アダムスミスと「いいね!」

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2013年のソーシャルメディアウィークTOKYOに行ってきました。昨年の2月に初めて参加して、いろいろ刺激のあるセミナーが聞けたので、今年も。経済ジャーナリスト木暮太一さん「アダムスミスは見抜いていた?ソーシャルメディアのジレンマ」での話をメモしました。

経済ジャーナリスト木暮太一さんの言葉
木暮太一さん@koguretaichi
http://www.matomabooks.jp/news/archives/1659.html …

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「経済学の切り口からソーシャルメディアを考えてみたいと思います。アダム・スミスは労働価値説を唱えました。労働価値にお金を払う。交換価値です。そこから19世紀に使用価値にお金を払う時代になり、SNS時代の今は共感価値にお金を払う時代へと推移しているように思います。」

「さて、われわれはなぜSNSにハマるのでしょうか?金銭的なメリットは特にありません。「いいね!」が欲しい。RTが欲しい。賛同が欲しい。つまり、我々をSNSに向かわせているのは『承認してもらいたい』という欲求なのです。これは新しい動きであり、若者特有の幸福感であると指摘されることがありますが、そうでしょうか?」

「実は、この『承認してもらいたい』という欲求は、アダム・スミスの時代から存在していた。彼はもともと労働哲学者でした。著書『道徳感情論』には「同感(同類感情)が人間の人間の根源的かつ最大の欲求である」と指摘されていました。」

「アダムスミスはこんなことも言っています。
1:『小さな喜びと大きな悲しみに対して共感する』(人は他人の小さな喜びには共感するが、大きな喜びには嫉妬する。他人の大きな悲しみには共感するが、小さな悲しみには、それぐらい何だ、と共感しない)
2:『怒りの感情に対しては嫌悪感を抱く』(その人が怒っている対象には意識は向かず、怒っているその人に嫌悪感を抱く)
3:『他人の愚痴や自慢は聞くに耐えない』
これは現代のSNSへの書き込みの基本的マナーに通ずることでもあり、中世以前からの人間の根源的欲求に沿っている。SNS≒現実社会という状況は、250年前のアダムスミスの時代から変わっていないのです。」

「しかし一方で、SNSは現実社会ではありません。正しい判断基準(正しい感覚)は360°評価によってのみ形成される。偏った社会では正しい感覚が育たない。この点において、SNS≠人間社会となります。」

「ソーシャルメディアのジレンマ:現実社会は広大です。その中で自分のSNSは狭い世界です。自分のSNSの世界は大きな現実社会の小さな一部でしかない。ここでの承認欲求は満たされますが、それは現実社会での評価ではない。つまり、現実の人間社会から感覚や基準がズレていくことになる」

「同類の仲間の中(だけ)にいるとモラルが低下しやすい。一方で、自分と縁遠い人々の中にいることで、自己を統制する力を養うことができる」

「この点において、アダム・スミスは250年前から本質を指摘していた」

「SNSは集客ツールではない。人間の本質、SNSのジレンマを理解し、自分と縁遠い人(≠意見が違う人)をフォローしてみる。SNSによって、自分と世間とのズレを埋めていく。このような”共感力を鍛えるツール”として活用する」
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自民党が圧勝したこないだの衆議院選挙のとき、ボクのfacebookやTwitterのタイムラインは選挙の話で盛り上がっていた。これは投票率も過去最高になるだろうと思ったら、実際は戦後最低の投票率。そのとき気づいた。ボクのfecebookやTwitterは、ボクの友人、仕事関係の、ごく狭い世界だったんだと。これを『世の中』と思うこと、思い込みすぎることはちょっと危険なんだなと思った。木暮太一さんの話のように、自分の仕事関係から離れた人たちとソーシャルメディアでつながってみることの大事さに改めて気づかされたのでした。

 


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