柳西中学サッカー部


【柳西(リュウセイ)中学サッカー部の思い出】
45年くらい前に通っていた中学校。当時の木造の校舎はすでになく。だけどサッカー部で練習していた土のグラウンドはそこにありました。中学の同窓会に出席するため門司に帰りました。

卒業アルバムにサッカー部は写っていません。ボクらはサッカー部担当の先生の指導に納得できず、全員で退部したから。

なんでこんな写真?と思うでしょ。ボクにはサッカー部の思い出の川なんです。画面の左側がグラウンドで、シュートをふかすとネットを超えて向こうの家に当たって、この川にボールが落ちるんです。(その時はこんな白い柵はなかった)下級生の時はいつもこの川にボールを拾いに下りてました。当時はドブ川でした。このグラウンドでサッカーをしていたんだけど、志し半ばで退部してサッカーができなくなった。そのせいか。59才になったいまでもボールを蹴っている。そうだ、あの頃の続きをやっているんだなと思ったのです。

電通が悪い、のか?

サッカー日本代表が負けると、まず選手や監督が悪いという意見が飛び交う。その次にサッカー協会が悪い、となる。そしてその次に「電通」が悪い、という話になる。日本代表を愛するサッカーファンの批判は自由なんだけど、身内に火の粉が降りかかるとなると、黙ってはいられません。ボクは電通のOBであり、日本代表を愛する一人のファンとして、言いたいことがあります。

中東イラクとのアウェイの試合。イラクの政情不安から試合はイランで行われることになった。その試合時間が「もっと涼しい時間でやればいいのに」とファンはおっしゃる。確かにもっと遅い時間の方がまだ涼しいだろう。なぜまだ暑さの残るイランの夕方の試合だったのか。イランの夜は日本の深夜になってしまう。日本での試合放映時間は21時半から。「深夜の試合だと視聴率が悪く、CMの効果が減るから、電通が早い時間(暑い時間)での試合開始をごり押ししたんだ」と、どこから仕入れた話なのか知らないが、そうおっしゃる人がいる。(昔はゴールデンタイムと言っていた夕食後の時間帯も、今は逆にもっと遅い時間の方がテレビをみている確率が高かったりする)

じゃあ、お聞きしますが。日本代表の選手たちに暑くて苦しい時間に試合をさせて、みんな足が攣って日本が負けたらどうします? その日のCM視聴率が良かった場合と、W杯に出場できなくなった場合の損出と、どっちが得ですか、っちゅう話でしょ。電通もスポンサーも日本代表の試合が多い方がいいに決まってる。そのために、日本が不利になることを薦めますか?、っちゅう話です。(暑くて足が攣るのは、イランの選手も日本の選手も一緒でしょ。イランの選手の方が暑さに強いと言うのなら、それくらいのホームアドバンテージがあったっていい)

負けたら終わりかもしれない試合中継のGRP(CM視聴率)を獲得するために、そんな幼稚な手段をとると思いますか? そこまで電通はバカじゃない。もしスポンサーが「もっと視聴率の取れる時間帯に試合はできないのか?」と言ったとします。ボクだったら、1試合の視聴率で稼ぐより、W杯出場を決めてロシアで戦う試合まで中継できる方がどれだけ得か、を説得します。数字で実証することもできるでしょう。
千歩譲って、仮に電通が試合時間を決めたとしましょうか。だとしても、負けたこと、勝てなかったことを試合時間のせいにしているようじゃダメですよね。相手も同じ条件なんだから。

昔の話を一つ。日本人のほとんど誰もが知らなかった2011年の女子W杯。その、ドイツへの出発前。佐々木則夫監督となでしこJAPANの選手たちが、スポンサーであるKIRIN本社(当時原宿にあった)に挨拶に訪れた。日本のマスコミは誰もいなかった。その時、当時のキリンビールの社長とキリンビバレッジの社長は揃ってなでしこカラーのピンクのネクタイをして迎え、玄関まで見送った、というのです。(KIRINの人は両社長が揃うことは年に一回あるかないかだとおっしゃっていました)そんなスポンサーが、日本選手に不利になる時間帯の試合を強要するでしょうか?たった1試合のCM視聴率のためにそこまでアホなことをするでしょうか。ボクには到底そうは思えません。

2014年ブラジルW杯の時も同じような「言葉」がもっともらしくSNSで語られました。予選3連敗(実際は1分け2敗だけど、ボクにしてみりゃ3連敗)に終わった日本代表のキャンプ地のこと。日本代表は、サンパウロから離れたイトゥという町にキャンプ地を設定。聞くところによると、練習環境が良く、雑音から隔離されていて、選手の宿舎にバスタブがある部屋が作れる、ということなどからここが選ばれたそうです。しかし、結果は3連敗。選手、監督、協会の順番でバッシングされ、そして「電通が悪い」ときて「KIRINが悪い」とくる。

選手のコンディションが悪すぎた。それはキャンプ地が試合会場から遠すぎたからだ、という。ほっほー。ブラジルはどこへ行くにも遠いんだよっ!日本の国土の20倍あるんだよっ! それを「イトゥはブラジルのKIRINの工場が近くにある。だから、電通がごり押しして、イトゥに決めたんだ。悪いのは電通だ」そういうファンの知ったかぶりの想像が自慢げにSNSで語られていた。そういう論調の記事さえも見かけた。もう、笑っちゃいましたよ。

ブラジルKIRINの工場の近くにキャンプして、KIRINにとって何のメリットがあるの? 社員の家族がサイン会に行きやすいから? 試合に影響するほど環境が悪い場所でキャンプして、3試合敗退で終わるより、決勝トーナメントに行ってもらった方がいいに決まってるじゃん。むしろ、行ってもらわないと困るよ、だったと思います。何で電通とKIRINがキャンプ地を決めるかな。何のため? 疑わしいなら、そう思うなら、ちゃんとしたジャーナリストにちゃんと調べてもらえばいいじゃない。

電通が悪い、と言うことは、そのスポンサーであるKIRINが悪い、と言っているのと同じこと。だからボクは黙ってはいられません。かつて電通でKIRINのサッカー日本代表のコピーを書いた一人として、日本代表を愛する一人のファンとして。
なんかわからないことがあるたびに「電通が裏で糸を引いている」みたいに、わかったようなことを言う人がいます。電通はフリーメイソンか、っちゅうの。そんな力があるのなら、まず最初にハリルホジッチを解任しますよ、ボクだったら。
(これはすべて中村禎、個人の意見です)
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写真は原宿のKIRIN本社ロビーに飾られていたものです。下にある「なでしこジャパン」の色紙に2011年7月21日とあるので、ワールドカップで優勝した後に挨拶に訪れたのでしょう。ぜんぜんマイナーだった女子サッカーを支援し続けてきたことは選手たちが一番よく知っています。#7安藤梢選手の「キリン大好き!」という言葉は正直な気持ちだと思います。
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【友人の書き込み】
(前略)ここからが本題なんですが、来年のワールドカップ、中村さんのチカラで、電通やキリンを動かしキックオフ時間を選手ファーストの時間にするようにして頂けないでしょうか?電通やキリンからの要請があれば、不可解なキックオフ時間問題の解決ができるのでは無いかと思います。ロシアワールドカップで日本が優勝するために是非、お願いします。
【それに対する中村 禎 の書き込み】
 できません。それは電通にもスポンサーにもできることではないのです。できるとすれば、サポーターたちの「署名・お願い」としてサッカー協会に届けることくらいだと思います。W杯予選は、フェアに行うためにホーム&アウェイで試合をするんです。アウェイの試合の運営に、たかが広告代理店(しかもアウェイの)が口出せるわけがないのです。だからボクはFIFAの会長になりたいのです(具体的努力はまだ何もしていませんがw)
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これはボクのフェイスブックに書き込んだ記事です。とても多くの人の「いいね!」が得られたので、ここに記録しておきます。

長友さんに会いたくて


長友さんに会いたくて、クリネタ編集団に入りました。ボクは「稀代(ケッタイ)」というBARを紹介するページを担当していたのですが、その取材を長友さんと一緒に行けることが何よりの楽しみでした。長友さんの周りには笑顔が伝染します。「まぁ、ええやないの」いつもニコニコの長友さんでしたが、何かの話の時、ツボにはまったのか、声も出ないくらい、お腹が痛いと言わんばかりに笑ったこともありました。子どもみたいだった。

「タダシ!」と呼ばれるまでにはなれませんでしたが、「何やったかいな」ではなく、「中村クン!」と呼ばれるくらいの距離には近づけたのではないかと思います。(「何ゆうてんのん、忘れるわけないやないのw!」という声が聞きたいなぁ)

2013年の冬、目黒のモンドバーでの取材のとき、長友さんと目が合った瞬間のことを、今でも憶えています。こんなくだりです。

(前略)・・・そしてグラス。「山崎ハイボールには薄いグラス使います。そのほうが『運びがいい』から」ん!運びがいい?耳新しい言葉を聞いた。カウンターに座っていた長友編集長と私は思わず顔を見合わせ「こりゃメモ!メモ!」と目で合図を送り合った。(後略)

長友さん、忘れません。ありがとうございました。

長友啓典さんの話
長友啓典さんの声

8760時間の手帳 2017


2017 年 あけましておめでとうございます
新しい『ぶ厚い手帳』に、あれこれ書いていきます。
新しい365日、8,760時間を大切に使うために。

みなさまにとって、中村家にとって、
いい年でありますように。
今年も仲良く、よろしくお願いします。

エコヒイキ・マーケティング


お礼を言うのが遅くなってしまいました。九州パンケーキさんから、これから新発売される商品のサンプルを頂いちゃいました。

九州パンケーキマーマレード・甘夏(熊本産)
九州パンケーキジャム・しらぬいみかん(熊本産)
九州パンケーキジャム・晩白柚(ばんぺいゆ)(熊本産)
九州パンケーキシロップ・博多いちじくシロップ(福岡産)
九州パンケーキシロップ・桜島こみかんシロップ(鹿児島産)

ラベルの裏に小さく書かれた「どこどこ産」という地名がみんな九州で、九州出身としてはどうしても応援したくなってしまう。九州の農家の畑に九州の太陽の光を浴びて育った果実を思いながらいただきます。

これからの商品は、性能の差だけじゃなく、「応援する」といった気持ちで売れていくんじゃないかと思います。性能がいいから買う、だけじゃなく、好きだから買う。その「商品」が好きなだけじゃなく、その「企業」が好きだから買う。応援したいから買う。ファンが贔屓のチームを応援するあの感じ。選挙で投票しようとするあの感じ。エコヒイキ・マーケティングですw

ありがとうございます。いただきます。株式会社一平の村岡 浩司さま、桑畑宣孝さま、 長谷川実里さま。
(注:マーマレードは食べかけです)

おでん代

ひょんなことからボクより20才も年上の、しかも同じ福岡県北九州市出身の電通OBの方とfacebookで知り合いになれた。その方は、鬼十則をお書きになった吉田秀雄社長の時代に電通社員だった。その方から吉田社長の話を聞くことができました。

「吉田秀雄社長は社員との”絆”を非常に大切にした人です。私は昭和34年に電通に入社し数年後に電通の月額取扱高30億円を達成した時に、全社員に金一封をくれました。表書きに「おでん代」と書かれており、封筒の中には『ご家族でおでんを食べお楽しみ下さい』的なことが書かれていました。歴代の社長の中でこの様な社員に対する心遣いをする社長は吉田社長だけです。まさしく全社員との”絆”です」

「おでん代」とは、なんとも粋な言葉のチョイス。金一封の中に「言葉」を残す心配り。さすが、我ら電通の社長だ!とOBの端くれとして、誇らしく思えました。吉田社長は福岡県北九州市小倉出身、出会ったその大先輩も小倉出身、電通途中入社のボクは、となり町の門司出身。なんとも不思議な縁を感じます。鬼十則を話題にするマスコミも、こんな吉田社長の人となりも、しっかり取材してほしいものだと思います。

追記:そしてこの話は、残業問題で騒がれた時に、石井社長と中本副社長にもメールで伝えたということです。電通を愛するOBとして。

F.C.BACCANO ベストイレブン・ピンバッジ

我ながら、よくやってると思います。FCバッカーノというチームを1999年2月からやっていて。来年の2月で18周年です。毎年、参加した人のポイントをつけてましてね。行事への参加不参加連絡の返事をくれたら1ポイント。ボールを蹴りに来たら2ポイント。そのあと飲みに行ったら1ポイント。ビッグイベントへの参加は3ポイント。そうやって年末の忘年会に集計して、上位11人をベストイレブンとして表彰します。コミッショナー(ボクです)の個人的趣味でピンバッジを贈呈しています。今年で18個目。

写真左上から1999年のピンバッジ。バッカーノのエンブレムの元になったACパルマのピンバッジ。2個目はバッカーノのチーム名の名付け親である小野伸二選手が移籍したフェイエノールト。3個目はFCバッカーノの頭文字と同じ「FCB」であるバイエルンのピンバッジ。そして2002年のは日韓W杯でブラジルが優勝した年なので5つ星のブラジル。クラブW杯で優勝したサンパウロFCや稲本が移籍したガラタサライ。10周年には背番号10のプラティニのピンバッジ。日本のサッカーショップに同じピンバッジが11個も、なかなか売ってなくて、仕入れが大変になってきて。欧州へロケや旅行に行くメンバー頼んで買ってきてもらったり。#25アドリオーノにスペインで買ってきてもらったエスパニョール。#49エイスケッタに頼んだ金色のイタリア代表。ロンドン五輪もアドリオーノの2012ピンバッジ。そしてロンドン旅行に行った#2マイコビッチから送ってもらったマンチェスターシティ。そして2014年はブラジルW杯の。2015年はクロアチア旅行に行ったキャプテン#6ハセゴンに探してもらったディナモ・ザグレブ。

一番下の列は、スペシャルで、9周年の時の9番ファンバステン、MVPにあげたザックジャパン代表ユニ。そして#10タッツィオが発注してくれたFCバッカーノオリジナルピンバッジ。

そして、今夜、2016年のバッカーノ忘年会。レアなピンバッジを贈呈します。数年前に買ってあったもの。リーガエスパニョール、アスレチック・ビルバオのピンバッジ。たぶん、日本に11個しかないと思います。

会いたくても会えない人

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訃報はいつも突然だ。サン・アド仲畑チームのプロデューサーだったMさんが亡くなったと、元仲畑チームのテッちゃんから電話があった。実は今年4月に亡くなったということを、奥様からの喪中葉書で知ったという。昨年7月、湯島の「はん亭」で仲畑チームの同窓会を催したとき、Mさんも来てくれて、お元気そうだったのだが。(Mさんの苗字はYさんなのだが、みんなからファーストネームの、Mさんと呼ばれていた)

サン・アドを卒業して、サン・アドでお世話になった人が亡くなられても、知らされなかったことがあった。その時、「◯◯さんが亡くなったそうだよ」と他人から聞くのは嫌だと思った。Mさんの顔が浮かんだ。もしMさんが亡くなった時、誰も知らせてくれなかったり、風の便りで知るなんて嫌だった。だから「サン・アドOB名簿」を作ることにした。サン・アドOBのメールアドレスを集めて、連絡網を作った。OBの人の個展の告知などに使えるが、多くは訃報の連絡だった。でもそれでいいと思った。第三者から聞くより、身内の連絡網で知った方がいいから。

Mさんはメールは使っていなかった。でも仮に、メールを使っていて、奥様からこのOB連絡網に連絡があったとしても、お葬式には行けるかもしれないが、Mさんにはもう会えない。人は遅かれ早かれ、会いたくても会えなくなる日が来る。生前にたくさん会ったから、亡くなって会えなくなっても寂しくない、なんてことはない。亡くなった後に、どれだけその人のことを思い出せるか。何回思い出せるか。それしかないんだなと思った。

そして今日は、11月29日。電通でお世話になったTさんの命日。思い出したい人、会いたくても会えない人が、いっぱいいるなぁ。
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鋼婚式 2016.11.22

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結婚式の時の牧師さんから、今年もハガキが届きました。
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2016年11月22日
結婚記念日(11年・鋼婚式)おめでとうございます。
記念日というのは、その出来事を思い出す日、もう一度その時の心に返る日、その心を元にして一歩前進しようとする日です。結婚式の時の相手への愛と、皆さんへの感謝と、ご自分の感激を思い起こして幸せな家庭にしていってください。神様の御恵みをお祈りします。
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そうですね、毎日が過ぎていく中で「記念日」があることで初心に返れる。「もう一度その時の心に返る日」なんですね。記念日が多い人生のほうが、楽しそう。

ただいま59%

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2012年10月3日55才の誕生日に、この「ぶ厚い手帳」を書き始めました。
そして2016年、59才の誕生日を迎えました。
59分経過。後半14分。一番キツイ時間帯です。
でも、このキツイ時間に踏ん張って、1点取れば勝利が見えてくる。
59才の1年のテーマは「じっとしない」にします。
考えて動く。考えずに動く。とにかく動く。動きながら考える。
最近の自動車は「アイドリング・ストップを」などと言っていますが、
ボクの場合は、燃費のことなど気にしないで、常にアイドリング状態で、
いつでもアクセルを踏み込めば飛び出せる体勢でいようと思います。
そうやって常にエンジンにオイルを回していないと、固まってしまいそうだから。
自分の身体の中の血液を常に回しておかないと健康でいられないのと同じです。
迷ったら動く。停滞を感じたら動く。考えているだけでは体は動きません。
歯を磨く時も、かかとをあ上げ下げしてふくらはぎを動かして血液を回す。
そういうことからやっていきます。
どうか、じっとしている中村禎を見かけたら、叱ってやってください。
59才の決意です。

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写真は、スティーブ・マックイーンが所有していたジャガーXK-SSです。
なぜこの写真なのか。このクルマはボクと同い年、1957年製なのです。

55分経過 (55才)
56年見てきた手 (56才)
1957年10月3日 (57才)
勝手に新記録 (58才)