今日のピンバッジ@サン・アド杯ゴルフ

2014年のサン・アド50周年でいただいたピンバッジ。なかなか着けるチャンスがなかったのですが、今日じゃん!という日がありました。真夏のサン・アド杯ゴルフコンペ。サン・アドのOBとして誘っていただいているゴルフコンペ。最近はノージャケットでもOKなゴルフ場もあるそうですが、このピンバッジを着けるためにあえてジャケットで。誰もこのピンバッジを着けてくる人はいなかったけれど、「あ!そのピンバッジ!」と気づいてくれる人がいました。

ピンバッジって、自分が好きだから着けているのですが、誰かの目に止まって、「あ!それ!」となって、ちょっと会話のやり取りができると、うれしくなります。「ボケ」ているわけじゃないけど、「ツッコミ」が欲しいんです。ピンバッジをつけている人を見たら、そこに軽く「ツッコミ」を入れてあげると、その人は100%よろこびます。

昨年秋の九州ゴルフ以来の、今年初ゴルフでしたが、すごくいい内容でした。練習とかしないほうが調子いいみたい。賞品に角ハイボール(濃いめ)1ケースいただいちゃいました。ありがとうございます。気持ち良かったショットの、手に残る感触を思い出しながら、2缶目プシュ。
【今日のピンバッジ#10】サン・アド50周年記念ピンバッジ

 

F.C.BACCANO ベストイレブン・ピンバッジ

我ながら、よくやってると思います。FCバッカーノというチームを1999年2月からやっていて。来年の2月で18周年です。毎年、参加した人のポイントをつけてましてね。行事への参加不参加連絡の返事をくれたら1ポイント。ボールを蹴りに来たら2ポイント。そのあと飲みに行ったら1ポイント。ビッグイベントへの参加は3ポイント。そうやって年末の忘年会に集計して、上位11人をベストイレブンとして表彰します。コミッショナー(ボクです)の個人的趣味でピンバッジを贈呈しています。今年で18個目。

写真左上から1999年のピンバッジ。バッカーノのエンブレムの元になったACパルマのピンバッジ。2個目はバッカーノのチーム名の名付け親である小野伸二選手が移籍したフェイエノールト。3個目はFCバッカーノの頭文字と同じ「FCB」であるバイエルンのピンバッジ。そして2002年のは日韓W杯でブラジルが優勝した年なので5つ星のブラジル。クラブW杯で優勝したサンパウロFCや稲本が移籍したガラタサライ。10周年には背番号10のプラティニのピンバッジ。日本のサッカーショップに同じピンバッジが11個も、なかなか売ってなくて、仕入れが大変になってきて。欧州へロケや旅行に行くメンバー頼んで買ってきてもらったり。#25アドリオーノにスペインで買ってきてもらったエスパニョール。#49エイスケッタに頼んだ金色のイタリア代表。ロンドン五輪もアドリオーノの2012ピンバッジ。そしてロンドン旅行に行った#2マイコビッチから送ってもらったマンチェスターシティ。そして2014年はブラジルW杯の。2015年はクロアチア旅行に行ったキャプテン#6ハセゴンに探してもらったディナモ・ザグレブ。

一番下の列は、スペシャルで、9周年の時の9番ファンバステン、MVPにあげたザックジャパン代表ユニ。そして#10タッツィオが発注してくれたFCバッカーノオリジナルピンバッジ。

そして、今夜、2016年のバッカーノ忘年会。レアなピンバッジを贈呈します。数年前に買ってあったもの。リーガエスパニョール、アスレチック・ビルバオのピンバッジ。たぶん、日本に11個しかないと思います。

【今日のピンバッジ#13】赤い羽根共同募金


【今日のピンバッジ#13】赤い羽根共同募金

第7回赤い羽根全国ミーティング「じぶんの町を良くする会議」に参加するため、宮城県松島に向かいます。以前から10月の募金時期だけ胸に針のついた羽根をつけるより、ピンバッジのほうがいいなぁと提案していたら、ついにできました。言い続けるもんですね。

「じぶんの町を良くするしくみ」というコピーは、ずいぶん前に白土謙二CDと一緒にお手伝いさせていただいたときのコピーです。長く使っていただいてるコピーです。

【今日の腕時計#01】カラトラバ

パテック #01 PATEK PHILIPPE カラトラバ

親分に会う日はいつも、この腕時計をすることにしている。親分からいただいた腕時計。正しくいうと、親分と交換した腕時計だ。2001年、ボクが東京コピーライターズクラブの最高賞を獲ったとき、親分が「おめでとう」と言ってくれた。「ナカムラ、腕時計見せてみ。ふ~ん、グランプリ受賞者はもっといい腕時計をしなきゃダメだ。オレがもっといいの、やる。交換や。はずせ」  もっといいの、といっても当時ボクが愛用していたROLEXサブマリーナーだってかなりエエやつだ。今の会社に入って最初に行った長期海外ロケの日当がかなり出たので、記念に免税店で買ったものだった。重いロレックスをはずして手渡されたのは、ずいぶん軽いものだった。PATEK PHILIPPEカラトラバという腕時計。「たしかローマで買うたヤツや」美しい・・・。自分には似合わないかも、と思った。でも、こういう時計がさりげなく似合う男にならんとアカンよ、と言われたような気がした。その夜はうれしくて美しくて、布団の中でずっと眺めていた。(裏がスケルトンになっていて、見ていて飽きないのですよ)

ところでボクのROLEXサブマリーナーは何処へ、というと、しばらく親分のデスクの引き出しに入っていたそうだ。それが今、うちの組の弟分の太い腕にある。仕事でお祝いごとがあったその弟分にボクの腕時計が受け継がれているのだ。「もっといいことがあったら、もっといいヤツと交換や」と親分は笑う。

今日はこの腕時計をして行く。親分のコピー殿堂入り、東京コピーライターズクラブのHALL OF FAME受賞のお祝いに、組のOBたちが集まる日だから。「おっ、ナカムラ、いい時計してるねぇw」とは気づかないとは思うけど、親分に会う日はいつも、この腕時計をすることにしている。

【今日のピンバッジ#12】スタッド・ドゥ・フランス

スタッドフランスPINS【今日のピンバッジ#12】スタッド・ドゥ・フランス

1998年フランスワールドカップ決勝が行われたスタジアム『スタッド・ドゥ・フランス』。フランスvsブラジル。ジダンの2ゴールとプティのダメ押し3点目でブラジルを破り、フランスが優勝したスタジアム『スタッド・ドゥ・フランス』

日本代表の第2試合目、ナントでのクロアチア戦が終わって、すぐバスに乗り込みパリへ向かう。次の日の早朝の飛行機で日本に帰るため、深夜にパリに入り、ホテルで仮眠して空港に行くというスケジュールだった。深夜を走るバスの中で目を覚ますと、パリ独特のオレンジ色の照明の中に大きな建物が見えた。それが『スタッド・ドゥ・フランス』だった。そこでの試合は見れなったけれど、周りだけでも偶然一瞬見えてうれしかった。空港の売店で記念にこのピンバッジを買った。サッカー好きじゃないと「なんじゃこれ?」だと思うこのピンバッジ。フランスへ哀悼の意を表して、今日のピンバッジとします。

【今日のピンバッジ#11】ブラジル2014


ブラジルピンバッジ【今日のピンバッジ#11】ブラジル2014

遅いランチを食べようと、とあるハンバーガーレストランに入った。注文を済ませるとウエイトレスの女の子が「そのバッジ、何か特別なものなんですか?」と聞いてきた。一瞬「え?」と思ったが、今日のこのブラジル・ピンバッジのことを聞かれたようだった。「あ、これ、ブラジルW杯で買ったおみやげなんです。ブラジルの国旗が、ブラジルの国のカタチしてるんですよ」ボクは自慢げだった。その子は別にサッカーが好きなんじゃなくて、ただ「ああ、そうなんですね。なんかブラジルっぽい色だナと思ってw」と笑った。

「これはね、サンパウロ空港の売店で偶然見つけてね。数個しかなかったんだけど、11個ありますか?って聞いたら、お店の人が出してくれてね。サッカーだから11個ね。そしてね、日本に帰ってきて、ブラジルに行きたかったサッカー好きな友達10人にあげてね。だからね、日本でこのピンバッジ持っているのは、たぶんボクを含めて11人しかいないと思うんだよね」という積もる話をしたかったが、彼女はオーダーを取って向こうへ行ってしまった。

ピンバッジをつけている人を見たら、そのピンバッジについて聞いてあげてください。きっといろいろ話があるはずです。ピンバッジが好きな人は、そう話しかけられることが大好きな人のはずです。

バルバッコアBRASIL これがブラジルの国旗。ブラジルの国土は日本の20倍以上だといわれています。

【今日のピンバッジ#10】サン・アド50周年記念ピンバッジ

サンアド50thピンバッジ サン・アドの50周年記念ピンバッジ

コピーライターとして育てていただいた会社サン・アドの50周年記念のピンバッジ。個人情報保護法なんて野暮なものがなかった時代、年末になると総務課から小さな住所録が配られる。そこにはサン・アド全社員の住所と電話番号が記載されていた。年賀状でも書きなさい、という季節だったからか、毎年配られた。その名簿の名前がすごい。佐治敬三さん、開高健さん、山口瞳さん、そして柳原良平さん。今はもう手元には残っていないが住所や電話番号が書いてあった。同じ印刷物に自分の名前と偉大な大先輩の名前が並んでいるだけでありがたかった。その大先輩のおひとり、柳原良平さんが逝去された。直接お話しさせていただく機会はなかったものの、遠くから(近くから)お顔を拝見するだけでうれしかった。ご冥福をお祈りいたします。このピンバッジ、大切にいたします。

サンアド寄せ書き 2008.9.25の寄せ書き

柳原さんで思い出した。サン・アドが丸の内1-1-1パレスビル9Fから引越すとき、『丸の内・名残の一夕』という会が催された。そのとき、柳原さんもいらっしゃっていた。この寄せ書きに自分の名前を書けるというシアワセ。直接言葉をかけていただくことはなかったけれど、同じビルの同じエレベーターの、同じ会社の空気は共有できたのだと思うだけで、うれしい。

【今日のピンバッジ#09】東京コピーライターズクラブ30周年記念の「 c 」

ピンズtcc-c1992年製

今日は東京コピーライターズクラブ総会&親睦パーティ。20年以上前に作ったTCC30周年記念ピンバッジの2つめ「 c 」の字です。「 tcc30th 」と小さく入っています。以前紹介した「 t 」  と同時に作られて販売されたものです。ほんとは「 tcc 」だから「 c 」がもうひとついるのですが、1個だけ買いました。で、このピンズ、ちょっと大きめでピンが2本あるのです。2本止め。だから冬物のジャケットならいいんですが、夏物の薄手の生地につけると穴が目立ってしまうのです。だから、今日は付けて行かないかも・・・デザインしてくれた井上庸子さん、ゴメンナサイ。穴が一カ所ならそこに他のピンズをいつもしてればいいんですが、縦に二カ所開いちゃうもんで。でも、あの当時、売れたピンズ、みんなどうしているんだろう。(現在、東京コピーライターズクラブは53年目です)

【今日のピンバッジ#08】FCバッカーノ

FCBピンバッジ

【今日のピンバッジ#08】FCバッカーノoriginalピンバッジ

1999年2月に設立されたF.C.BACCANOも今年で16周年を迎えました。このピンバッジは10周年のときに#10 TAZZIOがつくってくれたオリジナルピンバッジ。バッカーノのエンブレムをよく見ると、獅子がビールジョッキを持っています。サッカーだけじゃなく、飲み会も大事ね、という意味です。#31 KONOがデザインしてくれました。そして、バッカーノのフラッグにはボディコピーが書かれています。

FCBフラッグデザイン

Utira quegga sineno de tanossi una squadra di calcio.
De motte padrino di BACCANO gananto, giocatore Shinji Ono. Grazie!

イタリア語?かと思いきや。

ウチ〜ラ(ウチらは)クェッガ・シネ〜ノ(ケガをしないで)タノッシ(楽しい)
ウナ・スクアードラ・ディ・カルチョ(サッカーチームです)

デ・モッテ(でもって)パドリーノ・ディ・バッカーノ(バッカーノの名付け親)
ガナント(が、なんと)、ジョカトーレ・シンジ・オノ(小野伸二選手なのです)
グラッツィエ(ありがとう)

というイタリアでも日本でも通じないボディコピーです。
(コピーはご存知 #21 TARASSI

今日はそのバッカーノと同い年のチーム、FCポリ100と横浜マリノスタウンのフルコートでクラシコマッチです。ケガをしないで勝ちたいと思います。グラッツィエ。

【今日のピンバッジ#07】ブラジル代表

PINブラジルup

【今日のピンバッジ#07】FCバッカーノ・ベストイレブン2002ピンバッジ・ブラジル代表

「2002年」と聞いて「日韓ワールドカップ」を思い出す人はかなりのサッカー好きです。このピンバッジをみて「2002年」を思い出す人は、相当なサッカー好きです。このピンバッジは、サッカーブラジル代表のエンブレムで、しかも2002年日韓ワールドカップ優勝後のピンバッジです。★が5つあるでしょ。これは、その優勝がブラジル代表にとって5回目の優勝だということを表しているのです。

サッカーの代表チームのエンブレムにはこのように★がついている国があります。それは「ワールドカップで優勝した国」という栄誉を表しているのです。(日本代表にはまだありませんが、なでしこのJFAマークには★がひとつあります)1998年フランスワールドカップのときに買ったパチモンのブラジルユニフォームには4つ★がついています。

ブラジル4つ★

これは延長の末、足を攣っていたR・バッジオがPK失敗をした1994年のアメリカ大会でブラジルが優勝した後に作られたものだということがわかります。そして2002年の優勝で5つ★になったわけです。2002年の年末に、この5つ★のブラジルピンバッジを持っているのは、けっこうドヤ顔です。しかも11個買い占めたので持っている人も少ないはず。

2002年、ブラジルが優勝した試合、見に行ったんですよ〜横浜総合競技場。試合直後、ドイツ代表のGKカーンがゴールポストに寄っかかって座り込んでいた姿が印象的でした。そしてこれはボクの持論なんですけど、『ワールドカップは日本じゃない国で見たほうがいい』です。日韓ワールドカップは札幌ドームでアルゼンチンvsイングランド(ベッカムのPK)仙台でアルゼンチンvsスウェーデン(バティストゥータの涙)そして横浜の決勝(キャプテンカフーのトロフィーセレモニー)あとは韓国で見た韓国vsスペイン、アメリカvsドイツ、韓国vsドイツ。計6試合かな。でね、正直な話、日本で見た試合は、ワールドカップには見えなかったんですよ。なんかKIRINチャレンジかなんかのいいカードやってる、みたいな。日本代表選手も日本サッカー協会もまた日本で開催したいと思っているだろうけど、ボクの持論は『ワールドカップは外国で見たほうがいい』です。ワールドカップを横浜で観て、家に帰ってくるという現実がなんともイヤだったんですね(どこかホテルに泊まればこれがまた違うんでしょうけど)やっぱりワールドカップはその開催国の外国人とワイワイやる非日常がワールドカップらしいと思うんですよね、ボクは。

でも、自分たちが楽しむことも大事ですが、開催国(日本)に世界中から集った各国サポーターをもてなすことがホスト国のサポーターの使命なのかもしれませんね。