年齢差フットサル


柴崎岳、原口元気、宇佐美貴史、宮市亮たちと、
澤穂希、中村俊輔、中澤佑二たちと、
ラモス瑠偉、木村和司、松木安太郎たちがフットサルをする。

そんなゲーム、楽しそうでしょ。
昨夜のバッカーノ・フットサルがそうでした。

年創立20周年を迎える我らがFCバッカーノの中心メンバーは、
多分だいたい俊輔・中澤世代。
最年長のボクらがラモス瑠偉、木村和司、松木安太郎世代。
そこに26才の若者たちが参加してくれて、
一緒にフットサルをやってます。

柴崎岳のアシストを松木安太郎が決める、そんな一夜でありました。
年齢差ありすぎて、耳キーンってなるわ。
【Photo by FCB #66 Kazumi Kiucci】

奇跡の写真@FRANCE98

この2枚は奇跡の写真です。ちょうど20年前、1998年フランスW杯。チケット騒動に巻き込まれながらもなんとか初戦アルゼンチン戦のスタジアムに入れた若者二人。といってもボクはこの時すでに40才ですが。で、何が奇跡かと言いますと。

まず、川口能活ユニのサクラくんの写真を見てください。画面左、腰に黄色いジャージ(パーカーらしい)を巻いた、NANAMI 10番を着た女の子。

KAZU 11番のユニを着たボクの写真を見てください。左下、腰に黄色いジャージを巻いてadidas三本線のジャージを着て笑っている横顔の女の子。

つい最近になって気づいたのです。あれ?この子、もしかして・・・・。と思って「本人らしき人」に確認してみたところ、20年前の「この子」はなんと!「その人」だったのです。ブラジルW杯に行く前に集まった、サッカーサポーターの集まりで出会った、ボウリングのピンの仮装をして何度もW杯に参加している知り合い、サポーター仲間なら誰もが知っている「金チャン」こと金原麻愉さんだったのです!

1998年フランスW杯の写真に偶然写った人と、2014年虎ノ門のHANZというサッカーアフォーターの集う店で出会い、顔を白く塗られ、ブラジルに行き、そして2018年ロシアへ。ボクが独身だったら、恋に落ちそうな運命の赤い糸です。

ブラジルW杯出発前のアフォーターの集まりで、『ナカムーさんも白塗りしなさい』と言われ、アフォになりきる快感を覚えた、奇跡の人との2ショット。

フランス98の記憶①開幕戦の夜
http://nakamuratadashi.com/2014/01/23/フランス98の記憶①開幕戦の夜/

ボクの病院


昨年9月頃のフットサルで、以前からやや気になっていたヒザの痛みが自覚されるようになりました。バンテリンなどを塗り、テーピングをしていつものバッカーノ・フットサルに参加するも、練習後、ヒザが熱を持つようになり、腫れてきた。歩くのは大丈夫なんだけど、階段の昇り降り(特に下り)が痛む。こりゃダメだ、というわけで整形外科に。ヒザの水を抜く注射をして、2週間に一度のヒアルロン酸注射6回、赤外線で温めて圧迫して血流を上げるリハビリを続ける。4ヶ月通うも、回復している実感なし。

図書館で本を読む。何冊も読む。膝痛(変形性膝関節症)は高齢者は必ずなるもの、と書いてある。いろいろ学習するうちに、これは足の筋肉をつけるしかない、膝を筋肉のサポーターで守るしかない、という結論に至りました。


プールでの水中トレーニング。まずクロール、ビート板を使ったバタ足(進まないんだ、これが)、水中片足ジャンプ、水中キック、水中サイドステップ、水中バックステップ、水中ダッシュなど、とにかく地上でやると負荷がかかりすぎる運動を水中でやる。これを週に2回。自分の体を再構築するわけだから、リハビリ病院に治療に通っているようなものです。幸いフリーエージェントなものですから、自分の体のための時間を最優先させてスケジュールを組みます。本社ビルの修繕ですからね。最初はクロールだけでも膝に痛みがあったけど、水中片足ジャンプでも大丈夫になってきました。

さらに、FCバッカーノのメンバーで麻酔科の女医でもある#71オグーから、VCSスポーツジェルを薦められ、筋トレマニアのサッカーファンからDNSのプロテインと筋を鍛えるJOINTという錠剤を薦められ、即実行。効いてくれよ〜効いてくれよ〜とジェルを塗り、届いてくれよ〜届いてくれよ〜と錠剤を朝昼晩6錠計18錠を飲む日々。


ようやく最近はテーピングをしてサポーターを巻いて、フットサルに復帰できました。歳をとるほど筋力は落ちてくる。老人が背中を曲げてヨボヨボ歩くのは筋力が落ちるから。そうならないためにも、筋トレはこれから一生続けていかないといけないのかもしれません。

足の筋肉を鍛えるために、体育館のプールに通う。フットサルでゴール決めたいから、体育館のプールに通う。よし、今日も行くぞと立ち上がる。筋肉を鍛えているんですが、実は、自分の「意志」を鍛えているのかもしれないなと思いました。

(なぜこんな「早い話が自慢話」のようなことをブログに書くのか。それは「公表」することで、三ヶ月坊主になることを防ぎたいからなのです。これからもずっと続ける覚悟の表明でもあるのです。サボっていたら笑ってやってください)

自己ベストの更新


1999年2月26日、新橋のPePeというイタリアンレストランに集合しました。まだフランスW杯の熱が冷めずにいた頃、F.C.BACCANOは設立されました。その日にはまだ、チーム名も何も決まっておらず、ただ、サッカーチームをつくろう、とだけ決まったのでした。

最初の練習は神宮外苑フットサルコート。当時はフットサルボールという専用のボールがあることさえ知らず、5号球のサッカーボールを持って行ってたなぁ。あれから19年『ケガをしない、楽しいフットボール』をモットーに、ずっとボールを蹴り続けてきました。


2018年2月26日、偶然にも同じ日にコートが取れて、仲間とフットサルができました。小学校1年からサッカー始めて、中学、高校、大学とサッカーやっても16年。それより長い19年。すごいと思います。一緒に遊んでくれる仲間に感謝です。


個人的には、6ヶ月前に左膝を痛めて、ずっと治療や筋トレなどに励んできて、なんとかこの日にボールを蹴りたかった。そして6ヶ月ぶりにゴールを決めることができた。バッカーノ最年長ゴール記録に並びました。ひとりうれしさを噛み締めながらの帰り道、「そうだ、これは、自己ベストの更新なんだ」と思いました。若い人は「そんなにうれしいことなのか?」と思うかもしれませんが、何歳までできるか限界が近づいている自分にとって、この記録はとても大事なことなんです。60歳と5ヶ月目のゴール。最高っす。

40代で始めたバッカーノ。そういえば同い年のタツと「何歳までできるだろうね。60くらいまでは蹴りたいね」と昔、話していたなぁ。二人で自己ベスト更新し続けますので、アシストお願いね。

スタジアムの言葉


3年前の大阪長居競技場 親善試合で日本がオーストラリアに勝った試合後、オーストラリア側のコンコースに「アジアカップ決勝で会おうぜ!」というメッセージ。

日本代表がロシアW杯出場を決めた埼玉2002スタジアム、オーストラリア戦。そこで掲げられた横断幕の言葉についてフェイスブックに自分の思いを書きました。それに少なからずの反響がありました。同意してくれた意見もあり、そうは思わないという声もあり。一連のコメントをもらって初めてわかった事実もあり、思い出したことや、考えたことをもう一度まとめておこうと思ったのでした。

まず最初に、先日書いた文章が、これです。
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残念な横断幕
ロシア行きを決めた試合後の埼玉2002のスタンド。数年前(2009年南アフリカW杯最終予選の時)にオーストラリアサポーターが掲げた「Nippon Forever in Our Shadow!」(日本は永遠に俺たちの影)に対してのジョークなんだろうけど、これを準備しておこうぜ、と思ったセンスにちょっとガッカリ。

1997年フランスW杯最終予選で日本が苦戦していた時、ライバル韓国はすでに出場を決めていた。その韓国での最終予選の日韓戦、チャムシル競技場。もう絶対日本が負けられない試合で、韓国サポーターの真っ赤なスタンドに『一緒にフランスへ行こう』という横断幕があった。ボクは日本人としてうれしかった。韓国サポーターの方がW杯の先輩だった。

ボクだったら、日本サポーターがオーストラリアに仕返しするんじゃなくて、『一緒にロシアへ行こう』って言葉を掲げたい。それを試合前に準備しておく。そしてロシアで同組になってドイツW杯での借りを返すのが、一番カッコイイと思う。

と書きました。
(注:2006年ドイツW杯の予選リーグ第1戦日本vsオーストラリア戦。1点リードしたものの終了間際に3点入れられ逆転負け。当時オーストラリアはオセアニア地区。現在はアジア勢同士が1次リーグで同組になることはありません)
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この書き込みに対して「そうだ!そうだ!」という同意のコメントと「いや、あれはあれでいいじゃないか」というコメントが集まりました。ボクは両方の考えがあっていいと思うし、あるだろうと思っていました。だから、ボクならこうする、を書いたわけです。いろんな声が聞けて意義のあるスレッドになったと思います。

すると、これらのやり取りを見ていた「ある事情通」が書き込んでくれました。「正也さん」です。正也さんは、国内はもちろん、多くの海外アウェイの日本代表の試合を現地で応援している、コアなサポーター。海外で見かけるおなじみの日本語の横断幕も、正也さんたちが張ってくれている横断幕もあります。(他にもいろんなグループがあるらしいです)で、この正也さん、ボクともフェイスブックで繋がっている友だちなのです。そこで知った、この「お返事横断幕」の背景をもっと多くの人に知ってもらうべきだと思ったのです。

まず時系列で話を整理すると
南アフリカW杯最終予選の最終節。2009年6月17日、オーストラリアのホーム、メルボルン・クリケットグラウンド。日本は1点先制するも、「天敵」ケーヒルに2点を決められ逆転され、敗北。その試合終了後、オーストラリア側のスタンドに掲げられたバナーがこれでした。「NIPPON;FOREVER IN OUR SHADOW(日本は永遠に我々の影)」

で、今回の「AUS; Forever in Our Shadow!」は、その時メルボルンにいた正也さんの先輩の日本サポーターたちが出した横断幕なのだそうです。ただ、メルボルンでのメッセージに対しての「仕返し」の意味とは違って「日豪のサポーターシーンの中で、彼ら(オーストラリアサポーター)が日本をそういう相手として見てくれている事に対して、僕ら(日本サポーター)も返事をしている、だけなんです」と正也さんが教えてくれました。

考えてみれば、スタジアムでお互いの代表チームを応援していて、サポーター同士も自然と顔見知りになるだろうし、知り合いになってそういう話をしているんだろうと想像できます。実際、正也さんの知り合いのオーストラリアサポーターとも「それやり返すべき!お互いにサポーターから盛り上げていいし」って話していたそうです。

さらに貴重な裏話を教えてもらいました。日本から「AUS Forever in Our Shadow!」のメッセージは、いつか出したいね、という話はすでにあったそうです。3年前の大阪長居競技場でのオーストラリア戦で勝ったら出したい!という話になりかけたそうですが、正也さんが「親善試合で勝つのはリベンジじゃないし、アジアカップも控えてるので【決勝で会おうぜ】みたいなほうがいいと思う」って話して、みんな納得して、こんな幕をオーストラリア側のコンコースにだけに出したそうです。『See you against at final in the Asian Cup!!』(写真参照)そういう「心意気」があったのですね。でもそういう話はテレビ中継からだけでは伝わってきません。

正也さんは、「オーストラリアが嫌いで、ザマァ見ろ、なんて思っていないことをわかってほしい」と言っていました。そういう意味でも「ともにロシアへ」のメッセージも欲しかったなぁ。

正也さんとのきっかけ
で、そもそもボクみたいに(フランス、日韓、ブラジルW杯には行きましたが)テレビ観戦しながら文句言ってるサポーターと声を枯らしたコアな横断幕サポーターの正也さんがどうやって繋がったか、のお話をしておきましょう。

ボクはコピーライターとして、東日本大震災直後、サッカー日本代表の仕事を担当していた時期がありました。その時、ブラジルW杯のザックジャパンの時に書いたのが「新しい日本を見せよう。」というコピーです。これはキリンカップなどのバナーとして使っていただきました。このコピーは、キリンの広告コピーですが、ボクとしてはサッカー日本代表の横断幕の言葉のつもりで書きました。負けている時や疲れている時、選手やサポーターたちがこれを見て「よっしゃ!」と思ってもらえる言葉、のつもりです。

ブラジルW杯後、アギーレジャパンになった頃、新しいCMを制作しました。使える映像は撮影するのではなく、最新のキリンカップや親善試合などの試合映像をつなぐものです。編集して音楽を入れてコピーを入れて、一つ重大な問題にぶち当たりました。使っている映像にとある横断幕が映っているのです。たいていのものは事前に許可を得ているものの、これはまだ連絡できていない。確認が取れていない横断幕が背景に映っている。
CMの中のワンカット

それが「日本人として、仲間として俺等は此処に居る」という横断幕でした。無断でCMに使うわけには行きません。どうやってこの横断幕の持ち主、責任者を見つければいいか、スタッフはスタジオで途方に暮れかけました。その時、閃きました。

ブラジルW杯に行った時、ボクは多くのサポーター仲間と知り合うことができました。その人たちのネットワークで、あの横断幕の持ち主がわからないだろうか?スタジオから何人かにメッセージを送ったところ、すぐに返事がきました。「○○に聞けばわかるんじゃないか?」「あ、それウチのですw」「今は正也がリーダーとしてやってます」あっという間に持ち主がわかった。それがきっかけで正也さんと繋がることができ、許可を得ることができたのです。
先日のオーストラリア戦のゴール裏にもしっかり掲げられていた「日本人として、仲間として俺等は此処に居る」

幕を運ぶ
この言葉の横断幕は、正也さんが先輩たちから受け継いだもの。もう日本代表の試合を代々応援してきた汗と涙の染み込んだ横断幕なのでしょう。しかも世界中を飛び回って。スタジアムで見かけるこの横断幕。スタジアムでは見慣れているけど、これを運んでいるところを見たことある人は少ないと思います。大抵試合の数時間前にスタジアムに到着し、観客が入る前に一番最初に張られるものだから。

2014年 Arena das Dunasへの道 NATAL Brasil

この写真はブラジルW杯、ナタウでの日本vsギリシア戦のスタジアムまで歩いている時のもの。偶然、横断幕を運んでいるサポータを発見。こんなに大きな荷物を毎試合運んでいるんですね。(右を歩いている日の丸チョンマゲ甲冑の人は有名なツンさんです)やはり、試合に掲げられる横断幕には「魂」が込められているんだなぁ。

何年にも渡って先輩サポーターから引き継がれた「言葉」。顔見知りの相手サポーターへの挨拶、返事としての「言葉」。広告コピーなんだけど選手やサポーターに届けたい「言葉」。勇気をくれる言葉、励ます言葉、笑いを取る言葉。言葉にはそれぞれ目的があるけれど、正解はありません。スタジアムに掲げられる言葉にも、もちろん正解はない。広告コピーと一緒で、正解はない。「いいね!」という人もいれば、「そうかな?」という人もいる。だからこそ、一人でも多くの人に届く言葉を、考えて考えて選ぶ。これからも声援だけでは届かない、「スタジアムの言葉」を大事に見ていこうと思います。

柳西中学サッカー部


【柳西(リュウセイ)中学サッカー部の思い出】
45年くらい前に通っていた中学校。当時の木造の校舎はすでになく。だけどサッカー部で練習していた土のグラウンドはそこにありました。中学の同窓会に出席するため門司に帰りました。

卒業アルバムにサッカー部は写っていません。ボクらはサッカー部担当の先生の指導に納得できず、全員で退部したから。

なんでこんな写真?と思うでしょ。ボクにはサッカー部の思い出の川なんです。画面の左側がグラウンドで、シュートをふかすとネットを超えて向こうの家に当たって、この川にボールが落ちるんです。(その時はこんな白い柵はなかった)下級生の時はいつもこの川にボールを拾いに下りてました。当時はドブ川でした。このグラウンドでサッカーをしていたんだけど、志し半ばで退部してサッカーができなくなった。そのせいか。59才になったいまでもボールを蹴っている。そうだ、あの頃の続きをやっているんだなと思ったのです。

最年長ゴール記録2017.8.5

こればっかりは、自慢させてください。何と言われようと自慢させてください。昨日(2017.8.5)、FCバッカーノvs FCポリ100という両クラブとも1999年に設立されたフットボールチームの伝統の一戦、横浜クラシコが行われました。正式なフルコートで、11人のサッカー。

そこで何と、私、背番号21番。2ゴールを決めることができました。ボクにとって、フルコートでゴールを取るということは、ゴルフで言うとホールインワンのようなもの。1日に2回ホールインワンをしたようなものなんです。誰もビデオに撮っていないので、その記憶を記しておきます。

1点目。4-4-2の2トップの右で先発した21番。左サイドの助っ人ガッキーさん(若者)が持ち上がりクロス。相手DFはニアに詰める10番にマークを集中。その上を越してワンバウンドして斜めに入って来た低めのボールに21番がダイビングヘッド。とにかく浮かさないことだけを考えて、地面に叩きつける気持ちを込めたボールは、GKの手をかすめてGOAL!!!! なんと言うことでしょう。あまりに美しいゴール。ポリ100のダーマツさんや古谷さんも祝福してくれるゴールでした。(ボクのイメージ的には、2002年日韓W杯のチュニジア戦、中田ヒデの顎を擦ったダイビングヘッド、あんな感じでした。左右逆ですが)(映像はあくまでイメージです)
https://www.youtube.com/watch?v=dIopQ4flnn4

2点目。4-2-3-1の2列目左サイドで出場。2列目右サイドから駆け上がる助っ人ガッキーさん(若者)のクロス。またしてもDFは1トップの10番をマーク。クロスは、その上を越して、DFの薄いファーに走りこんでいた21番のところへ。(ワンバウンドして来たんだっけかな?)浮いたボールを胸トラップからの倒れこみながらの右足ボレーでGOAL!!!! ゴール左が空いていたので落ち着いて浮かさないことだけを考えたボレーでした。このゴールもあまりにも美しく、自分でも信じられず、その場でしばし呆然。本当に入ったの?という感じ。(ボクのイメージ的には、2014年ブラジルW杯マラカナンでのコロンビアvsウルグアイ戦、ハメス・ロドリゲスの胸トラップからのボレー、よりも近距離。むしろ清武のこんな感じ?)(映像はあくまでイメージです)
https://www.youtube.com/watch?v=GBEy5L-Eums

2点とも「嘘でしょ?」というくらいの完璧なシュート。ゴールしてもよろこんで走り回らないようにしよう(あれで疲れ果てるから)と決めてはいたけど、あまりにびっくりしすぎて動けず。2点ともその場にひざまづいて天を仰ぎました。

最終ハーフ。もう思い出十分な21番はベンチへ。ワントップで出場の同い年、10番タツにチャンス到来。敵の高いオフサイドラインの裏に抜け出す10番。DFを振り切り、GKと1対1。落ち着いてゴール右隅へ流し込んでGOAL!!!!

1999年2月に設立されたFCバッカーノは今年19年目の活動をしています。10番と21番が現役最年長なのでこの二人が点を取る限り、最年長ゴール記録が更新され続けます。現在バッカーノの最年長ゴール記録は59才。(正確に言うと、10番の方が1ヶ月早いから、記録は10番のもの)60才を過ぎても、最年長ゴール記録を伸ばしていこうな、タツ。

ー 場所: 横浜みなとみらいスポーツパーク

電通が悪い、のか?

サッカー日本代表が負けると、まず選手や監督が悪いという意見が飛び交う。その次にサッカー協会が悪い、となる。そしてその次に「電通」が悪い、という話になる。日本代表を愛するサッカーファンの批判は自由なんだけど、身内に火の粉が降りかかるとなると、黙ってはいられません。ボクは電通のOBであり、日本代表を愛する一人のファンとして、言いたいことがあります。

中東イラクとのアウェイの試合。イラクの政情不安から試合はイランで行われることになった。その試合時間が「もっと涼しい時間でやればいいのに」とファンはおっしゃる。確かにもっと遅い時間の方がまだ涼しいだろう。なぜまだ暑さの残るイランの夕方の試合だったのか。イランの夜は日本の深夜になってしまう。日本での試合放映時間は21時半から。「深夜の試合だと視聴率が悪く、CMの効果が減るから、電通が早い時間(暑い時間)での試合開始をごり押ししたんだ」と、どこから仕入れた話なのか知らないが、そうおっしゃる人がいる。(昔はゴールデンタイムと言っていた夕食後の時間帯も、今は逆にもっと遅い時間の方がテレビをみている確率が高かったりする)

じゃあ、お聞きしますが。日本代表の選手たちに暑くて苦しい時間に試合をさせて、みんな足が攣って日本が負けたらどうします? その日のCM視聴率が良かった場合と、W杯に出場できなくなった場合の損出と、どっちが得ですか、っちゅう話でしょ。電通もスポンサーも日本代表の試合が多い方がいいに決まってる。そのために、日本が不利になることを薦めますか?、っちゅう話です。(暑くて足が攣るのは、イランの選手も日本の選手も一緒でしょ。イランの選手の方が暑さに強いと言うのなら、それくらいのホームアドバンテージがあったっていい)

負けたら終わりかもしれない試合中継のGRP(CM視聴率)を獲得するために、そんな幼稚な手段をとると思いますか? そこまで電通はバカじゃない。もしスポンサーが「もっと視聴率の取れる時間帯に試合はできないのか?」と言ったとします。ボクだったら、1試合の視聴率で稼ぐより、W杯出場を決めてロシアで戦う試合まで中継できる方がどれだけ得か、を説得します。数字で実証することもできるでしょう。
千歩譲って、仮に電通が試合時間を決めたとしましょうか。だとしても、負けたこと、勝てなかったことを試合時間のせいにしているようじゃダメですよね。相手も同じ条件なんだから。

昔の話を一つ。日本人のほとんど誰もが知らなかった2011年の女子W杯。その、ドイツへの出発前。佐々木則夫監督となでしこJAPANの選手たちが、スポンサーであるKIRIN本社(当時原宿にあった)に挨拶に訪れた。日本のマスコミは誰もいなかった。その時、当時のキリンビールの社長とキリンビバレッジの社長は揃ってなでしこカラーのピンクのネクタイをして迎え、玄関まで見送った、というのです。(KIRINの人は両社長が揃うことは年に一回あるかないかだとおっしゃっていました)そんなスポンサーが、日本選手に不利になる時間帯の試合を強要するでしょうか?たった1試合のCM視聴率のためにそこまでアホなことをするでしょうか。ボクには到底そうは思えません。

2014年ブラジルW杯の時も同じような「言葉」がもっともらしくSNSで語られました。予選3連敗(実際は1分け2敗だけど、ボクにしてみりゃ3連敗)に終わった日本代表のキャンプ地のこと。日本代表は、サンパウロから離れたイトゥという町にキャンプ地を設定。聞くところによると、練習環境が良く、雑音から隔離されていて、選手の宿舎にバスタブがある部屋が作れる、ということなどからここが選ばれたそうです。しかし、結果は3連敗。選手、監督、協会の順番でバッシングされ、そして「電通が悪い」ときて「KIRINが悪い」とくる。

選手のコンディションが悪すぎた。それはキャンプ地が試合会場から遠すぎたからだ、という。ほっほー。ブラジルはどこへ行くにも遠いんだよっ!日本の国土の20倍あるんだよっ! それを「イトゥはブラジルのKIRINの工場が近くにある。だから、電通がごり押しして、イトゥに決めたんだ。悪いのは電通だ」そういうファンの知ったかぶりの想像が自慢げにSNSで語られていた。そういう論調の記事さえも見かけた。もう、笑っちゃいましたよ。

ブラジルKIRINの工場の近くにキャンプして、KIRINにとって何のメリットがあるの? 社員の家族がサイン会に行きやすいから? 試合に影響するほど環境が悪い場所でキャンプして、3試合敗退で終わるより、決勝トーナメントに行ってもらった方がいいに決まってるじゃん。むしろ、行ってもらわないと困るよ、だったと思います。何で電通とKIRINがキャンプ地を決めるかな。何のため? 疑わしいなら、そう思うなら、ちゃんとしたジャーナリストにちゃんと調べてもらえばいいじゃない。

電通が悪い、と言うことは、そのスポンサーであるKIRINが悪い、と言っているのと同じこと。だからボクは黙ってはいられません。かつて電通でKIRINのサッカー日本代表のコピーを書いた一人として、日本代表を愛する一人のファンとして。
なんかわからないことがあるたびに「電通が裏で糸を引いている」みたいに、わかったようなことを言う人がいます。電通はフリーメイソンか、っちゅうの。そんな力があるのなら、まず最初にハリルホジッチを解任しますよ、ボクだったら。
(これはすべて中村禎、個人の意見です)
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写真は原宿のKIRIN本社ロビーに飾られていたものです。下にある「なでしこジャパン」の色紙に2011年7月21日とあるので、ワールドカップで優勝した後に挨拶に訪れたのでしょう。ぜんぜんマイナーだった女子サッカーを支援し続けてきたことは選手たちが一番よく知っています。#7安藤梢選手の「キリン大好き!」という言葉は正直な気持ちだと思います。
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【友人の書き込み】
(前略)ここからが本題なんですが、来年のワールドカップ、中村さんのチカラで、電通やキリンを動かしキックオフ時間を選手ファーストの時間にするようにして頂けないでしょうか?電通やキリンからの要請があれば、不可解なキックオフ時間問題の解決ができるのでは無いかと思います。ロシアワールドカップで日本が優勝するために是非、お願いします。
【それに対する中村 禎 の書き込み】
 できません。それは電通にもスポンサーにもできることではないのです。できるとすれば、サポーターたちの「署名・お願い」としてサッカー協会に届けることくらいだと思います。W杯予選は、フェアに行うためにホーム&アウェイで試合をするんです。アウェイの試合の運営に、たかが広告代理店(しかもアウェイの)が口出せるわけがないのです。だからボクはFIFAの会長になりたいのです(具体的努力はまだ何もしていませんがw)
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これはボクのフェイスブックに書き込んだ記事です。とても多くの人の「いいね!」が得られたので、ここに記録しておきます。

F.C.BACCANO ベストイレブン・ピンバッジ

我ながら、よくやってると思います。FCバッカーノというチームを1999年2月からやっていて。来年の2月で18周年です。毎年、参加した人のポイントをつけてましてね。行事への参加不参加連絡の返事をくれたら1ポイント。ボールを蹴りに来たら2ポイント。そのあと飲みに行ったら1ポイント。ビッグイベントへの参加は3ポイント。そうやって年末の忘年会に集計して、上位11人をベストイレブンとして表彰します。コミッショナー(ボクです)の個人的趣味でピンバッジを贈呈しています。今年で18個目。

写真左上から1999年のピンバッジ。バッカーノのエンブレムの元になったACパルマのピンバッジ。2個目はバッカーノのチーム名の名付け親である小野伸二選手が移籍したフェイエノールト。3個目はFCバッカーノの頭文字と同じ「FCB」であるバイエルンのピンバッジ。そして2002年のは日韓W杯でブラジルが優勝した年なので5つ星のブラジル。クラブW杯で優勝したサンパウロFCや稲本が移籍したガラタサライ。10周年には背番号10のプラティニのピンバッジ。日本のサッカーショップに同じピンバッジが11個も、なかなか売ってなくて、仕入れが大変になってきて。欧州へロケや旅行に行くメンバー頼んで買ってきてもらったり。#25アドリオーノにスペインで買ってきてもらったエスパニョール。#49エイスケッタに頼んだ金色のイタリア代表。ロンドン五輪もアドリオーノの2012ピンバッジ。そしてロンドン旅行に行った#2マイコビッチから送ってもらったマンチェスターシティ。そして2014年はブラジルW杯の。2015年はクロアチア旅行に行ったキャプテン#6ハセゴンに探してもらったディナモ・ザグレブ。

一番下の列は、スペシャルで、9周年の時の9番ファンバステン、MVPにあげたザックジャパン代表ユニ。そして#10タッツィオが発注してくれたFCバッカーノオリジナルピンバッジ。

そして、今夜、2016年のバッカーノ忘年会。レアなピンバッジを贈呈します。数年前に買ってあったもの。リーガエスパニョール、アスレチック・ビルバオのピンバッジ。たぶん、日本に11個しかないと思います。

もしもFIFAの会長だったらシリーズ③

後半アタマ

【もしもボクがFIFAの会長だったらシリーズ③】選手交代の人数:
選手交代の人数が1試合3人まで、というのは少なすぎると思う。理由は、もっとサブのメンバーにもチャンスを、ということと、疲れていない選手のプレーをもっと見たいから。両チームで6人、6回試合が中断することを避けたいのだろうが、GKの交代枠を残すことが多いし、実際はボール・デッドになった時(スローインやコーナーキックでゲームが止まる時)だから、そんなにロスタイムにはなっていないと思う。

で、提案。試合中の選手交代は、GKを除いて3人まで。(つまり3人交代させた後、GKが負傷しても交代できる)そして、後半アタマから入る場合は、その交代枠とは別に2人交代できることとする。後半アタマから入るので、時間のロスはないから。

フィールドプレーヤーが5人替わる。W杯やオリンピックなど過密日程の大会では、選手の疲労も考えて、そして先発メンバーだけじゃなく、代表選手全員で戦えたほうが選手たちも幸せなんじゃないかと思うので。

【もしもボクがFIFAの会長だったらシリーズ①】新ルールの制定:
【もしもボクがFIFAの会長だったらシリーズ②】主審の判断: