奇跡の写真@FRANCE98

この2枚は奇跡の写真です。ちょうど20年前、1998年フランスW杯。チケット騒動に巻き込まれながらもなんとか初戦アルゼンチン戦のスタジアムに入れた若者二人。といってもボクはこの時すでに40才ですが。で、何が奇跡かと言いますと。

まず、川口能活ユニのサクラくんの写真を見てください。画面左、腰に黄色いジャージ(パーカーらしい)を巻いた、NANAMI 10番を着た女の子。

KAZU 11番のユニを着たボクの写真を見てください。左下、腰に黄色いジャージを巻いてadidas三本線のジャージを着て笑っている横顔の女の子。

つい最近になって気づいたのです。あれ?この子、もしかして・・・・。と思って「本人らしき人」に確認してみたところ、20年前の「この子」はなんと!「その人」だったのです。ブラジルW杯に行く前に集まった、サッカーサポーターの集まりで出会った、ボウリングのピンの仮装をして何度もW杯に参加している知り合い、サポーター仲間なら誰もが知っている「金チャン」こと金原麻愉さんだったのです!

1998年フランスW杯の写真に偶然写った人と、2014年虎ノ門のHANZというサッカーアフォーターの集う店で出会い、顔を白く塗られ、ブラジルに行き、そして2018年ロシアへ。ボクが独身だったら、恋に落ちそうな運命の赤い糸です。

ブラジルW杯出発前のアフォーターの集まりで、『ナカムーさんも白塗りしなさい』と言われ、アフォになりきる快感を覚えた、奇跡の人との2ショット。

フランス98の記憶①開幕戦の夜
http://nakamuratadashi.com/2014/01/23/フランス98の記憶①開幕戦の夜/

【今日のピンバッジ#12】スタッド・ドゥ・フランス

スタッドフランスPINS【今日のピンバッジ#12】スタッド・ドゥ・フランス

1998年フランスワールドカップ決勝が行われたスタジアム『スタッド・ドゥ・フランス』。フランスvsブラジル。ジダンの2ゴールとプティのダメ押し3点目でブラジルを破り、フランスが優勝したスタジアム『スタッド・ドゥ・フランス』

日本代表の第2試合目、ナントでのクロアチア戦が終わって、すぐバスに乗り込みパリへ向かう。次の日の早朝の飛行機で日本に帰るため、深夜にパリに入り、ホテルで仮眠して空港に行くというスケジュールだった。深夜を走るバスの中で目を覚ますと、パリ独特のオレンジ色の照明の中に大きな建物が見えた。それが『スタッド・ドゥ・フランス』だった。そこでの試合は見れなったけれど、周りだけでも偶然一瞬見えてうれしかった。空港の売店で記念にこのピンバッジを買った。サッカー好きじゃないと「なんじゃこれ?」だと思うこのピンバッジ。フランスへ哀悼の意を表して、今日のピンバッジとします。

フランス98の記憶⑩証拠の品


この3枚のチケットだけは捨てられない。だから額装しました。

このフランス98が予定通り、チケットトラブルもなくツアーに参加していたら、ここまで記憶に残っただろうか。試合も予定通り見れて日程も予定通り。それはそれでラクチンだけど、記憶の深さからすると今回のチケット騒動は、初めてワールドカップというものに「参加」する日本人にとってよかったんじゃないかと思える。(いま振り返ると、だけど)

フランス98でよかったこと
●メモ帳に日記を書いたこと(読み返すとその一日が動画でよみがえる)
●風景をスケッチしたこと(風景を写真に撮るのはカンタンだけど、ヘタでいいからスケッチするとその景色の中に長い時間いることになる。だからその景色をじっくり見れるし記憶に焼き付く)
●旅先で聴く音楽(バス移動の中で聴いたウォークマン。スタジアムでかかっていたリッキー・マーティンなど、その曲を聴くと一瞬で当時の記憶に戻れる)
●アルゼンチン人、クロアチア人、ブラジル人、モロッコ人、そしてフランス人と話せたこと(サポーターの植田朝日さんがワールドカップに行く日本人たちに「日本を一歩でたら、ボクたちはみんな日本代表なんだ。日本人の代表として振る舞うべきだと思う」と言っていた)
●君が代を聞いて泣く自分がいた(自然と泣けてきた。条件反射になってしまった)
●98年の夏、フランスにいたという事実(フランスW杯に行った、というと「おお!」と言われる。アルゼンチン戦の君が代で泣いたというと「おおお!」と言われる)

だから2014年、ブラジルに行きます。

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98_0135

 クロアチア戦後そのままバスに乗りパリへ移動。クロアチアサポーターとユニフォーム交換をしたサクラくん。ボクの11番KAZUのユニフォームは背番号がボロボロに剥がれてしまい、今はもうない。

 

16年前の記憶。もっと長かったように感じたんだけど、旅の記録によると8泊10日だった。もっと長く感じたなぁ。6月20日クロアチア戦が終わり、ナントからバスに乗り、一路パリへ。その日の夕食はなんだったか記憶にはない。ただ深夜にパリに着いて、決勝戦が行われるサンドニのスタッド・ドゥ・フランスのそばをバスで通ったことは憶えている。夜中にパリのホテルに入り、数時間仮眠をして早朝空港に向かう。記録を見ると、21日パリ0715発ーバルセロナ0915着(AF1000便)、バルセロナ1235発ー翌日1055成田着IB6711便 だったようだ。

フランス98行程r旅程表

ワールドカップ観戦ツアーは、試合観戦じゃない時間のほうが長い。その時間をどう過ごすかが大事になってくると思う。試合のある日はオン、試合のない日はオフ。ある意味、CM撮影のロケに似ているんじゃないかとも思った。撮影がある日はオン、ない日はオフ。オフの多い海外ロケは楽しい。また、レンヌやナントという、普通の観光では行かない街に滞在したことも楽しかった。試合の記憶は強烈に残るけど、なんでもない日のなんでもない景色もまたじんわり心に残っている。写真に残っていなくても憶えている景色もある。そういえばレンヌの町の散髪屋にも行ったなぁ。アルゼンチン人たちと笑い、クロアチア人たちとカタコトでしゃべった。旅の最後にエッフェル塔を見て、ああ、ホントにここはフランスだったんだ、と思った。

次回、最終回はワールドカップFRANCE98、一番の思い出の品をご紹介します。

ばかふたりある日のバカふたり in FRANCE98

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり
フランス98の記憶⑩証拠の品

フランス98の記憶⑧クロアチア戦

FR98CRO1

第2戦クロアチア戦、ナント、ボージョワールスタジアム。この試合もチケットは取れていなかった。ボクたちはアルゼンチン戦のチケットを確保してくれたM氏から「たぶん大丈夫」と言われてはいたが、当日会えるまでわからない、不安の中にいた。一方、アルゼンチン戦はパブリックビューイングだったツアー仲間たちは逞しくなっていた。パリまで行って割高だけどチケットを確保した女の子たち、レンヌの駅前で「チケット・シルヴプレ」の紙を持ってなんとか1枚手に入れた、海外旅行が初めての青年。近ツリもかけずり回って何枚か用意してくれて、無事に全員が観戦できることとなった。よかった。

駅前スケッチ駅前のカフェでスケッチをしていたら、同じツアーの青年が「チケット・シルヴプレ」と書いた紙を持って自力で確保しようとしている姿を見つけた。2試合目にして日本人サポーターが逞しくなっている姿を目撃した。

フランス98_0088フランス98_0087

とても暑い一日だった。試合は0対0の時間が長く続いた。中田ヒデから速いクロスが入り走り込んだゴン中山が完璧なトラップからのシュートを打つも、相手GKのスーパーセーブに遮られる。試合は互角のように見えた。このまま勝たなくてもいいから引き分けで勝ち点1を取るのも悪くないなと、ふと思ってしまったのがいけなかったのだろうか。シューケル(当時レアルマドリー)に決められてしまった。決して鮮やかなゴールではなく、こぼれ球を押し込まれたような点だったように記憶している。どんなカタチでも1点は1点なのだ。ワールドカップは(というかフットボールは)勝つということがすべてなのだ。勝ち点3を取るか取らないか。そのためなら何でもする、という大会なんだ。惜しいシュートだったとか、いいカタチは作ったとか、ボール保持率は上回っていたなんて関係ない。相手より1点多く取るかどうかだ。

FR98CROBUS試合後のバスの中。悔しさを全面に出す2試合目の日本人サポーター。サクラはクロアチアとユニフォーム交換。AKITA#17はクロアチアへ。

試合後、スタジアムを出て日本人サポーターとゾロゾロ歩いているとき、第一戦の時とは違う空気を感じた。初戦のアルゼンチンは優勝候補の格上でもあるので、「0対1で済んでよかった」的な「最少得点差で負けた」ことに「よくやったよ」という空気があった。しかし2戦目はあきらかに「悔しい」という怒りにも似た空気が漂っていた。日本代表がだらしなかったわけではなく、ただ負けたことがホントに悔しいという空気。日本人サポーターも2試合目で成長したんだと感じた。ワールドカップ常連国は確かに強い。そしてその国のサポーターも強い。何度も悔しい負けを乗り越えて応援しているからだろう。その悔しさのパワーもハンパないんだと思う。代表チームも成長しなければいけないが、ファンやマスコミも初出場の日本は他の国より倍速以上の早さで成長していく必要がある、と感じた。

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)

FR98NNT

ル・マンとかモン・サンミッシェルが近い町。フランス西部にある、ナントのボージョワールスタジアム。日没が21時過ぎの夏のフランス。試合前のウォーミングアップにブラジル代表選手たちが入って来た。お揃いの白いウインドブレーカー。遠くに小柄な選手が見えた。動きでわかった。ロベルト・カルロスだ! 本物のロベルト・カルロスだ! しびれた。169cmくらいの身長なのに、この広いピッチの上で存在感メチャメチャあるじゃんか。ああ、これがワールドカップか。

FR98ナントスタジアムFR98bebeto

ブラジルの国歌は歌える。歌詞はわからないけど、メロディは知ってる。背番号6番(パチもんユニ)のロベルト・カルロスと背番号20のベベトを着た日系ブラジル人の見守る中、ブラジルvsモロッコのワールドカップがキックオフされた。

おぼろげな記憶。ボクらの席のあるゴールにまずリバウドが決めた。そしてロナウドも入れた。試合中、ドゥンガが、守備をしないロナウド(ベベトだったかな)を怒鳴りつけていた。(たぶんこれは、記事にはなっていないと思う)でもボクは見た(双眼鏡で)

FR98ホリディイン

幸せな試合を見ることができた・・・。トラムで市内まで戻り、ホテルに帰る前、まだ身体が火照っている状態だった。試合に勝ったブラジル人サポーターで大騒ぎしている町のカフェに日系ブラジル人ふたりは紛れ込んだ。外のテーブルだった。フランスの、たぶん地元の人だろう、若いお母さんと小さな女の子がボクらの席のそばを通りがかる。変な外人だったボクら。相棒はその女の子に自分の持っていたBRASILマフラーを巻いてあげた。若いお母さんもニッコリ。その女の子もニッコリ。サクラは太っ腹。まだ5、6才だったんじゃないだろうか。その子はまだ、あの日系ブラジル人がくれたBRASILマフラーを持っていてくれるだろうか。もし持っていなくても、あの女の子の記憶に残っていれば、なんてステキなことだろう。

FR98マフラー

2014年、ブラジルに行ったら、いろんな子どもに何かしらあげて来ようと思う。

FR98ブラモロスケッチ

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)

FR98クロックマダムFR98クロックムッシュ

ツアーで宿泊しているレンヌという町と、試合のあるナントという町は約120km離れている。国立競技場の試合を見るのに沼津のホテルに泊まっているカンジだ。しかし、ボクたちの手にはブラジルvsモロッコ戦のチケットがある。ブラジル戦のキックオフは21時だから、試合が終わってからレンヌまで電車では戻ってこられない。ツアーから離れてナントに一泊することにした。

スタジアムに行く前に町のカフェで腹ごしらえ。サクラは「クロックムッシュ」を、ボクは「クロックマダム」を頼んだ。クロックムッシュはなんか聞いたことがあったけど、クロックマダムって何だろうね、と頼んでみた。クロックムッシュに目玉焼きが乗ったのが「マダム」だった。なかなかいいじゃん、目玉焼き。

FR98ブラクルマ

けたたましくクラクションを鳴らしながらクルマが通りかかる。「ったく、うるせーなー」と思っていたら、お仲間さんだった。「ブラ〜ズィウ! ブラ〜ズィウ! ブラ〜ズィウ!」と騒ぎながら箱乗りしているブラジル人のクルマ。ブラジルユニやBRASILと背中に入ったウインドブレーカーを着たボクたち「日系ブラジル人」もそれに応えた。町中がこんな「サッカーバカ」ばっかりになる。それがワールドカップなのだ。ぼくらもそのサッカーバカの真ん中にいる。

FR98サンバ太鼓FR98ブラサンバ

街の中心部からスタジアムまではトラム(路面電車)で行く。スタジアム駅で降りるとき、とくに検札みたいなのはなかった。試合の日は無料だったのかもしれない。キックオフは21時なんだけど、スタジアムには18時前に到着していた。スタジアムの周辺はもうすでにお祭り状態。パチもんのユニを売る人たち、サンバのリズムで踊りながら練り歩く集団、カポエイラを披露するグループ。そんな光景をビールを飲みながら芝生に寝転んで眺めている。チケットがあるだけで、こんなにも余裕をもって観戦できるんだ。トゥールーズとは別世界。W杯を観るという資格というか免許証をもらったという気分だった。ああ、これがワールドカップなんだ、と感じた。(日本戦は楽しむというより緊張するので、心から楽しむためには日本以外の国の試合を見るのがいいみたい)

18時半、第2ゲートが開いて、いよいよ観客席に入る。 ・・・フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)へつづく

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98の記憶⑤バスの一日

FRANCE MAPFRANCE98_0079

朝8時、ホテルを出発。今日は一日移動の日。9人のサッカーバカと悲しき添乗員と気楽なドライバー。11人で乗る大型バスの旅。アルビからボルドーを経てナント、レンヌへ向かう。ホテルからスタジアムまで、試合のある町から町へ、W杯のツアーは基本バス移動だ。しかも、その距離がハンパない。国がデカイんだからしょうがないか。それはもう覚悟の上だから、その移動を楽しめばいい。(というか、それしかない)約10時間の旅。700kmくらいだろうか。東京から広島くらいまで行くカンジ。

FR98 BUS

フランスの田舎をただ、ひた走る。途中立ち寄ったサービスエリアでフランスの子どもたちに囲まれる。子どもたちも日本人の兄ちゃんたちが珍しいのだろう。ボクらは「ジャポン、ジャポン、シルヴプレ」(日本を応援してくれよ、の気持ち)くらいしかしゃべれない。すると子どもたちは「なんかくれよ」的な態度にでてきた。相棒の佐倉くんは太っ腹だ。自分が頭に巻いていた日本代表バンダナをその子どものひとりにプレゼントしたのだ。ボクも同じものを持っていたが、ボクはあげなかった(痩せっ腹)あの時の子どもが、将来フランス代表の選手になっていたらスゲーだろうな。あれから16年。仮に8才だったとしたら24才。サッカーする若者になっているだろうか。フランスでサッカーやっていて「フランスW杯のとき、ボルドーのサービスエリアで、ジャポンのサポーターにこれもらったんだゼ」と自慢してくれているだろうか。佐倉とお揃いで持っていたそのバンダナ。ボクはまだ持っているんです。

98バンダナ

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98の記憶④最初の試合

フランス98_TLS左フランス98TLS右

スタジアムは陸上トラックのない、サッカー専用の競技場。3万人ほどの小さなスタジアムだったが、そのぶんピッチが近い。すぐそこに川口能活がいる。名波浩がいる。客席を見渡すとけっこう日本のブルーを着た人が多い。ほんとにチケット騒動があったのか?というくらい日本人は多かった。

ウォーミングアップの選手たちが下がり、応援の声が止んで、スタジアムが一瞬静まり返る。FIFAのアンセムとともに日本代表とアルゼンチン代表、選手の入場です。再びスタジアムが爆発する。選手入場ってだけで早くも泣きそうになる。そして全員起立。国歌「君が代」が流れるともうアウト。胸に手を当てて、泣きながら歌っていた。(それ以来、日本代表の試合はテレビ中継でも「君が代」でうるっとくる体質になってしまった)

FR98アルゼンチン先発

川口・井原・秋田・中西・名良橋・相馬・名波・中田・城・中山。バティストゥータ・オルテガ・ベロン・クラウディオロペス、シメオネ・・・。目の前で日本代表が初めてのワールドカップを闘っている。名波のクリアボールの跳ね返りが運悪くバティストゥータの前へ転がり、能活と1対1になったが、初出場の日本をあざ笑うかのように浮かせたシュートで、アルゼンチン先制。チカラを落とす日本サポーター。意外に思ったのは、初出場で明らかに格下の日本相手に1点取ったくらいで、アルゼンチンの選手たちはメチャメチャよろこんでいた。格下相手に当然だというカンジになるのかと思ったら、違っていた。それほどワールドカップの1点は重いんだということなんだ。(W杯初戦の勝ち点3がどれほど重要かを日本はまだ知らなかった)結果は0対1の敗戦。正直なところ、「初めてのW杯でしかも強豪アルゼンチン相手なんだから、大量失点で負けなくてよかった」的な気持ちがあった。日本サポーターにもそれがあったんじゃないかと思う。チケット騒動もあり、試合後は「W杯を観れた」という満足感のほうが大きかったんだと思う。みんなニコニコしていたから。(これは2戦目のクロアチア戦で変化を見せることになる)

FR98アルゼンチン

スタジアムの外でアルゼンチンサポーターと健闘を称え合う。一緒に記念写真を撮ったり。ワールドカップは対戦相手の国の人と交流することも愉しみのひとつだと思う。「ア〜ルヘ〜ンティナ! ア〜ルヘ〜ンティナ!」そういうふうに発音するんだ、ということも学んだ。

フランス98アルゼンチン

日本サポーターでおそらく一人だけだったんじゃないかと思うほどレアな能活のレプリカユニで臨んだ相棒佐倉くん。試合後、アルゼンチンサポーターとユニフォームを交換していた。バスに戻って冷静になって、「タダシさん、このアルゼンチンユニ、ペラペラのパチモンですわ。しかもワキガ臭いし。オレの能活はKAMOで番号とか全部入れて高かったんだけどなぁw」と笑っていた。もったいないけど、そのアルゼンチンの兄ちゃんはその能活ユニをアルゼンチンに帰って自慢するだろう、と思えば、それも友好かな、と。(ボクは「次のクロアチア戦にも着て行くし、ゴメンね」と断ったけどね)

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり

フランス98の記憶③長い一日

フランス98_TLSテレカトゥールーズ競技場の電話ボックスからM氏に電話するために使ったテレフォンカード

フランスW杯に行くために、イベリア航空でバルセロナに向かう。ちょっと変なカンジだが、初戦の会場はトゥールーズというスペイン国境にほど近いフランス南部の町。パリから行くよりバルセロナからの方が近い。バルセロナの空港に付いたのが21時半過ぎ。そこからバス移動だ。バスでピレネー山脈を越える。真っ暗な山道を黙って走る大型バスにはツアー客は9人。空席はキャンセルをした人たちの分だ。無人の料金所のような場所を過ぎる。旅行会社添乗員の「フランスに入りました」の声。9人の拍手がわいた。パスポートにスタンプは押されなかったのは残念だったが、ついにフランスに入った。

今日の宿泊地はトゥールーズではなく、その近くのアルビという町。真っ暗で静まり返ったアルビの駅前を過ぎて、午前2時半頃、ようやくホテルに到着した。ワールドカップの場合、試合のあるスタジアムの町にはだいたい宿泊できない。近くの町に宿泊してバス移動、というのがツアーの常識のようだ。東京に住んでいて埼玉2002に行くどころの距離ではない。御殿場に宿泊して国立競技場の試合を見に行く、そんな距離感だろう。アルビのホテルの部屋にチェックインして5時間ほど仮眠する。翌朝早くにまたバスは出発する。

フランス98_TLSアルビアルビのホテルにチェックインしてまず一番大事なものを取り出す。シワにならないようにハンガーにかける。

1998年6月14日、日曜日、午前11時30分。
トゥールーズの駅前は日本人でごった返していた。青い炎のレプリカユニフォームを着込んだ日本人たち。ボクたちは、M氏と連絡を取らなければならなかった。「2枚だったら、なんとかなるかもしれません。頑張ってみます。当日着いたら連絡ください」と、日本を出発する前、先発していたM氏に言われていたのだった。チケット騒動に巻き込まれた日本人ツアー客たち。ボクたちもその一部分だった。

「入れなくてもいいじゃないですか!その日その時間にその場所に居られることがいいんじゃないですか!タダシサン!」と励まし続けてくれた相棒と言い出しっぺの私、ばかふたり。トゥルルー、トゥルルー。いかにも外国の電話らしい呼び出し音が聞こえる。「ハイ」「あ、中村ですっ!」「今どこすか?」「駅です、トゥールーズの」「大丈夫すよ。2枚ゲットしました!スタジアムの近くに着いたら、また電話ください」電話ボックスの外にいる相棒に小さなガッツポーズを送る。飛び上がりたい気分だったが、ボックス越しに見える他の日本人サポーターに申し訳ない気がしたし、スタジアムのゲートで無事にM氏と会える保証もないので、まだ不安ではあった。大型バス1台にたった9人の客を乗せたツアーバスは、スタジアム近くのだだっ広い駐車場まで行き、そこからは別のシャトルバスに乗り換える。トゥールーズ競技場のそばの公園に旅行社が用意した大画面で、せめてもの中継を観るためだった。

フランス98_TLS騒然サポーターにとっても初めてのW杯 殺気立つ交差点

「ア〜ルヘンティナ!ア〜ルヘンティナ!」2台連結されたシャトルバスの中で、水色と白の縦縞たちと青い炎の日本人たちがごちゃ混ぜになる。老夫婦が水色の縦縞を着ていたりするところが、敵との歴史の差を感じさせる。ゲートの近くで降りると、そこには、なんともいえない殺気のような異様な空気が流れていた。ダフ屋を捜して走る日本人。日本人と交渉しているフランス人。日本人の名前を叫ぶ声。小競り合いの外国語。検問のあたりにはマシンガンを持ったデカイ警備員たち。交通整理の笛を鳴らす警官。ソーセージを焼く屋台。砂埃とクラクション。

フランス98_TLSいい匂いいい匂いだった。しかし買う余裕はなかった。

ボクたちは電話ボックスに走った。「中村ですっ」「いま、どこのゲートですか?」「え?いや、スタジアムが正面に見えて手前に橋が架かっていて、川が左右に流れてて、それと平行に走っている道に、直角に立体交差があって・・・」自分でもよくわからない説明だと思った。地名の書いた標識をさがして、もう一度電話することになる。「 Croix de Pierr」という標識の文字を呪文のように書き写し、ふたたび電話ボックスに戻ると、なんと列ができている(ケータイがまだそんなに普及していなかった)全身の毛穴から汗が噴き出てくる。試合開始まで1時間を切った。「タダシサン!あっちにもボックスありましたよ!」相棒が道の向こうから叫んでいる。ダッシュ!クルマに引かれそうになりながら通りを渡り、ガラス張りの電話ボックスに飛び込む。深呼吸ひとつして、三度めの番号を押す。つながった!

フランス98_TLSメモ現在地を知らせるためのメモ。こんなのでよく伝わったもんだ。

マシンガンを構えたガードマンのいる橋の上。M氏と再会。もう、泣き叫びたいくらいの気持ち。背番号11番のKAZU23番のYOSHIKATSUを着込んだばかふたり、堅い握手。下手に騒ぐと襲われそうな場所である。ボディチェックをひきつった笑顔で通過して、31番ゲートに近づいて行く。場内からリッキー・マーチンの曲が大音響で聞こえる。ああ、ちびりそう。最後のチケット確認をすませ階段を走って駆け上がる。目の前に、鮮やかなグリーンのピッチ上でアップをしている日本代表チームがいる。本当に目の前に日本代表がいるのだ。・・・相棒と抱き合う。スタジアムを見渡すと、ウルウルしてきた。FRANCE98。とうとうワールドカップにやってきたのだ。

フランス98TLS佐倉jpgフランス98_TLS禎なんのトラブルもなくツアーに参加していたらこんな感動はなかったのだろう。チケット騒動のおかげで、初めてのW杯の感動が何十倍にも増幅した。こんな顔、なかなかできない。

 

フランス98の記憶①開幕戦の夜
フランス98の記憶②出発直前
フランス98の記憶③長い一日
フランス98の記憶④最初の試合
フランス98の記憶⑤バスの一日
フランス98の記憶⑥ブラジウ(前半)
フランス98の記憶⑦ブラジウ(後半)
フランス98の記憶⑧クロアチア戦
フランス98の記憶⑨旅の終わり