーターとも「それやり返すべき!お互いにサポーターから盛り上げていいし」って話していたそうです。

さらに貴重な裏話を教えてもらいました。日本から「AUS Forever in Our Shadow!」のメッセージは、いつか出したいね、という話はすでにあったそうです。3年前の大阪長居競技場でのオーストラリア戦で勝ったら出したい!という話になりかけたそうですが、正也さんが「親善試合で勝つのはリベンジじゃないし、アジアカップも控えてるので【決勝で会おうぜ】みたいなほうがいいと思う」って話して、みんな納得して、こんな幕をオーストラリア側のコンコースにだけに出したそうです。『See you against at final in the Asian Cup!!』(写真参照)そういう「心意気」があったのですね。でもそういう話はテレビ中継からだけでは伝わってきません。

正也さんは、「オーストラリアが嫌いで、ザマァ見ろ、なんて思っていないことをわかってほしい」と言っていました。そういう意味でも「ともにロシアへ」のメッセージも欲しかったなぁ。

正也さんとのきっかけ
で、そもそもボクみたいに(フランス、日韓、ブラジルW杯には行きましたが)テレビ観戦しながら文句言ってるサポーターと声を枯らしたコアな横断幕サポーターの正也さんがどうやって繋がったか、のお話をしておきましょう。

ボクはコピーライターとして、東日本大震災直後、サッカー日本代表の仕事を担当していた時期がありました。その時、ブラジルW杯のザックジャパンの時に書いたのが「新しい日本を見せよう。」というコピーです。これはキリンカップなどのバナーとして使っていただきました。このコピーは、キリンの広告コピーですが、ボクとしてはサッカー日本代表の横断幕の言葉のつもりで書きました。負けている時や疲れている時、選手やサポーターたちがこれを見て「よっしゃ!」と思ってもらえる言葉、のつもりです。

ブラジルW杯後、アギーレジャパンになった頃、新しいCMを制作しました。使える映像は撮影するのではなく、最新のキリンカップや親善試合などの試合映像をつなぐものです。編集して音楽を入れてコピーを入れて、一つ重大な問題にぶち当たりました。使っている映像にとある横断幕が映っているのです。たいていのものは事前に許可を得ているものの、これはまだ連絡できていない。確認が取れていない横断幕が背景に映っている。
CMの中のワンカット

それが「日本人として、仲間として俺等は此処に居る」という横断幕でした。無断でCMに使うわけには行きません。どうやってこの横断幕の持ち主、責任者を見つければいいか、スタッフはスタジオで途方に暮れかけました。その時、閃きました。

ブラジルW杯に行った時、ボクは多くのサポーター仲間と知り合うことができました。その人たちのネットワークで、あの横断幕の持ち主がわからないだろうか?スタジオから何人かにメッセージを送ったところ、すぐに返事がきました。「○○に聞けばわかるんじゃないか?」「あ、それウチのですw」「今は正也がリーダーとしてやってます」あっという間に持ち主がわかった。それがきっかけで正也さんと繋がることができ、許可を得ることができたのです。
先日のオーストラリア戦のゴール裏にもしっかり掲げられていた「日本人として、仲間として俺等は此処に居る」

幕を運ぶ
この言葉の横断幕は、正也さんが先輩たちから受け継いだもの。もう日本代表の試合を代々応援してきた汗と涙の染み込んだ横断幕なのでしょう。しかも世界中を飛び回って。スタジアムで見かけるこの横断幕。スタジアムでは見慣れているけど、これを運んでいるところを見たことある人は少ないと思います。大抵試合の数時間前にスタジアムに到着し、観客が入る前に一番最初に張られるものだから。

2014年 Arena das Dunasへの道 NATAL Brasil

この写真はブラジルW杯、ナタウでの日本vsギリシア戦のスタジアムまで歩いている時のもの。偶然、横断幕を運んでいるサポータを発見。こんなに大きな荷物を毎試合運んでいるんですね。(右を歩いている日の丸チョンマゲ甲冑の人は有名なツンさんです)やはり、試合に掲げられる横断幕には「魂」が込められているんだなぁ。

何年にも渡って先輩サポーターから引き継がれた「言葉」。顔見知りの相手サポーターへの挨拶、返事としての「言葉」。広告コピーなんだけど選手やサポーターに届けたい「言葉」。勇気をくれる言葉、励ます言葉、笑いを取る言葉。言葉にはそれぞれ目的があるけれど、正解はありません。スタジアムに掲げられる言葉にも、もちろん正解はない。広告コピーと一緒で、正解はない。「いいね!」という人もいれば、「そうかな?」という人もいる。だからこそ、一人でも多くの人に届く言葉を、考えて考えて選ぶ。これからも声援だけでは届かない、「スタジアムの言葉」を大事に見ていこうと思います。