母の勇気を、なんとかしたい。

母の勇気

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母の勇気を、なんとかしたい。

ミセスの求人ページ、できました。とらばーゆ

1986年 とらばーゆ
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とらばーゆにミセスの求人ページができた、それを告知するキャンペーンでした。北イタリアのSUTRI(ストゥリ)という小さな村。その当時も使われていた村の公共の洗濯場。この場所をロケハンで見つけたこと自体が奇跡に近いことでした。演出の今村直樹ディレクターとプロデューサーだけの先発隊がポルトガルのナザレという町までロケハンに行ったりしてたと記憶しています。あの頃は、ロケハンにも十分時間をかけることができました。この仕事は、パリのコーディネーター、オデッサフィルムのおかげだと思います。現地のお母さんたちや娘さんたちをオーディションして出演していただきました。衣装はこのお母さんの家に行き、タンスの中を見せてもらい、これを着て来て下さいとお願いしました。だけど、お母さんたちは、ちょっとおしゃれな服を着て来ちゃう。毛玉のついたこのセーターがいいんです!と無理をお願いしたり。ロケが終わり、ストゥリの村を後にする時、ロケバスからこの洗濯場の建物を見上げたとき、もう一生に二度と来られない場所なんだろう、あのお母さんたちにはもう二度と会えないんだろうと思うと、泣きそうになったことを憶えています。

母の勇気洗濯CM

コピーについて。自分では、このコピーはいいと思っていました。でも、ほんとにそうなのか?確信が持てませんでした。テレビのナレーションの場合、ナレーターがMAVのスタジオのブースに入り、監督が「一度テストお願いします」と仮に読んでもらいます。その第一声で、そのコピーがいいかどうか、すぐわかります。読み方がどうとか、そういうことではなく、いいコピーなら、第一声を聞いて大丈夫だと思える。ところがダメなコピーだと、どんなに読み方を変えてもらってもダメ。このコピーのときは、家でひとりで読んでラジカセに録音して聞いてみました。自分の声を録音して聞くのは恥ずかしいんですが、スタジオで恥をかくよりマシだと思ったのです。自分のコピーをなんとか客観的に見てみる。それが大事だと思っていました。

この時のナレーターは宇崎竜童さんでした。テストでもらった第一声で、大丈夫だと思いました。というか、最高でした。今村直樹カントクのいいところは、音の設計が素晴らしいところです。コピーを理解してくれています。CMのナレーターの声は、グラフィックの書体と同じだと思うからです。


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