自己ベストの更新


1999年2月26日、新橋のPePeというイタリアンレストランに集合しました。まだフランスW杯の熱が冷めずにいた頃、F.C.BACCANOは設立されました。その日にはまだ、チーム名も何も決まっておらず、ただ、サッカーチームをつくろう、とだけ決まったのでした。

最初の練習は神宮外苑フットサルコート。当時はフットサルボールという専用のボールがあることさえ知らず、5号球のサッカーボールを持って行ってたなぁ。あれから19年『ケガをしない、楽しいフットボール』をモットーに、ずっとボールを蹴り続けてきました。


2018年2月26日、偶然にも同じ日にコートが取れて、仲間とフットサルができました。小学校1年からサッカー始めて、中学、高校、大学とサッカーやっても16年。それより長い19年。すごいと思います。一緒に遊んでくれる仲間に感謝です。


個人的には、6ヶ月前に左膝を痛めて、ずっと治療や筋トレなどに励んできて、なんとかこの日にボールを蹴りたかった。そして6ヶ月ぶりにゴールを決めることができた。バッカーノ最年長ゴール記録に並びました。ひとりうれしさを噛み締めながらの帰り道、「そうだ、これは、自己ベストの更新なんだ」と思いました。若い人は「そんなにうれしいことなのか?」と思うかもしれませんが、何歳までできるか限界が近づいている自分にとって、この記録はとても大事なことなんです。60歳と5ヶ月目のゴール。最高っす。

40代で始めたバッカーノ。そういえば同い年のタツと「何歳までできるだろうね。60くらいまでは蹴りたいね」と昔、話していたなぁ。二人で自己ベスト更新し続けますので、アシストお願いね。

犬の攻撃性は後天的なもの・ピットブル(ロキシー)⑥


シーザー・ミランの愛犬レスキュー2

CESAR TO THE RESCUE

ナショナルジオグラフィックTVの ザ・カリスマドッグトレーナー、シーザー・ミランの『愛犬レスキュー2』という番組。その言葉をメモしていきます。ビデオを見るだけでなく、読んで覚える。いつか犬と暮らす日のために。

(いままで5回、番組をメモしてきました。読み返してみると重複している内容が多い。犬をしつけるということは、飼い主をしつけるということ、なんですね。何度も読んで身体に覚えこませるために、コツコツ続けます)
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今日の相談は、ピットブルのロキシー(メス)。飼い主家族の前ではおとなしいのに、一歩外へ出ると、超攻撃的。他の犬を見れば襲いかかろうとする。1.5mのフェンスも飛び越えて外に出ようとする。近所のラブラドールを襲って血まみれにしたこともある。このままでは殺処分も考えなければいけないほど。そのロキシーにシーザー・ミランが会いにいきます。

・ロキシー(ピットブル・メス)
・ナタリー(飼い主の女性)
・シーザー(先生)


闘牛みたいだ。まず首輪の位置を変えましょう。
(一般的な首輪の位置だった)
これではコントロールできません。必死に掴んでいるだけです。
力のある犬なので、首輪はあごのすぐ下につけます。
首の下部につけると犬に力負けしてしまいます。

シーザーがそのリードを持って街を歩く。
他の犬を警戒し始めたら
「Shuitt!」「Hey!」と短く鋭く声を発し、
短く持った、首の下部につけたリードをサッと引き上げる。
シーザー得意のバックサイド・ヒールキックも(犬の下腹部へ)。

(犬を左に置いたこの状態で、シーザーは右足のかかとで犬の右腹をツンとタップします。後ろ回し蹴りです。バックサイド・ヒールキック。犬は不意を突かれ興奮状態から我に帰るのです)

よくない状況です。にらみ合っているでしょう。目つきが鋭すぎます。
「やるのか?」とケンカを売っています。もはや中毒になっているんです。
襲うことに快感を覚えていて「早くアイツを殺したい」と思っています。

足でタップして注意しました。
気を紛らすためですが、ロキシーは執着したままレッドゾーンです。いつでも襲いかかる。

時間をかけて適切な解決法を探りましょう。
ただナタリー
(飼い主の奥さん)のように、怯えた飼い主は、
レッドゾーンの犬には非理想的です。

犬の攻撃性は後天的なものです。
ここまで攻撃的だと、この近所で飼うのは危険です。
ドッグ・サイコロジー・センター(シーザーの施設)でのリハビリが必要ですね。

飼い主は犬が興奮しているだけだと思っている。それは違う。
それを「性格」と呼べば犬を混乱させます。
犬の興奮状態を飼い主が喜べば、攻撃性は治りません。

別の発散方法を教えるんです。そうしないと、興奮したままでは危険です。
浴びるように犬の群れと接することで、飼い主の自信が増します。
他の犬がいても散歩できると思えるように。

(シーザーは以前、「飼い主の不安・怯えはリードを通して犬に伝わる」と言っていた。飼い主が不安だと、犬は自分がリーダーだと錯覚する。自分が飼い主を守らなければと錯覚して凶暴になることがある。飼い主がリーダーとしていれば、犬の安心して穏やかになる、と言っていた。やはり問題は飼い主にあるんだな。禎)

群れに混じって散歩しましょう。
(シーザーの犬たちと数頭でドッグ・サイコロジー・センターの中を散歩)
攻撃性はなく、不安そうです。

ナタリーひとりが呼ばれる。見るからに不安そう。

リラックスして。あなたが群れの中心です。
リードは短めに持って。緩めに。これが散歩です。
リードは念のために持つのです。自転車の補助輪と一緒。

今度は夫婦二人でリードを持たせる。
二人の気持ちが同調していないから犬に落ち着きがない。
犬が不安になるだけなので、犬を見ないで。
飼い主の不安や緊張は犬に移るんです。犬を見ると犬の攻撃性を助長させます。
頭をあげてリラックスして。人間次第で犬は変われるのです。

飼い主から離れて、シーザーの犬たちの群れにどう反応するかを見ます。
攻撃性があるので慎重に。(庭の中でリードを離す。大型犬のいる庭)
ロキシーは、興味津々で、環境の変化に集中している。
でも明らかに落ち着きがない。

「Shuitt!」と近づくとロキシーは座った。
その前にロキシーが見せた一瞬の仕草をシーザーは見ていた。


今、この
(庭にいた)ラブラドールに近づきながら前足を挙げましたね。
二つの可能性があります。
警戒心を抱いているか、攻撃する構えか。
だから、「Shuitt!」と近づいて座らせました。

なんとか穏やかで従順ですが、不安も抱えています。
シーザーが近づいて、「Shuitt!」と少し注意すると、後ずさりして伏せの状態に。

「僕を尊重している証拠です」お腹を見せてゴロンと横になった。
「これは光栄ですね。他の犬の前で腹を見せました。
戦意はない、という合図です。

この犬は生まれ変われます。
ただそのためにはナタリー(飼い主)のリハビリが必要です。

ナタリーとロキシーを会わせる。
こっちに来てもらいますが、触らず・話さず・目を見ないで。
No Touch. No Talk. No Eye Contact.
ナタリーは不安を抱えすぎです。このままだと犬は危険なままです。
「その手は癖ですか?」
(ナタリーはいつも不安そうに両手の指を体の前で組む癖があった)
そのポーズは犬に不安を与えるだけです。止めましょう。
さ、群れの中心に来て、できる限り穏やかに、自信を持って。
そしてリードを手に歩きます。

(そういえば、乗馬をするときも手綱から馬はその乗り手の力量を測っていると聞いたことがある。こいつは素人だ、こいつは慣れている、が手綱からわかる、と。それと一緒なんだろうな。禎)

犬のそばでは後ろに下がらないで。前に進めば犬はどきます。
前に進めば犬は人を尊重します。下がったら負け。

人が、触らず、話さず、目を見なければ、犬は穏やかになる。
あなたの態度次第なんです。

(ロキシーが久しぶりに会う飼い主に飛びつこうとするが)
そのまま進んで前へ前へと出ましょう。前へ、前へ。
ほら、犬はどきました。リードを短く持って、ためらわないで、自信を持って。

まだロキシーは興奮しています。あなたが犬を導くんです。
もう少し強く、強く踏み出して、堂々と歩きましょう。
犬に遅れを取らないように自分をリハビリしないと。

「飼いたいのに犬が問題を起こす」→「あなたに問題があるからです」

適切なエネルギーを身につけましょう。
人の不安や緊張が犬に移り、伝染する。
あなたが子どもの手本となり、穏やかで毅然としないといけません。

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(ピットブルは凶暴な犬だというイメージがあった。多くの人もそう思っている。でもシーザーはそれは誤解だという。『犬の攻撃性は後天的なものです』と言っている。飼い主が怖がっていて、毅然として接していないから、犬は自分がリーダーだと思ってしまう。それはピットブルに限らずどんな犬でもそうなる、という。犬が悪いんじゃない。悪いのは知識のない飼い主の方なんだ、とシーザーはやさしく教えてくれています。禎)
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『犬と暮らす日まで』シリーズ
人生は犬で決まる
100人に抱かれろ・・・仔犬の社会化
噛むように触る・ジャーマンシェパード(モジョ)①
緊張は犬に伝わる・グレーハウンド(アミーゴ)②
飼い主の責任・ジャックラッセル雑種(マンボ)③
リーダーがすべてを決める・ラブラドール(ジェット)④
危険な犬種という誤解・スタッフィ(ロージー)⑤
犬の攻撃性は後天的なもの・ピットブル(ロキシー)⑥

山田先生の手書き文字


中学の時の担任、山田弘司(ひろし)先生は、当時まだ30代前半の若い体育の教師だった。紺色のVネックのウインドブレーカーで、裾が細くなっているランニング用のジャージに、いつも両手を入れていた。(ポケットに、ではなくウエストのゴムの内側に手を入れていたように思う)手より先に蹴りが飛んでくる怖い先生だったけど、みんなから好かれている先生だった。フェアで正直で真っ直ぐな先生だったからだと思う。

昨年の8月、北九州市門司区で柳西(リュウセイ)中学卒業生の還暦同窓会が催された。中学3年生が60才になるのだから山田先生はもう70代後半なのだろう。何度か重いご病気で入院されていたそうだが、『あの世から「まだ来るな」と言われたんじゃ』と笑っていた。同窓会でお会いして、コピーライターとして書いた本を贈り、読んでいただき、一緒に写真を撮り、その後何通か手紙のやり取りをさせていただいた。

『早いもので同窓会から半月経ってしまいましたネ。本当に楽しい会で時間が止まって欲しいと何度も思った』と葉書をいただいた。同窓会のとき、別の中学での教え子が東京代々木でレストランをやっているから行ってみなさい、と薦められた、その詳しい話が書いてあった。家人の誕生日にそのレストランに行き、オーナーの方と山田先生の話をして笑い合った。その報告をしようとした時、山田先生が今年に入って療養のため再入院されていると知った。

先生を励ます意味で手紙を書いた。「ボクは今、フットサルで膝を痛めているので、プールで泳いだり筋トレしたりしています。60才になり、この体で生きていくので人間ドックや大腸内視鏡など点検・整備してやってます。山田先生も、東京オリンピックのマラソン見るまでは頑張ってもらわないと(笑)」と書いた。筆まめな山田先生から返事が来ない。病床でまだ書く元気はないのかも、と思っていた。ふと昨夜、机の上に置きっ放しになっていた、山田先生からのハガキに目がいって、ああ、返事がないのはまだ元気じゃないのかもなぁ、と思った、その翌朝。

柳西中学の同級生からメッセージが届いた。『昨夜23時33分、山田弘司先生がご逝去されました』昨夜、このハガキに目をやった頃の時間だ。山田先生がボクのことを思い出してくれていたのかもしれない、と思った。

ボクは、人が亡くなった時、しばらくはその辺を飛び回っているんじゃないかと思っている。魂は肉体からは抜け出てしまうから、その分、何処へでも飛んでいける。会いたい人に会いに行ったりできるんじゃないかと思っている。行けるんだけど、話せないし触れもしない。だけど見えてるし聞こえてると思っている。

電報を送ったり飾り花を送ったり会社名や役職名だけの看板を送ったりするのではなく、目を閉じて、山田先生のことを思い出すことが一番の供養だと思っている。九州の方角に向かって正座して黙祷。山田先生、ありがとうございました。

『・・・時間が止まって欲しいと何度も思った』という手書きの文字に、胸が詰まります。

仲人はやらないよ

写真はその9代目が卒業記念で作ってくれた短冊ポストイット

中村組のOBが「禎さん、ご報告がありまして」と妙に畏まってやってきた。「実は今度、結婚することになりまして。彼女を紹介したいので今度お食事する時間をいただけませんか」という。そりゃ、おめでとう。と、土曜日のランチの約束をした。

奥さんになる人とその彼と3人で会う。ん? もしかして仲人とか頼まれるの?それはダメだよ。それなら行くのはイヤだなぁ、と確認したら、そういうことじゃないという。それならいいや、と出向くのだが、何か違和感があった。なんでわざわざ彼女を紹介するのだろう?と。

ああ、もしかして、奥さんになる人。ボクも知ってる人で、ビックリさせようとしているのかも、と思った。誰だろう?彼の同期か?もしかして、OBの先輩か?後輩か? そういう心の準備をして、表参道のおしゃれな和食屋の階段を降りていった。

『あ!やっぱり!笑』だった。二人は中村組9代目の同期だった。そういうことか!そんな気もしたんだけど、この組み合わせだとは想像つかなかったね。

コピーライター養成講座専門コース中村組同士で結婚するカップルはこれで二組目だ。中村組のOBだから、人柄は保証します。傘の先っぽを振りながら歩くなんてしないし、電車の中でリュックを背負ったままで人の迷惑になることなんてしない。口喧嘩になりそうなときも、相手は何を言いたかったんだろう、と思い至れるし、自分がされたら嫌なことは人にしないし、自分がされてうれしいことを人にしてみるし。

コピーのテクニックを教える講座じゃなく、人として幸せに生きていくためのヒントを教えたられたとしたら、最高です。ずっと仲良くシアワセにね。

60歳は、いま何時?


年齢を重ねていくと、誰しも「寿命」を考えると思います。何歳まで生きるのだろう、と、考えても仕方のないことを考えてしまう。そして、1日24時間のうち、いま何時くらいだろう?と考える。日付が変わる24時で一生を終えるとしたらいま何時くらいなのか。日が暮れて、夜になって、ああ、もう1日も終わってしまうのかと寂しくなるから、そういう計算はするまいと思っていました。

でも、「ん!」と思うことがあったので、算出してみました。人生90年としたら60歳は3分の2。24時間でいうと16時。夕方の4時ですね。人生85年で計算すると、24(時間)÷85(年)×60(歳)=16.9411765(時)約17時です。夕方の5時。そう、『5時から男』(←知ってる人は知っている)の時間です。そろそろ仕事を片付けて、待ち合わせをして、おいしい食事とおいしいお酒が待っている時間。好きな人たちと過ごせる楽しい時間の始まりです。

40代はもちろん、50代の人もまだ勤務時間中。まだシャンパンで乾杯するには早い時間でしょ。まだまだ頑張らなきゃいけない、いろいろ我慢しなきゃいけない時間帯。(頑張って!)

これから深夜24時までの時間を、フルに楽しむために大事なのが「体調」です。これから大好きなフットサルして、おいしいもの食べて、お酒を飲んで楽しむわけだから、途中でケガしたり、気分が悪くなったり、眠ってしまっては意味がない。そういう意味で、体のメインテナンスが大事です。

まずは左膝を治す。大腿四頭筋の筋トレ、ストレッチ、プールトレーニング。そして人間ドック。脳のMRI 、血液の腫瘍マーカー検査。そして大腸内視鏡検査。この1957年製の身体を点検・整備して、夜中の24時まで突っ走りましょう。

社員を誇る作品集


CMプロダクションのスプーンさんから、小さな冊子が届いた。
スタッフそれぞれの、仕事の現場での忘れられない
「たべもの」についての話が綴られている。
ただの読み物としても楽しいんだけれど、
これほど素晴らしい「作品集」はないんじゃないか、と思った。
冊子の後半にCM作品が慎ましく紹介されている。
家のポストに入りきらないような大判の作品集ではなく、
ポストにコトンと届くサイズの作品集。
作ったCMが素晴らしいことを誇るのではなく、
社員を誇る作品集。
広告は結局、「人」がつくるんだもんね。

No Challenge, No Chance


第55回宣伝会議賞の一次審査通過者の名前が発表されました。応募総数45万8944点のうち、通過率はなんと1.1%(5336点)の狭き門。その名前のリストに初代中村組OBから現役15代目までの中村組のフルネームを見つけました。見逃している人もいるかもしれないけど(ゴメン)全部で50名。

中村組では「名前はいつもフルネームで。自分のフルネームは自分のブランドなんだから」と言っています。自分のフルネームをどんどん見せびらかしていこうゼ、と。
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■112新免弘樹■118廣川洋平■120松本茜■214佐藤潤一郎■315中村斉継■502飯田啓貴■514孝田純一■601阿部希葉■602阿部裕一■716柴田尚志■810島田寛昭■821松田孝一■824山内昌憲■904大杉 陽■912佐藤仁康■922程塚智隆■1005植村明弘■1014菅谷敏通■1025柳元良■1101阿部亮介■1109岡山和也■1114小嶋千晶■1207栗原啓輔■1210高石幸典■1211高橋俊一■1212玉熊文乃■1220福本剛士■1221本田陽子■1224森下夏樹■1226矢内そらん■1303石塚啓■1313谷将光■1315林田淳■1401青木美穂■1403天野正晴■1405打田倫明■1409芹澤高行■1410藤榮卓人■1414中島崇■1419福田瑞穂■1506小笠原清訓■1508熊谷愛■1509佐藤日登美■1510島村浩太■1512田中恵美子■1514永井景都■1516畑創■1517日比野はるか■1518平嶋さやか■1524村松佳奈

(私の名前見逃してます!があったら教えてね。修正するから)
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この中から何人と授賞式で会えるかな。いや、その前に、この宣伝会議賞に挑戦して、見事一次審査を通過した彼らを称えたいと思います。インディ500でアジア人として初優勝した佐藤琢磨選手の好きな言葉を思い出しました。

『No Challenge, No Chance』

一次審査落ちちゃったけど、これダメでしょうか?を見るOB会、やろうかな。

「長生きしたんが悪かったんかのぅ」

高齢者が古いアパートの建て壊しで退去を迫られ、転居先がなくて困っているという報道番組を見た。身寄りのないお年寄りの一人暮らしには、なかなか部屋を貸してくれないのだという。「長生きしたんが悪かったんかのぅ」という呟きが重い。みんなが長生きしたいと思っているという時代から、長生きしないほうがいい、という時代になっていくのか。超高齢化社会とはこういうことなのか。

2025年問題という言葉があるのを知らなかった。2025年には団塊世代が後期高齢者(という言い方は好きじゃないけど)75歳以上になる年だという。そんな中、朝日新聞の記事が目に留まった。「いかに最期を迎えるか 自分なりの死の哲学」という記事。先日逝去された評論家の西部邁さんのことに触れられていた。彼を自裁死に至らせたのは、家族に介護上の面倒をかけたくないという思いからだったかもしれない、という。

考えさせられる。いや、考えなくてはいけない。そう思って、昨日の新聞を取り出して切り抜いた。そしたら、その裏に、「すごい…」の広告が。広告を裏にして折りたたんだ。