とある人のセミナーでの話。その人は広告代理店の営業からクリエーティブへ転局を希望したが、社の規定を超える年齢でクリエーティブとしての移動を認められなかったという。「アカウントプランナーという名刺のままクリエーティブに転局するのでは意味がない。コピーライターとかCMプランナーとか、クリエーターの名刺が欲しかった」とその人は言った。・・・なにぃ? コピーライター「とか」CMプランナー「とか」だと?・・・ハァ? その言い方はコピーライターやCMプランナーに失礼なんじゃないか?と思った。少なくとも、コピーライターになりたくて、なりたくて、やっとなれたボクは「コピーライターとかの名刺」と言われてグラグラきた。(血が沸騰するくらい頭に来た、という意味の九州弁です)
人は、そんなに意識しないことかもしれない。ただ、何気ない言葉遣いにその人の腹の中が透けて見えるんじゃないだろうか、と思った。政治家の失言なども、言葉に気をつければ済む問題ではなく、その人の腹の中の考え方が言葉になってでてくるわけだから。リスペクトしているかバカにしているかはすぐわかる。歯を磨いてマウスウォッシュしても、腹の中が腐っていたら吐く息はクサイ。言葉遣いはこころ遣いなんだと、しみじみ思った。
言葉遣いは無意識なんだと思う。潜在意識とも言える。だから、口先だけの言葉遣いに気をつけるのではなく、腹の中をキレイにするしかないと思う。自分の中のどこかに「上から目線」があれば、そういう言葉使いになるだろうし、自分の中に相手に対する尊敬がなければ、そういう言葉使いになるだろうから。
そして人は、自分が言われた言葉はよく憶えているが、自分が言った言葉は憶えていないことが多いのかもしれない。ボクも自分が気付いていないだけで、言葉で人を傷つけているかもしれない。「気をつけよう」というより、「謙虚であろう」とすることだと学んだ。
(2011年10月20日のfacebookへの投稿に加筆しました)
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【追伸】PRIDE OF 肩書き
上の名刺は、ボクがコピーライターになることを目指して、初めて「コピーライター」としていただいた名刺です。この職種の肩書きにこだわらず、縛られずに仕事をすることはいいことだと思います。しかし、「職業:コピーライター」という名刺をいただいたからには、その「PRIDE OF 肩書き」はこころの中にずっとあるものだと思っています。これを「コピーライターとかの名刺」とは言わせねーよ。