仲人はやらないよ

写真はその9代目が卒業記念で作ってくれた短冊ポストイット

中村組のOBが「禎さん、ご報告がありまして」と妙に畏まってやってきた。「実は今度、結婚することになりまして。彼女を紹介したいので今度お食事する時間をいただけませんか」という。そりゃ、おめでとう。と、土曜日のランチの約束をした。

奥さんになる人とその彼と3人で会う。ん? もしかして仲人とか頼まれるの?それはダメだよ。それなら行くのはイヤだなぁ、と確認したら、そういうことじゃないという。それならいいや、と出向くのだが、何か違和感があった。なんでわざわざ彼女を紹介するのだろう?と。

ああ、もしかして、奥さんになる人。ボクも知ってる人で、ビックリさせようとしているのかも、と思った。誰だろう?彼の同期か?もしかして、OBの先輩か?後輩か? そういう心の準備をして、表参道のおしゃれな和食屋の階段を降りていった。

『あ!やっぱり!笑』だった。二人は中村組9代目の同期だった。そういうことか!そんな気もしたんだけど、この組み合わせだとは想像つかなかったね。

コピーライター養成講座専門コース中村組同士で結婚するカップルはこれで二組目だ。中村組のOBだから、人柄は保証します。傘の先っぽを振りながら歩くなんてしないし、電車の中でリュックを背負ったままで人の迷惑になることなんてしない。口喧嘩になりそうなときも、相手は何を言いたかったんだろう、と思い至れるし、自分がされたら嫌なことは人にしないし、自分がされてうれしいことを人にしてみるし。

コピーのテクニックを教える講座じゃなく、人として幸せに生きていくためのヒントを教えたられたとしたら、最高です。ずっと仲良くシアワセにね。

No Challenge, No Chance


第55回宣伝会議賞の一次審査通過者の名前が発表されました。応募総数45万8944点のうち、通過率はなんと1.1%(5336点)の狭き門。その名前のリストに初代中村組OBから現役15代目までの中村組のフルネームを見つけました。見逃している人もいるかもしれないけど(ゴメン)全部で50名。

中村組では「名前はいつもフルネームで。自分のフルネームは自分のブランドなんだから」と言っています。自分のフルネームをどんどん見せびらかしていこうゼ、と。
————————–
■112新免弘樹■118廣川洋平■120松本茜■214佐藤潤一郎■315中村斉継■502飯田啓貴■514孝田純一■601阿部希葉■602阿部裕一■716柴田尚志■810島田寛昭■821松田孝一■824山内昌憲■904大杉 陽■912佐藤仁康■922程塚智隆■1005植村明弘■1014菅谷敏通■1025柳元良■1101阿部亮介■1109岡山和也■1114小嶋千晶■1207栗原啓輔■1210高石幸典■1211高橋俊一■1212玉熊文乃■1220福本剛士■1221本田陽子■1224森下夏樹■1226矢内そらん■1303石塚啓■1313谷将光■1315林田淳■1401青木美穂■1403天野正晴■1405打田倫明■1409芹澤高行■1410藤榮卓人■1414中島崇■1419福田瑞穂■1506小笠原清訓■1508熊谷愛■1509佐藤日登美■1510島村浩太■1512田中恵美子■1514永井景都■1516畑創■1517日比野はるか■1518平嶋さやか■1524村松佳奈

(私の名前見逃してます!があったら教えてね。修正するから)
————————–
この中から何人と授賞式で会えるかな。いや、その前に、この宣伝会議賞に挑戦して、見事一次審査を通過した彼らを称えたいと思います。インディ500でアジア人として初優勝した佐藤琢磨選手の好きな言葉を思い出しました。

『No Challenge, No Chance』

一次審査落ちちゃったけど、これダメでしょうか?を見るOB会、やろうかな。

講師の仕事


コピーライター養成講座基礎コースの修了式。そのあとのパーティにはいつも行くことにしています。基礎コースは少人数クラスを受け持つので、何人かの生徒は顔見知りだから。ボクのクラスかそうじゃないか、すぐわかる。ボクの生徒は「禎さん」とか「中村さん」と呼んでくれるけど、そうじゃないクラスの生徒は「先生」と呼んでくるから。(ボクは「先生と呼ばないで」という話をいつも最初にするんです)
 
修了パーティには、仲畑さんと対談した渡邉千佳さんも。いつも来てくれる中島信也さんはこの日、名古屋クラスでの講義のため残念ながら欠席(でも、この日来られないというので、その数日前に生徒さんの飲み会に参加してくれたらしい。やさしいね)修了パーティ2次会に山本高史さんと玉山貴康さんも顔を出してくれました。
 
ボクたち講師の仕事は、コピーを教えることというよりも、迷える生徒たちを勇気づけたり励ましたりすることなんじゃないかなぁ。中西からの帰り道、ふと思ったのでした。

中村組OBから

中村組OBからうれしいメッセージが届いた。その彼は2代目だから今から12年前だが、顔も名前も憶えていた。OBになってから無料掲示板をつくったり、今はフェイスブックにグループをつくったりして、つながっていたが、しばらく連絡がなかった。その彼からうれしいメッセージが届いた。

コピーライター養成講座のOBグループだから、コピーライターにならなかった人がきっと遠慮するだろうと思い、「コピーライターになることが目的じゃないよ」と言い続けてきた。でもやっぱり、賞を取ったとか、お祝い会をやろうとかいう話の中には入って行きにくかったんだと思う。彼は、高齢者福祉関係の仕事をしていたという。介護予防運動指導員の資格を取り、車椅子も押したことも無い状態からの、ど素人介護職だったそうだ。デイサービスで介護の仕事をする中で、介護技術はもちろん、死について生きることについて深く考えるようになったという。そして「納棺士」という職業があることを知る。

映画「おくりびと」で本木雅弘さんに納棺の技術指導をしたスタッフが居る「おくりびとアカデミー」という納棺士専門の学校のオープンキャンパスの門をたたく。学費は前職からの積み立てていたお金5年分を全てを使いきった。生活は厳しくなるが、ボクの書いた2014年4月8日のブログ「自腹という覚悟」(→養成講座に自腹で通う覚悟がある人こそ、吸収する力も強い、という話)を思い出して、覚悟を決めたそうだ。

その彼から久しぶりにメッセージが来て、フェイスブックでつながった。やはり彼も「キラキラ輝いて活躍しているみんなと比べた時に自分に自信が無かった」と思っていたらしい。ボクは「コピーライターになることが目的じゃないよ」と返信した。「素晴らしい挑戦をして、素晴らしい仕事をしているじゃないか。それが一番だよ」と言った。中村組OB会に即加入させた。OB会でぜひ仕事の話を聞かせてほしい。

コピーライター養成講座中村組は、コピーの話をするが、コピーライターになることがゴールじゃないと思っている。どんな職業だろうと、専業主婦だろうと、人として相手の気持ちを思い至ることが大事なのには変わりはない。「自分がされたらイヤなことを、人にしない。自分がされたらうれしいと思うことを、してみる」というボクの座右の銘が基本になっている。

彼は、12年前の授業の言葉を憶えていてくれた。「八百屋さんだって、美味しい野菜を売ろうとしてその言葉を考えたら十分コピーライターなんだ」という話。そして彼は、「納棺士には一見、言葉は必要なさそうだが、ご家族に対しての声かけが非常に重要になる。故人と家族との最後の言葉をつなげる役割があるから、究極のサービス業と感じている」という。「中村組で学んだ言葉に対する気持ちを忘れずに闘っていきます!」とも言ってくれた。

コピーライターになって賞を取ることだけがゴールじゃない。人として生きていく上で、相手を思い至る言葉が必要ないわけがない。そんなことのヒントになる話をしていくつもりだ。と同時に、いろんな職業に就く若者たちに、少なからず影響を与えることをしているんだなぁと実感し、より一層、心して取り組まねば、と気が引き締まった。福居基、ありがとう。約束通り、一生応援するよ。

サン・アドに入れた本当の理由

サン・アド書類2

『経験3年以上』という決まり文句のあった入社試験。
「なんで未経験の僕が入れたんですか?」
入社後しばらくして、時期を見計らって社長の坂根さんに聞いてみた。

「経験者は2人決まっていたんだ。中村クンはおまけだったんだよ。
仲畑クンが『こいつも入れときましょうよ』って言うもんだから、
おまけの3人目ね」

と言われた。なんでおまけになれたのか、仲畑さんに聞いてみた。
『中村の作文が良かったのよ』
と仲畑さん。

作文のテーマは『サン・アドに入って私のやりたいこと』だった。
僕は何を書いたか今でもはっきり覚えている。
当時僕は23才。トンプソンの新入社員の営業で、
夜、コピーライター養成講座の専門コースに通っていた。
その講師である岡田耕さんのことを書いた。

岡田さんは電通の部長クリエーティブディレクターで
隣りの席に山川浩二さんという岡田さんのライバルでもある
部長クリエーティブディレクターがいた。
山川さんも養成講座の講師だった。
そしていつも
「うちのクラスからは糸井(重里)クンが出たんだよね。
岡田くんも講師やってるんだって?」
と岡田さんに自慢してきて、
岡田さんはそれがイヤでイヤでたまらなかったと聞いたことがあった。

僕は書いた。
「糸井さんみたいになる、とはおこがましくて言いませんが、
 サン・アドには中村禎というなかなかいい
 新人コピーライターがいるらしいね、くらいになって、
 岡田さんに肩身の狭い思いをさせないようにしたい」

それはハッキリ覚えている。だって、ほんとにそう思っていたんだから。
仲畑さんはその作文を読んで、
こいつを取ろうと社長に進言してくれたという。
文章が上手なのではない。
書いた中身が仲畑さんの心に引っかかったのだと思う。
稚拙な文章でも本当の本気で書いた言葉にはチカラがあるんだと思った。

2001年の春、僕がKDDIの仕事で
TCC最高賞を獲ったことは知らないまま、
岡田耕さんはお亡くなりになってしまったけれど、
中村禎という岡田クラスの生徒が、
サン・アドで最高新人賞を獲ったことは報告できた。

そして今年、
そのサン・アドでコピーライターになってから30周年となった。
当時の養成講座岡田クラスの生徒だった中村禎が、
現在の養成講座中村クラスの教え子たちから祝ってもらえたことを
岡田さんに追加で報告したいと思った。(2011年8月)

リンク元:サン・アドに内定

第52回宣伝会議賞

通過者リスト

宣伝会議コピーライター養成講座専門コース中村組の約束として、『顔と名前を憶えている限り、一生応援する』というのがある。だからまた、ことしもやってしまった、名前さがし。今年の宣伝会議賞は、52万3392点の応募の中から一次審査を通過したのは6563点。一次審査通過率1.25% 『中村組なら一次くらい軽く通らないと・・・』と言っていたけど撤回します。こりゃ至難の業だわ。一次審査員には悪いけど、いいコピーもきっと何本か漏れているとは思う。しかし、ここに残ったコピーには、賞には届かなかったものの、何かしら光るものがあって一次審査員の目に留まったコピーだ。それを書いたコピーライター、そこに応募したコピーライターをボクは讃えたいと思います。
———————————–
■118廣川洋平■214佐藤潤一郎■215佐藤文香■313立花満■315中村斉継■320松本達也?■321丸橋裕史■322宮城朝一郎■420松川亜紀■513城市俊則■601阿部希葉■602阿部裕一■701石本香緒理■702伊藤拓郎■703伊東美貴■712倉林洋輔■716柴田尚志■723野田頭弘修■801伊藤みゆき■810島田寛昭■814高橋祐司■815高山祐輔■827山本聖子■902石井 亮■904大杉陽■906大橋幸裕■912佐藤仁康■915鈴木達也■916関根祥量■919西野入慎吾?(長野?偽名で?)■925宮本真由美■1005植村明弘■1007大瀧篤■1008岡本真帆■1014菅谷敏通■1020野口拓也■1021半田智洋■1023松田彩子■1025柳元良■1101阿部亮介■1104遠藤絢子■1109岡山和也■1110奥村広乃■1111小副川陽子 ■1114小嶋千晶■1116坂本光隆■1117田村峻哉■1121松田伊久磨■1122松本 和音■1123丸山るい■1125望月一樹■1203片岡良子■1210高石幸典■1211高橋俊一■1212玉熊文乃■1213堤千明■1214鶴岡延正■1218長谷川慧■1220福本剛士■1222安藤小百合■1224森下夏樹■1226矢内そらん■1227渡邉和也
———————————–
通過者リストを拡大コピーして、マーカーで印をつけていて思ったこと。①やはりフルネームが大事。フルネームがその人の看板なんだから、ボクはそのフルネームで見つけることができるのだから。②懐かしい初代の118廣川洋平や、3代目の315中村斉継の名前を久しぶりに見てうれしかった。斉継は3代目の飲み会幹事をよくやってくれた男だ。生きてたか!③一次審査通過した顔ぶれをみると、電通の若手コピーライターより中村組のほうが多いと思った。勝ったね。④やはり、授賞式にまで来るやつは、いくつも複数名前が残っていた。中村組以外でも何度も見る名前は憶えるし、名刺をもらっても初対面とは思えない。やっぱり、ここで名前を残すことには意義があると思う。

ここに名前が残らなかった者も、ノミネートされたけど賞に届かなかった者も、その悔しさを忘れずに、来年の授賞式で会おうね!

シルバーセブン

シルバー7

宣伝会議賞コピーシルバーのコピーはまったく同じコピーを書いた人が7人もいた。このコピーは2次審査で見て憶えていた。○をつけた。賞が決まって受賞者の名前を聞いたら、その7人のうち3人が中村組だった!www 7代目柴田尚志、8代目島田寛昭、12代目高橋俊一。ある意味、教えに忠実だったともいえるし、中村組の血筋ともいえるかなw ともかく、いいコピーだと思いますよ。同じこと考えたヤツが7人もいて賞金も7分の1だけど、でもいいコピーを書いたことには違いないんだから。おめでとう!

晴れた…サン・アドから電通へ③

一番搾り晴れた1992年の元旦の新聞全頁広告

電通に来ない?…サン・アドから電通へ①
馴染めない問題児…サン・アドから電通へ②

助けてくれたのは一番搾りでした。故・高梨駿作CDがキリン一番搾りのチームに誘ってくれたのです。このチームの打合せに参加して最初に気づいたこと。それは「電通には優秀な人間がこんなにたくさんいるのか!」ということでした。クリエーティブのCMプランナー安西俊夫さんが優秀なのはもちろん知っていましたが、SP局の人間(当時はセールスプロモーション局といって販促施策を考える部署の中西謙司さん)も優秀。マーケの人間(小林くん)も優秀。なにより営業の人間(前田圭一さんをはじめとする第3営業局KIRINチーム)がメチャメチャ優秀。みんな意見が明快で、アイデアは出すわ、決断は早いわ、行動力はあるわ。とにかく「切れる」ヤツらばっかりでした。

「電通にもこんなに優秀な人たちがいるんだ」
「そうか!こういう人たちと仕事をすればいいんだ」

つまり、電通の悪い部分ばかりを見つけようとするのではなく、電通の良い部分を見つけて、そこに自分が行けばいいんだ、と気づいたのです(遅いよ!)ダークサイドばかり見ているとそっちに引込まれる。いい人を見ているとそっちについて行ける。目の前がパッと晴れました。さらにいうとこの一番搾りチーム、CMを制作してくれた菊地誠さん率いる太陽企画チームも全員ナイス、グラフィックの宮田識さん率いるドラフトももちろん優秀でした。このチームの一員になれたことで、だんだん調子を取り戻すことができたのです。(電通の営業の新人も太陽企画の制作の新人も、最初は危なげでもすぐに一人前に鍛えられていくのがわかるほどでした。チームって大事なんですね)

92蝉が鳴く好きに書かせていただいた一番搾りのコピー

そんなある日、親分の仲畑さんが食事に誘ってくれました。赤坂見附のすき焼き屋でした。

「どうや、中村。ええコピー書いてるか?」
「はい、最近一番搾りのチームに入れたので、ぼちぼちです」
「そうか、よかったなぁ。中村は時間がかかると思ってたんだ(馴染むのに)」
「えーっ!知ってたんだったら、早く言ってくださいよー!w
 電通に行ってもいいって
 仲畑さんが言ってくれたんじゃないすかー!もーw」

当時もらった、仲畑広告からの年賀状。そのなかの赤いサインペンの手書きのひと言が忘れられません。

「タダシちゃんも、調子でてきたようで、ヨカッタ。ナカハタ」

やっと馴染んできたうれしさより、親分は心配してくれていたんだということが、涙がチチョギレルほどありがたかったことを憶えています。33、4才頃のコピーライター中村禎でした。(つづくの?)

【参考】
こんなコピーを書きました●晴れた。
こんなコピーを書きました●ビール、ビールと蝉が鳴く。

リンク元 プロフィール キリン一番搾りのチーム

馴染めない問題児…サン・アドから電通へ②

築地電通ビル売却される築地本社ビル。最上階、展望室の喫茶室で遠くを眺めながらコピーを書いていた。

30才を過ぎた転校生は、なかなか電通に馴染めませんでした。岡田耕さん「電通のクリエーティブに他の血を入れることで、化学変化を起こしたい」とおっしゃっていた。ボクはそれを『意訳』しすぎたのかもしれません。『電通のクリエーティブを変えたい。刺激を与えて欲しい』と言われたと勝手に思っていました。確かにそういう目的もあったと思いますが、とにかく『変えなくちゃ』と力み過ぎていたのかもしれません。

配属先の局会で今までの仕事をビデオで見てもらうとき、唖然とすることがありました。『中村さんは、コピーライターなのにテレビCMもつくられるそうです』と紹介されたのです。当時の電通は、コピーライターはグラフィックの仕事をする人、CMはCMプランナーの仕事、という空気だった。大丈夫か?この会社・・・と思ったものでした。サン・アドではコピーライター、アートディレクター、フィルム・ディレクターの3人いればキャンペーンがつくれました。演出家がワンビジュアルを提案したり、ADがコピーを出したり、コピーライターがコンテを描いたり。それぞれが自分の職業を軸足に、マーケッターや営業や他のジャンルの守備範囲にも動きながら企画をする。そういうスタイルでボクは育ちました。版下を自分の手でつくらないデザイナー、やたらと人数が多い会議、プレゼン直前に初めて顔を見せ、ダメ出しをする営業局長・・・。何もかもがサン・アドのやり方とは違っていました。

完全なスランプ。満足のいくものが何もつくれず、新人賞以来毎年掲載されていたコピー年鑑にも、ついに何も掲載されないという事態に。さすがにこれはショックでした。当時の親分は大島征夫さん。大島さんはなんとかボクにいい仕事をさせようとしてくれていました。どんな仕事を振ればいいか気遣ってくれていたようです。そのぶん、仕事の『量』がボクには足りませんでした。何でも良いから『試合』に出たかった。仕事がヒマだからサン・アドから来たのに、電通でもヒマでした。ある日、会社の行き先掲示板に『銀座→日比谷→六本木→中目黒→NR(直帰)』と書きました。なんのことはない、東銀座から日比谷線に乗って中目黒で東横線に乗り換えて祐天寺の家に帰ります、という意味でした。そんな『反抗』をしていた問題児だったのです。今思うと、『化学変化を起こしたい』という言葉から、電通の悪い部分だけを見つけて文句ばっかり言っていた「見当違い愚痴野郎」でした。そんなこんなで2、3年。この転職は失敗だったのか、と思う日々。そして、その「見当違い愚痴野郎」に転機が訪れます。(つづく)

電通に来ない?…サン・アドから電通へ①
晴れた…サン・アドから電通へ③
同期の3人(+1)

リンク元  プロフィール  異端児