昨日、球場に来られなかった…

昨日球場に

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昨日、球場に
来られなかった
人たちにも
ありがとう。

応援感謝 星野仙一

2003年 星野仙一
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広告主:星野仙一(後半)

 星野さんは「名古屋だけはちょっと特別やから、ドラゴンズファンに気をつかってやりたいんや」とおっしゃっていた。で東京中日スポーツには「あ~しんどかった(笑)」をキャッチにして、小さく「名古屋に育てていただいた星野が、大きな仕事をさせていただきました。野球人として幸せであると感じています」とか「ユニフォームは違うけれど、笑って許してやってください。もう一度胴上げを見たかった、妻との約束だったのです」という一文を小さく入れましょうかと、星野さんと話し合っていた。しかし、直前にドラゴンズの山田監督解任みたいなことになり、中日新聞が「掲載は遠慮したい」と言ってきたのだった。あ~あ、一本コピーをへらさなきゃ・・・。「ひっくり返された夢も見た」を削って、他の紙に「しんどかった」を回した。

 阪神戦のチケットは高騰してすごい値段になっていて、なかなか手に入らない。ボクも今年は1試合も球場に行けていない。そんなファンもいっぱいいると思った。だから、そんな自分みたいなファンが、こんなこと星野さんから言われたらたまらんだろうな〜というコピーを書いた。「昨日、球場に来られなかった人たちへもありがとう」とか「テレビの向こうの声援も、ちゃんと聞こえとった」とか。また、新聞記事に「阪神優勝の経済効果」とかいうのが出るだろうし、どこかのオーナーが「景気回復のためにも阪神が優勝してよかった」みたいな負け惜しみを言いそうだったから、「日本経済のために優勝したんやないで(笑)」をいれた。

 掲載が超極秘だったので、誰にも相談できず、コピーを書いても会社で拡げられず。自宅にこもって、書いたコピーを床に拡げながら、考えた。ほんとは阪神ファンのみんなに「どれがいいと思う?」とか聞いて回りたかったが、それもできなかった。しかし、ただひとり見つけた。人も少ない深夜の電通CPC37階。(当時の所属、クリエーティブ・プランニング・センター)そこの小部屋で作業をしていた「適任者」を見つけた。林尚司氏である。彼は生まれつきの関西人(京都らしいが)だし、生まれつきの阪神ファンなのだ。その林に「ちょっとコピーを見て欲しいんだけど・・・」と切り出した。部屋のドアを閉めて、「実はサ、星野監督がサ、自腹でサ、優勝した翌日にサ・・・」と説明しながら、なぜかウルウルしてきてしまった。自分でも興奮していたのだと思う。いま思うと、林に意見を聞くフリをしながら、誰かに見て欲しくて、見せびらかしたかったのだと思う。(林は「阪神ファンでよかったやろ?(笑)」を気に入ってくれた)

 胴上げが、神宮球場からナゴヤドームへ移り、ナゴヤドームから甲子園へ移り。そして9月15日の夜。ついにXデーがきた。優勝後の監督インタビューを家のテレビでみていて、その第一声に驚いた。「あ〜しんどかった(笑)」だった。ホントに言うとは思っていなかったから、うれしかった。その夜は何度も録画した特番を見ながら朝まで起きていた。朝5時頃、コンビニに掲載紙を買いに走った。しかしまだ、届いていなかった。一度家に戻り目覚ましをセットして、朝8時頃またコンビニに走り、5紙全部ゲット!ほんとに掲載しているかドキドキしながら新聞をめくった。

 男・星野仙一と目を合わせて話をして、一緒に仕事できたということは、ホントにラッキーだったし幸せだったと思う。作り手が掲載を前にしてドキドキするという、広告の原点みたいなものを思い出させてもらった。

 スポーツ新聞が街にあふれた16日の夜。一緒にコピーを悩んでくれたクリエーティブ・ディレクターの佐藤尚之氏(さとなおさん)と新橋の寿司屋に行った。「ああ、明日からの楽しみがなくなっちゃったね・・・」と小さな打上げをした。何年か後、関西かどこかの居酒屋に行ったとき、もし店の壁にあの原稿が貼ってあったら、涙がでるだろうなと思った。新聞広告は明日になったら、ただの新聞紙。ただの古新聞だ。でもそこで、誰かの記憶に深く残ることができるとしたら、これほど広告屋としての幸せはないのではないか。と同時に、記憶に残すことが一番の広告効果なのだとつくづく感じた仕事となった。だからもう、しばらく仕事はできまへん(笑)

                    2003年9月 コピーライター中村禎

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この星野さんの応援広告の5本シリーズは、東京コピーライターズクラブのTCC賞を受賞しました。その授賞式に、ボクはある紙袋を持って出席しました。名前が呼ばれて壇上に上がる時、その紙袋に入っていたものに着替えたのです。日本シリーズのとき甲子園で買った『背番号77 HOSHINO』の白い縦縞ユニフォームです。緊張していたのでハッキリとは憶えていませんが会場から笑いが漏れていました。失笑だったと思います。でも、いいんです。ボクは星野さんに感謝を表したかったし、壇上に星野さんと登りたかったのです。「バッカじゃないの」と思われたかもしれないけど、いいんです。会場に星野さんが来てくれたらすごいことだし、祝電でもあればすごいことだけど、やっぱりダメでしたが。

この仕事は、東京コピーライターズクラブが発行する『コピー年鑑2004』に掲載されました。そこにあった、審査員のコメントがうれしかったことを憶えています。「星野監督の優勝インタビューのコメントを、そのままコピーに使ったコピーライターの勇気を讃えたい」・・・イヤイヤ、それじゃぁ翌日の掲載に間に合いまへんがなw。ファンの人たちもそう思ったに違いないんです。この広告はゼッタイ「どうせ広告代理店が企画を持ち込んだんだろ?」と思われたくなかった。事実、そうじゃないんだし。広告主は星野仙一なんだ、と。だからこの言葉が星野さんの言葉に見えなければ、この広告は失敗なんだと思っていました。コピーライターは黒子なんです。(だからホントはTCCなどに応募してはいけなかったのかな・・・) そしてもうひとつ、うれいしいコメントがありました。「中村くんは星野監督になりきって書いている。むかし、糸井さんが矢沢永吉になりきって『成りあがり』を書いたことを思い出した」うれしかった。コピーライター、一倉宏さんのコメントでした。

あ〜しんどかった(笑)『広告主:星野仙一(前半)』

あーおもろかった。

 

あ〜しんどかった(笑)

 

あ〜しんどかった

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あ〜しんどかった(笑)

応援感謝 星野仙一

2003年 星野仙一
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2014年10月、楽天イーグルス監督の星野仙一さんがユニフォームを脱いだ。ずいぶん昔の話ですが、星野さんが阪神タイガースの監督で優勝した2003年に書いたコピーをご紹介します。当時書いた作文『広告主:星野仙一』。長いので2回に分けてアップします。

 

広告主:星野仙一

 今年、もう阪神の優勝は決りだろうという空気だった8月の終わり。ボクのケータイが鳴った。杉山恒太郎さんからだった。「中村君は、野球はどこファンだっけ?」と、阪神戦のチケットでもくれるのかと気楽に「当然タイガースファンですけど」と答えると、「実は、超極秘なんだけどサ・・・」という話だった。

 まず星野さんが個人的に「優勝したらファンにお礼がしたい、優勝の翌日にスポーツ新聞に広告は出せないか」と親しい友人、元日刊スポーツの高橋さんという人に相談した。それを聞いた高橋さんが電通の媒体担当の森隆一取締役を知っていて電話。その森さんがクリエーティブの杉山恒太郎さんを知っていたので電話。その杉山さんの脳裏に、なんとなく中村禎の顔が浮かんで、電話をくれたのだった。

  8月24日、日曜の午後。大きく負け越した「死のロード」の最終戦、ナイターのベイスターズ戦を控えた横浜シェラトンホテル。初めて星野さんに会いに行く。この先そう何度も会う機会もないだろうから、手ぶらで会うのはもったいない。どんな広告にしたいのだろう?と、勝手に「阪神タイガース監督、星野仙一」になったつもりで、いろんな角度からいっぱいコピーを書いて見てもらうことにした。それはもう、久々にいっぱい書いた。でるわでるわ。それを星野さんに見てもらった。「あはは、ホンマにこのとおりや」とか「これは、言いたいけど無理やろな」とか言ってくれたコピーに印を付けていった。「あ~しんどかった(笑)」とか「あ~おもろかった」とか「やっとぐっすり眠れるわい」とか「ひっくり返された夢も見た」とか「テレビの向こうの声援も、ちゃんと聞こえとった」とか「弱い阪神が好きだったというファンに、アッカンベ~や(笑)」とか「阪神ファンでよかったやろ?(笑)」とかとか。

  星野さんは、昔、王選手がホームラン世界記録を出したときや、日本シリーズで日本のプロ野球が盛り上がったときなどに「なんで(野球界の)コミッショナーがファンにお礼をせんのや!」とつねづね思っていたらしい。また今年は特に、球場に女性やこどもさんのファンが増えたことがうれしかった、ともおっしゃっていた。「だから、ワシはやるんです」と。「阪神ファンだけじゃなく、野球ファンにお礼がしたいんです」と。星野さんのあの太い声、ドスの利いた表情の後に、こどものように笑う顔、できるかぎりを記憶して、さらにコピーを書きまくり、6,7本に絞った。

  マジックは7くらいまでに減ってきていた。最短の胴上げが9日の神宮の可能性もでてきた。9月4日の広島戦。急遽、試合前の星野監督の時間がもらえることになり、新幹線に飛び乗った。広島の滞在先ホテルグランビアのロビーはおっかけのファンやマスコミ関係の人たちでざわめいていた。エレベーターに乗り、監督の宿泊している部屋で広告代理店新聞局の次長とコピーライター中村のふたりでのプレゼン。びびった~。部屋に案内してくれたのは監督専属の広報担当の平田さん。そう、あの85年のV戦士、背番号30番ショート平田勝男さんなのだ。その平田さんにおそれ多くもアイスコーヒーなんか持ってきていただいちゃって。恐縮です!特別料金とはいえ6紙(最初は東京中日スポーツも予定していた)の掲載料は軽くン千万は超える金額。それを個人で払うと。それなのに、緊張で早口になっていたボクの話を静かに聞いてくれていた星野さんは、「わかりました、いいと思います。ありがとう、あとはおまかせします」とニコッと笑ってくれた。ぶ厚い手としっかり握手させてもらって、興奮しながら広島を後にしたのだった。(長いのでつづく)

昨日、球場に来られなかった…

名前の天才⑦やや重

魚竹

名前の天才⑦

「やや重」

「ややおも」と読みます。(耳でしか聞いたことのない名前なんで、違うかもしれませんが)お昼に、築地にあるうまい魚屋さんで定食を食べます。「いらっしゃい~」という軽やかな声で迎えられると、「今日はいかがしやしょ?」とくる。「焼きで」と答えると焼き魚定食。「ごはんは?」とくると「やや重で」と答える。これ、ご飯の盛りの呼び名なんです。普通盛りよりやや多めで、大盛りよりやや少な目な「やや重」。半ライスというネーミングもなかなかスゴイのですが、この「やや」ってのが、いかにも日本風であいまいで。そのへんが妙に気に入っています。「はいっ、ご新規さん、ややでよろしくっ」な~んて声を聞くと、やっぱ、日本人っていいなあ、と思ってしまうのであります。(コピーライター)

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この投稿をするために、「魚竹」に写真を撮りに行きました。ほんとは魚竹の「やや重」を撮るつもりだったのですが、その時間はまだお腹空いてなかったので暖簾を撮って帰ってきました。魚竹さん、ごめんなさい。今度行きます。

*毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。

名前の天才⑥瓶覗(かめのぞき)

瓶覗

名前の天才⑥

「瓶覗」

日本の伝統色に、「瓶覗(かめのぞき)」という名前があります。水色をもっと淡~くした色。藍染めの一番薄い色なんだそうです。藍染めは布や糸を何度も瓶(かめ)に漬けてはとりだし、何度もそれを繰り返してだんだん濃い青に染めていく。その瓶(かめ)をちょっとくぐらせただけの、「ちょっと覗いてみました」程度の色ということでしょう。藍染め界の「しゃぶしゃぶ」みたいなモノ、いや「しゃぶ」一回ですね。ちっとも有名な名前ではないけれど、そんなに淡い水色に「瓶覗」なんてユーモラスなネーミングをするセンス。昔の日本人のシャレもなかなかのもんです。この「瓶覗」の色の浴衣なんかを着た人が、通りを歩いていた頃の日本の夏は、きっと今より涼しかったんだろうなあ。(コピーライター)

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もう10年以上前になるでしょうか。毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。その6本目です。以前、家庭画報に毎月「季節の色」について書く機会がありまして、そのとき読んだ「日本の伝統色」という本で一番憶えていた名前でした。余談ですが、この「日本の伝統色」にはほんとうにいろんな色の名前があって、今はもうそんな名前で呼ぶ人はいないんだろうけど、その色はある(ない色もあるのかな)その名前でその色をみんなが呼んでいたと思うと、日本って豊かだったんだなあと思います。

名前の天才①ニューライン
名前の天才②しりあがり寿
名前の天才③ポリ100
名前の天才④都忘れ
名前の天才⑤俺の考え
名前の天才⑥瓶覗

私たちは、2011年を忘れない。


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走った。
つないだ。
信じた。

みんなと共に。

私たちは、2011年を忘れない。

思いは、プレーに。
You’ll never walk alone.

キリングループは、
サッカー日本代表とともに
日本の震災復興を応援します。

2011年 KIRIN
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震災の年、商品広告が打てなくなって、サッカー日本代表の映像を使ったCMをつくりました。これはサッカーのCMではなく、キリンの企業CMでした。その最後の1本。このシリーズはここまでですが、「キリンは日本の震災復興を応援し続けます」ということを言っておきたかった。だから、なでしこがW杯で優勝したこともそうだけど、震災のあったこの2011年という年を忘れません、復興をずっと支援します、という気持ちをメッセージしたかった。だから「私たちは、2011年を忘れない」なのでした。企業CMのコピーは、広告に接する人との「約束」だと思います。このCMは、2011年暮れにオンエアされました。

2014年2月3日 私たちのゴールは、もっと先にある。
2014年1月27日 僕たちは、ひとりじゃない。

私たちのゴールは、もっと先にある。


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自分を信じる。
仲間を信じる。
未来を信じる。

私たちのゴールは、
もっと先にある。

思いは、プレーに。

ありがとう。なでしこジャパン。

キリングループは、
サッカー日本代表とともに
日本の震災復興を応援します。
KIRIN
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2011年なでしこジャパンの女子W杯優勝は、日本に勇気をくれました。被災された方々も彼女たちの姿に元気づけられたんじゃないでしょうか。ワールドカップ優勝というこれ以上ない結果を出して初めて、女子サッカーが大きく取り上げられるようになったけど、それまでは「え?女子にもワールドカップなんてあったの?」だったと思います。

W杯直前に行われたこの強化試合。たしか地方都市の小さなスタジアムでの韓国戦。大雨でぬかるんだピッチでの試合でした。もちろん観客もまばら。これがW杯直前のなでしこの試合です。その映像を使ってCMをつくる。ワールドカップの華やかな映像の方が見栄えはいいのですが、権利上使えないというのと、むしろ大雨の中、まだ注目されていないなでしこジャパンの姿のほうがいいと思いました。言いたいことは、●キリンはすべてのカテゴリーのサッカー日本代表を応援していること、●ひきつづき被災地の支援を続けること、●そして、なでしこジャパンへ勇気をくれてありがとう、ということを伝えたかったCMでした。

「私たちのゴールは、もっと先にある。」というコピーは、W杯優勝がゴールではなく、女子サッカーが流行ではなくちゃんと日本に根付くことがゴールなんだ、ということ。そして、震災復興にはまだまだ時間がかかる。もっと先にあるゴールを目指して復興支援を続けます、という気持ちを書きました。

僕たちは、ひとりじゃない。

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思いは、プレーに。

僕たちは、ひとりじゃない。 
You’ll never walk alone.

キリングループは
サッカー日本代表とともに
日本の震災復興を応援します。

2011年 KIRIN 60秒
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東日本大震災の直後、テレビからCMが消えました。公共広告機構のCMしか流れなくなった。そのとき、広告に何ができるのか。キリンの仙台工場も被災して商品の生産もできなくなっていた頃。電通のキリン担当営業が「サッカー支援活動でなにかできないか」と考えました。サッカー日本代表の使える映像を編集して、メッセージはできないか。「サッカーのコピーだから禎さんに書いてもらおう」ということでクリエーティブ・ディレクターのビルド河野氏から連絡をもらいました。

「思いは、プレーに」という言葉は最初にありました。起案した営業が書いた言葉、そのままを使おうと思いました。使える映像は日本代表の試合の映像。そこから「キリンは復興支援をします」というメッセージを伝える。「支援します」を威張るのではなく、被災した人たちに「支援します。一緒にがんばりましょう」と言いたかった。見た人がちょっと元気になってもらえるようなメッセージを送りたかった。企業の自己満足なのかもしれませんが、CMで日本の震災復興を応援します、し続けますと宣言することは被災された人たちにとって大事なことだと思うのです。

震災から1年経っていない頃に流れたコピーです。今見るとそうでもないけど、あの頃オンエアで見た時はじ~んときました。

新しい日本を見せよう。

 

KIRIN新しい日本を
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新しい日本を見せよう。

2014年  KIRIN 
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このコピーは2014年の元旦の新聞広告、では(残念ながら)なく、昨年暮れに日本サッカー協会で行われた「サッカー日本代表2014年活動計画発表記者会見」で公式に発表されたKIRINからのメッセージです。この言葉は、すべてのカテゴリーのサッカー日本代表チームに向けた言葉であり、代表を応援する私たちサポーターへ向けた言葉でもあり、代表を支援するKIRINという企業に向けた言葉として書きました。

このプレゼンは、とても気持ちのいいものでした。このコピーを気に入っていただけたのはもちろんうれしいのですが、このコピーに至るまでの気持ちを書いた文章に同意いただき、社長にもとても気に入っていただけた。それがうれしかった。以下、そのときの文章です。

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2014年はサッカー日本代表が新しい世界へ挑戦する年です。
今までで一番強い日本代表を見せる時が来ました。
そこで、日本代表を支援する
オフィシャルスポンサーKIRINグループは、
新しいサッカーコミュニケーションのために、
ひとつの言葉を掲げます。

「新しい日本を見せよう」

新しい日本の「サッカー」を見せよう。
新しい日本の「フェアプレー」を見せよう。
新しい日本の「声援」を見せよう。
新しい日本の「心意気」を見せよう。
そして、私たち社員一同も、
新しいKIRINを見せよう、という覚悟です。

なぜKIRINは、サッカー日本代表をサポートしているのか。
サッカー日本代表を販売促進に利用するためか? 答えはNOです。

私たちKIRINはただ飲料をつくるだけの企業ではなく、
人々に歓びの場を提供する企業でありたい。
そこにKIRINの価値があると考えています。
KIRINは、サッカー日本代表を支援することで
多くの人と歓びを共有できる場をつくりたいのです。

サッカーで日本を元気にしたい。
そのために私たちKIRINグループは、
全国の日本代表ファンとともに、サッカー日本代表を支援します。

KIRIN LOVES SOCCER 2014

日本代表チームのみなさん全員と、 私たち日本代表サポーター、
全員の合い言葉は 「新しい日本を見せよう」です。
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昨年からサッカー日本代表を応援するサポーターたちの集いに、何回か参加しています。ブラジルへ行くための集会も。その後に懇親会などがあるのですが、そのときの飲み物がKIRINじゃないんですよ。みんなサッカー日本代表が大好きで集まっているのに、そのサッカー日本代表がまだ人気のなかった時代からサポートしているのがKIRINなのに・・・。KIRINはボクらと同じ(ボクらより先輩の)代表サポーターなのに・・・。そこで飲むビールは当然KIRINでしょ、とボクは思うのですが、みんなは全然気にしてないみたい。それが現実なのかなぁ。

しかしボクは個人的にもそこをなんとかしたいと思っています。ふだんはスーパードライ派でもいい、プレモル派でもいい。だけどブルーのユニフォームを着た時はKIRINだよな、と思ってほしい。そのために広告をガンガン打つというのではなく、なんか「行動」で「自然と」そういう流れにならないものかと思案しています。

サントリーの社員の人がサッカー日本代表を応援するときだけはKIRINを飲むことにしている。そんな人がいたら・・・ボクはステキだなと思うんですよね。

関連記事 後藤健生氏の予言

おいしさを笑顔に

おいしさを笑顔に

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おいしさを笑顔に

2007年〜2013年  KIRIN
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澁江俊一くん、堤恵理さん、中村直史(ナカムラタダシ)くんと中村禎(なかむらただし)。企業スローガンのプレゼンですからたくさんの案が求められるだろう、ということで複数コピーライターで臨みました。2003年から2006年にかけて使っていた「うれしいを、つぎつぎと。KIRIN」というスローガンの次にくるもの。

企業スローガンはムズカシイです。案はいくらでも出せるのですが、どう決めるか、何で決めるか、どう覚悟を決めるかに時間がかかります。やがてヘトヘトになります。今回は4人のコピーライターで案を出し合い、みんなで選びながら絞って行きました。たぶん何回もプレゼンしたと思います。もうこのへんで決めてくれないと、もうモチベーションがもたない、という最終プレゼン。ボクは中村家に代々伝わる大きな風呂敷に、いままで書いた全部のコピーを包んで持って行きました。高さ6、70cmはあったでしょうか。クライアントとも何度も話し合って、最終的に3案に絞って持って行く。クライアントは「もっと他にありませんか?」と言うかもしれない。そうしたら、この風呂敷包みを置いて帰ろうと思っていました。クライアントは納得してくれました。「わかりました。この3案から決めます」

企業スローガンは自分の服を選ぶようなものです。自分が着る服を選ぶことに似ています。私はこういう人間です、という自己紹介であり自己表現でもある。だからクライアントも「私はこんな服は着ない」とか「私はこんな服はあまり好きじゃない」と言います。

ちょうどこの仕事をしているとき、自分の服を買う時に妻に言われたことがありました。ボクは「こんな服は着ない」とか「こんな服はあまり好きじゃない」と言うと、妻は「自分が好きな服と似合う服って違うこともあるんだよ」と言うのです。(そうかもなぁ・・・)同じように「自分の好きな色が必ずしも自分に似合う色とは限らないよ」とも言われました。(確かに一理あるな・・・)

企業スローガンも一緒なんじゃないか。その企業の内側から見たその企業らしさと、周りから見たその企業らしさ。自分では似合わないと思っていた言葉も実は周りからみたら似合う言葉だったりしますよ、とプレゼンした記憶があります。たしか、「笑顔」とか「スマイル」といった言葉が照れくさい、KIRINらしくないんじゃないか?と心配されていたようでした。(その当時)

KIRINというロゴを見るとしあわせになる、KIRINのロゴの周りには笑顔がある、そうあって欲しいと思った。だから、「おいしさを笑顔に」を提案しました。2007年から7年もの間使っていただいたコピー。この写真のように社員の名刺にも印刷されました。その「おいしさを笑顔に」というスローガンも2013年12月31日を持って、その役目を終えました。今年の広告からはとくに企業スローガンはありません。気づいてました?

追伸:KIRINのロゴの上にこのスローガンがなくなっても、KIRINを見たお客さんに「笑顔」が思い浮かべば、7年間のこのスローガンにも意味があったということですかね。

名前の天才⑤俺の考え

俺の考え

名前の天才 05

「俺の考え」

本のタイトルです。本田宗一郎さんが「放言暴言」というテーマで寄稿したものをまとめた本。初めは、なんとまあ乱暴なタイトルをつけたものだなぁと思ったのですが、前書きを読むと、ご本人の意思ではないらしい。編集者に乗せられ、その気になって「ま、いっか」と思ったそうです。本田さんの肉声で率直に仕事のエッセンスを語るエッセイは、とても痛快で、読んでいるこっちが元気になる文章でした。本田宗一郎という名前と、タキシード姿の表紙の挿し絵、そしてその奔放な内容を読むと、「俺の考え」という題名に、ちっとも偉そうな素振りはなく「だって、そう思うんだもん」という姿勢が見えてきて、実に気持ちのいい題名だなと思えてきます。天才の「ま、いっか」は、さすがのものですね。(コピーライター)

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昔、毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。前書きにはたしかに本田宗一郎さんも「エラそうなタイトルだからどうなんだろう」と思っていたそうですが、編集者に押し切られた、と書いてあった。たしかに、このタイトルのほうが売れそうだし、手に取りそう。やはり、自分で自分の名前をつけるより、客観的な第三者の視点も大事なんだなぁ。

関連:本田宗一郎さんのビル