篠田桃紅さんとのセレンディピティ②

篠田桃紅さんのインタビュー番組を偶然見ることができた。その時の言葉をメモした。次元は違うのだろうが、コピーを書くときと同じ感覚があると思った。その言葉。

ーーーーーーーーーーーーーーー
心というものがすごく邪魔をしているんじゃないでしょうか、作品を作ることを。

どうやったら心が後ろ側に行ってくれて

ものをつくろうという意思が後ろ側に行ってしまって

私をつくらせている本当の芯みたいなものだけが紙面に出てくる時間、時、機。

そういうときがあるような気がする。

(1982年当時70歳頃の制作風景での言葉)

ーーーーーーーーーーーーーーー
全く次元が違うことかもしれないけど、同じようなことを感じたことがある。昔、年賀状のために墨を磨って半紙に書き初めをしていた時期があった。思いを込めてその「文字」を書くのだけれど、どこか「うまく見せたい」という気持ちが忍び出てくる。書いたものを何枚も床に並べて眺めてみると、そういう下心が出た字はすぐわかった。どこかいやらしい、どこか見栄を張った、どこか騙そうとしている文字に見えた。結局一番いいのは、何も考えずにガッと勢いで書いた文字だった。という経験をしたことがあった。

同じように、コピーを書くときもそう。どこか「褒められよう」とか「うまいね、って言われよう」とか「広告賞を獲ろう」とか、そういう不純なものが混ざったコピーはやはり醜い。すぐ化けの皮が剥がれる。それは、広告となって世の中に出たとき、なんの力も持たない。良い悪いの問題以前、消費者の目に入らない。制作者側が自己満足しているだけのものでしかない。だからやっぱりコピーは「うまいこと言おう」ではなく、「本当のことを言おう」だと思う。

桃紅さんとはレベルが違うのだろうが、「心を後ろ側に」というのは、邪念とか邪心とかそういうものが消えて、「自分の芯」が紙面に書かせる状態がいいのだと思う。つまり「ホントに思ったことを書け」なのだ。(「思った」時点でダメなのかも。無意識が書かせる、ということなのだろうか)

そういうことですよね?桃紅先生(怖くて聞けないけど)

篠田桃紅さんとのセレンディピティ①
篠田桃紅さんとのセレンディピティ②
篠田桃紅さんとのセレンディピティ③


2 thoughts on “篠田桃紅さんとのセレンディピティ②

  1. ピンバック: 篠田桃紅さんとのセレンディピティ① | ぶ厚い手帳:コピーライター中村禎の場合

  2. ピンバック: 篠田桃紅さんとのセレンディピティ③ | ぶ厚い手帳:コピーライター中村禎の場合

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です