ためない練習


気になるタイトルの本を見つけました。『ためない練習』という本。この『〜練習』という言葉が気に入ったのでした。サブタイトルに「大事なものだけ残していく、人生のヒント」とある。この本もそうですが、最近、仏教の教え、というか住職さんの本をよく読んでいる気がするなぁ。

電通時代の先輩の、本田亮さんの言葉『持ち運べる財産を持とう』というのがあり、それに感銘を受けました。読んだ本を本棚に飾るのではなく、大事なところを暗記して、それが習慣となるまで体に染み込ませる。そうなれば、その本から得た知識は「持ち運べる財産」となるわけです。

読書量が多くないボクとして、やっていることは、①読んだ本の気になった部分にポストイットを貼り ②その部分だけを読み返しながらノートに書き出し ③スキャンしてEVERNOTEに取り込み ④iPhoneでどこでも読み返せるように、しています。何度も体に叩き込まないと、なかなか習慣にまではならないのです。そして、ブログにも書いて、みなさんにも発表することで、自分の習慣にせよ、という「自主強制的約束」です。

この本の中で、特に心に刺さった言葉をメモします。
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誰かと会ったらまず
「この人のいいところは、ここだ」と心に刻む練習をしましょう。
人のいいところを見つけると、その人を見る自分の眼が優しくなります。
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部屋に花が飾られていたら、誰よりも先にそれに気づいて
「あーキレイな花!」と口にしましょう。
誰かが言ったのを聞いてから「本当だ」と気づくようでは、
心の張りがなくなってきた証拠です。
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誰かと関係することをやる場合、一度
「これって私のわがままか?」と
自問してみましょう。
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年齢差フットサル


柴崎岳、原口元気、宇佐美貴史、宮市亮たちと、
澤穂希、中村俊輔、中澤佑二たちと、
ラモス瑠偉、木村和司、松木安太郎たちがフットサルをする。

そんなゲーム、楽しそうでしょ。
昨夜のバッカーノ・フットサルがそうでした。

年創立20周年を迎える我らがFCバッカーノの中心メンバーは、
多分だいたい俊輔・中澤世代。
最年長のボクらがラモス瑠偉、木村和司、松木安太郎世代。
そこに26才の若者たちが参加してくれて、
一緒にフットサルをやってます。

柴崎岳のアシストを松木安太郎が決める、そんな一夜でありました。
年齢差ありすぎて、耳キーンってなるわ。
【Photo by FCB #66 Kazumi Kiucci】

続けるコツ

短パンにリュック。ポケットの飴なめながら、区民体育館プールの帰り道。
ささやかな幸福感。まるで夏休みの小学生だなぁ、と笑えてくる。
左膝痛をなんとかするために始めたプールトレーニングも、半年以上続いている。
物事を続けるためには『友だちに報告しながら、やるのがコツ』と本で読んだ。
だから、ここに報告します。

8月6日に思うこと

子どもの頃、広島の事実を伝えるアサヒグラフが家にあった。親に見せてもらったが怖くて怖くて、二度と見れなかった。

昨年初めて広島の平和記念資料館を訪れた。もっと早くに行くべきだったと思うと同時に、全世界の人が来るべき場所だと思った。

東京オリンピックより、広島や長崎でオリンピックを開催して、世界の多くの人に平和資料館に見て欲しい。

奇跡の写真@FRANCE98

この2枚は奇跡の写真です。ちょうど20年前、1998年フランスW杯。チケット騒動に巻き込まれながらもなんとか初戦アルゼンチン戦のスタジアムに入れた若者二人。といってもボクはこの時すでに40才ですが。で、何が奇跡かと言いますと。

まず、川口能活ユニのサクラくんの写真を見てください。画面左、腰に黄色いジャージ(パーカーらしい)を巻いた、NANAMI 10番を着た女の子。

KAZU 11番のユニを着たボクの写真を見てください。左下、腰に黄色いジャージを巻いてadidas三本線のジャージを着て笑っている横顔の女の子。

つい最近になって気づいたのです。あれ?この子、もしかして・・・・。と思って「本人らしき人」に確認してみたところ、20年前の「この子」はなんと!「その人」だったのです。ブラジルW杯に行く前に集まった、サッカーサポーターの集まりで出会った、ボウリングのピンの仮装をして何度もW杯に参加している知り合い、サポーター仲間なら誰もが知っている「金チャン」こと金原麻愉さんだったのです!

1998年フランスW杯の写真に偶然写った人と、2014年虎ノ門のHANZというサッカーアフォーターの集う店で出会い、顔を白く塗られ、ブラジルに行き、そして2018年ロシアへ。ボクが独身だったら、恋に落ちそうな運命の赤い糸です。

ブラジルW杯出発前のアフォーターの集まりで、『ナカムーさんも白塗りしなさい』と言われ、アフォになりきる快感を覚えた、奇跡の人との2ショット。

フランス98の記憶①開幕戦の夜
http://nakamuratadashi.com/2014/01/23/フランス98の記憶①開幕戦の夜/

ボクの病院


昨年9月頃のフットサルで、以前からやや気になっていたヒザの痛みが自覚されるようになりました。バンテリンなどを塗り、テーピングをしていつものバッカーノ・フットサルに参加するも、練習後、ヒザが熱を持つようになり、腫れてきた。歩くのは大丈夫なんだけど、階段の昇り降り(特に下り)が痛む。こりゃダメだ、というわけで整形外科に。ヒザの水を抜く注射をして、2週間に一度のヒアルロン酸注射6回、赤外線で温めて圧迫して血流を上げるリハビリを続ける。4ヶ月通うも、回復している実感なし。

図書館で本を読む。何冊も読む。膝痛(変形性膝関節症)は高齢者は必ずなるもの、と書いてある。いろいろ学習するうちに、これは足の筋肉をつけるしかない、膝を筋肉のサポーターで守るしかない、という結論に至りました。


プールでの水中トレーニング。まずクロール、ビート板を使ったバタ足(進まないんだ、これが)、水中片足ジャンプ、水中キック、水中サイドステップ、水中バックステップ、水中ダッシュなど、とにかく地上でやると負荷がかかりすぎる運動を水中でやる。これを週に2回。自分の体を再構築するわけだから、リハビリ病院に治療に通っているようなものです。幸いフリーエージェントなものですから、自分の体のための時間を最優先させてスケジュールを組みます。本社ビルの修繕ですからね。最初はクロールだけでも膝に痛みがあったけど、水中片足ジャンプでも大丈夫になってきました。

さらに、FCバッカーノのメンバーで麻酔科の女医でもある#71オグーから、VCSスポーツジェルを薦められ、筋トレマニアのサッカーファンからDNSのプロテインと筋を鍛えるJOINTという錠剤を薦められ、即実行。効いてくれよ〜効いてくれよ〜とジェルを塗り、届いてくれよ〜届いてくれよ〜と錠剤を朝昼晩6錠計18錠を飲む日々。


ようやく最近はテーピングをしてサポーターを巻いて、フットサルに復帰できました。歳をとるほど筋力は落ちてくる。老人が背中を曲げてヨボヨボ歩くのは筋力が落ちるから。そうならないためにも、筋トレはこれから一生続けていかないといけないのかもしれません。

足の筋肉を鍛えるために、体育館のプールに通う。フットサルでゴール決めたいから、体育館のプールに通う。よし、今日も行くぞと立ち上がる。筋肉を鍛えているんですが、実は、自分の「意志」を鍛えているのかもしれないなと思いました。

(なぜこんな「早い話が自慢話」のようなことをブログに書くのか。それは「公表」することで、三ヶ月坊主になることを防ぎたいからなのです。これからもずっと続ける覚悟の表明でもあるのです。サボっていたら笑ってやってください)

山田先生の手書き文字


中学の時の担任、山田弘司(ひろし)先生は、当時まだ30代前半の若い体育の教師だった。紺色のVネックのウインドブレーカーで、裾が細くなっているランニング用のジャージに、いつも両手を入れていた。(ポケットに、ではなくウエストのゴムの内側に手を入れていたように思う)手より先に蹴りが飛んでくる怖い先生だったけど、みんなから好かれている先生だった。フェアで正直で真っ直ぐな先生だったからだと思う。

昨年の8月、北九州市門司区で柳西(リュウセイ)中学卒業生の還暦同窓会が催された。中学3年生が60才になるのだから山田先生はもう70代後半なのだろう。何度か重いご病気で入院されていたそうだが、『あの世から「まだ来るな」と言われたんじゃ』と笑っていた。同窓会でお会いして、コピーライターとして書いた本を贈り、読んでいただき、一緒に写真を撮り、その後何通か手紙のやり取りをさせていただいた。

『早いもので同窓会から半月経ってしまいましたネ。本当に楽しい会で時間が止まって欲しいと何度も思った』と葉書をいただいた。同窓会のとき、別の中学での教え子が東京代々木でレストランをやっているから行ってみなさい、と薦められた、その詳しい話が書いてあった。家人の誕生日にそのレストランに行き、オーナーの方と山田先生の話をして笑い合った。その報告をしようとした時、山田先生が今年に入って療養のため再入院されていると知った。

先生を励ます意味で手紙を書いた。「ボクは今、フットサルで膝を痛めているので、プールで泳いだり筋トレしたりしています。60才になり、この体で生きていくので人間ドックや大腸内視鏡など点検・整備してやってます。山田先生も、東京オリンピックのマラソン見るまでは頑張ってもらわないと(笑)」と書いた。筆まめな山田先生から返事が来ない。病床でまだ書く元気はないのかも、と思っていた。ふと昨夜、机の上に置きっ放しになっていた、山田先生からのハガキに目がいって、ああ、返事がないのはまだ元気じゃないのかもなぁ、と思った、その翌朝。

柳西中学の同級生からメッセージが届いた。『昨夜23時33分、山田弘司先生がご逝去されました』昨夜、このハガキに目をやった頃の時間だ。山田先生がボクのことを思い出してくれていたのかもしれない、と思った。

ボクは、人が亡くなった時、しばらくはその辺を飛び回っているんじゃないかと思っている。魂は肉体からは抜け出てしまうから、その分、何処へでも飛んでいける。会いたい人に会いに行ったりできるんじゃないかと思っている。行けるんだけど、話せないし触れもしない。だけど見えてるし聞こえてると思っている。

電報を送ったり飾り花を送ったり会社名や役職名だけの看板を送ったりするのではなく、目を閉じて、山田先生のことを思い出すことが一番の供養だと思っている。九州の方角に向かって正座して黙祷。山田先生、ありがとうございました。

『・・・時間が止まって欲しいと何度も思った』という手書きの文字に、胸が詰まります。

60歳は、いま何時?


年齢を重ねていくと、誰しも「寿命」を考えると思います。何歳まで生きるのだろう、と、考えても仕方のないことを考えてしまう。そして、1日24時間のうち、いま何時くらいだろう?と考える。日付が変わる24時で一生を終えるとしたらいま何時くらいなのか。日が暮れて、夜になって、ああ、もう1日も終わってしまうのかと寂しくなるから、そういう計算はするまいと思っていました。

でも、「ん!」と思うことがあったので、算出してみました。人生90年としたら60歳は3分の2。24時間でいうと16時。夕方の4時ですね。人生85年で計算すると、24(時間)÷85(年)×60(歳)=16.9411765(時)約17時です。夕方の5時。そう、『5時から男』(←知ってる人は知っている)の時間です。そろそろ仕事を片付けて、待ち合わせをして、おいしい食事とおいしいお酒が待っている時間。好きな人たちと過ごせる楽しい時間の始まりです。

40代はもちろん、50代の人もまだ勤務時間中。まだシャンパンで乾杯するには早い時間でしょ。まだまだ頑張らなきゃいけない、いろいろ我慢しなきゃいけない時間帯。(頑張って!)

これから深夜24時までの時間を、フルに楽しむために大事なのが「体調」です。これから大好きなフットサルして、おいしいもの食べて、お酒を飲んで楽しむわけだから、途中でケガしたり、気分が悪くなったり、眠ってしまっては意味がない。そういう意味で、体のメインテナンスが大事です。

まずは左膝を治す。大腿四頭筋の筋トレ、ストレッチ、プールトレーニング。そして人間ドック。脳のMRI 、血液の腫瘍マーカー検査。そして大腸内視鏡検査。この1957年製の身体を点検・整備して、夜中の24時まで突っ走りましょう。

社員を誇る作品集


CMプロダクションのスプーンさんから、小さな冊子が届いた。
スタッフそれぞれの、仕事の現場での忘れられない
「たべもの」についての話が綴られている。
ただの読み物としても楽しいんだけれど、
これほど素晴らしい「作品集」はないんじゃないか、と思った。
冊子の後半にCM作品が慎ましく紹介されている。
家のポストに入りきらないような大判の作品集ではなく、
ポストにコトンと届くサイズの作品集。
作ったCMが素晴らしいことを誇るのではなく、
社員を誇る作品集。
広告は結局、「人」がつくるんだもんね。

「長生きしたんが悪かったんかのぅ」

高齢者が古いアパートの建て壊しで退去を迫られ、転居先がなくて困っているという報道番組を見た。身寄りのないお年寄りの一人暮らしには、なかなか部屋を貸してくれないのだという。「長生きしたんが悪かったんかのぅ」という呟きが重い。みんなが長生きしたいと思っているという時代から、長生きしないほうがいい、という時代になっていくのか。超高齢化社会とはこういうことなのか。

2025年問題という言葉があるのを知らなかった。2025年には団塊世代が後期高齢者(という言い方は好きじゃないけど)75歳以上になる年だという。そんな中、朝日新聞の記事が目に留まった。「いかに最期を迎えるか 自分なりの死の哲学」という記事。先日逝去された評論家の西部邁さんのことに触れられていた。彼を自裁死に至らせたのは、家族に介護上の面倒をかけたくないという思いからだったかもしれない、という。

考えさせられる。いや、考えなくてはいけない。そう思って、昨日の新聞を取り出して切り抜いた。そしたら、その裏に、「すごい…」の広告が。広告を裏にして折りたたんだ。