16周年

富津集合

1999年2月26日 フランスW杯の余韻の中で、我らがFCバッカーノは設立されました。今日で16周年です。16年前、ボクも16才若かったわけです。あの頃より今のほうが走れているかもしれません。(ちなみに2月26日はキングカズ選手の誕生日でもあります)

小雨の国立競技場

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【今日のバッカーノ】今日は意地でも神宮外苑フットサル。毎度ピンポイントで悪天候にイジメられるFCバッカーノの悪運を払うために小雨の中でフットサル決行。今年初めて行ってみたら国立競技場が囲われていました。完成予想図もないのに大丈夫?スターウォーズのあの白い服着た人がひとりいました。そういえば、新国立競技場の最初の試合がサッカーじゃないと知って、ガックシ。and 日本の首都にはサッカー専用スタジアムもないってことか・・・。「聖地」はサッカー専用の聖地であってほしいなぁ、ボクは。

雨上がりバッカーノ

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以前、現場に行ってこんな状態だったのでキャプテンと「今日は無理だね」と言っていたんですが、技術担当が「雨上がりましたから、やれますね、やりましょう」と言うので、レーキで水溜まりをどけて、プレーした経験があります。土砂降りじゃない限りやるぞ!の気持ちで家を出ます

さよならアギーレ

アギーレ日本

アギーレ監督には期待していた。「基本は4−3−3だ」というところが好きだった。システムが大事だというのではなく、4−3−3は4−1−4−1に変化したり、4−2−3−1に変化したり、3−5−2に変化したりできるからだと説明していたのを聞いて、いいと思った。日本のマスコミはすぐシステムはどうなんだ?という。サッカーは常に動いているスポーツなんだから、相手や試合状況に合わせて変化できるシステムのほうがいい。ザッケローニの時みたいに、「いつもは4−2−3−1だけど、今日は4−3−3を試してみよう」ではなく、試合中に変化する、選手の対応力、自由さを求めていたところが好きだった。

今回の解任は残念だがしかたがない。いや、仕方がなくはない。「アギーレ監督と同じ嫌疑を持たれたスペインのクラブの選手たちは今も普通に試合に出ている。解任に至ったのは、社会的体裁を気にする日本だからこそだ」というサッカーライターの指摘もあるようだが、問題はそこではないと思う。白か黒かではなく、問題は大事なW杯予選期間中、スペインの裁判所に呼び出されてチームを離れなければならない事態も起こりうるということだ。監督不在で代表チームは空虚な時間を過さなければならなくなる。それは避けなければいけない。

JFA大仁会長への質問で「アギーレ氏へ違約金を払ったりするのか」というのがあった。大仁会長は細かい内容は言えないが、違約金などの請求はなかった、と言った。当たり前だ。違約金を払ってほしいのは日本代表のほうだ。代表チームの強化が振り出しに戻ってしまったのだから。契約書に「なんか隠してないか?もし契約期間中に代表チームから離れなきゃならないような事態になったら、そのときは、わかっとんやろうな」という契約内容にしておくしかない。

代表チームの進歩がまた止まってしまった。いや、そう考えるのはやめよう。アジアカップに選ばれた選手たちもまたアギーレ監督に呼ばれるとは限らなかったわけだし。選手たちのやることはひとつだ。監督が代わろうがどうしようが、自己のレベルを上げるだけ。今までアギーレに選ばれなかった選手たちは大チャンスだ、と思えばいい。

オシム監督が脳梗塞で倒れた時。急遽、岡田監督になり、そのときのW杯の成績が過去最高だということを思い出そう。(ワールドカップベスト16は過去最高。トルシエの時のベスト16は自国開催なのでAシード国がいなかった)日本には「災い転じて福となす」という諺があるじゃないか。

しかし、「新しい日本を見せよう」というコピーを書いて、見せてくれそうな気配はあるものの、なかなか全貌がクリアに見えて来ないなぁ・・・。

だってブラジルなんだもの【26】マラカナン待ち合わせ

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2014年6月28日(土)

今日は、Estádio do Maracanã いよいよマラカナンだ。ホントならここで日本代表が勝ち上がってくるはずだったが日本代表はもういない。しかし決勝トーナメントのコロンビア vs ウルグアイという好カードだ。試合開始は17:00だがその前にブラジル vs チリ戦がある。ホテルのテレビで見るよりも早めにスタジアムに行ってスタジアムの大画面で見れないかなと思って、ホテルを早めにでることにした。地下鉄のカテーテ駅前の道路がガラーンとしている。ほとんどクルマが走っていない。店もシャッターを閉め始めている。そうか、今日は13:00からブラジル戦だからだ。ブラジルでは代表戦がある日は学校が休みになると聞いたことがある。とても正しいと思う。「サッカー好き」が多い国だから、ということじゃなく、「国民全員で自分の国の代表を応援する」という姿勢が正しいと思った。ショッピングセンターのテナントは「お昼過ぎから閉店。試合後にまたオープンします」という店が多かった。 ブラジル戦が始まる
 シーンとした街

マラカナン競技場は巨大なスタジアムだ。座席のゲートの位置によって地下鉄降りる駅が違うほど。ひとつの駅に集中しないぶん効率的に考えられてつくられているのだろう。改修工事で収容人数は8万人ほどになったらしいが、あの「マラカナンの悲劇」があった頃は15万人収容できたという。スタジアムに到着。客席裏の通路にモニターテレビがある。その前にすでに集まり始めているコロンビアサポーターたちがブラジル戦を見ている。どうやらブラジルを応援しているみたいだった。マラカナン地下鉄地図 ゲートによって降りる駅が違う 混雑緩和のアイデアかも

ブラジル vs チリ戦1:1の同点。延長PKにまでもつれている。試合後に合流する約束の、昨日会えなかったFCバッカーノの友だち大野くんの席に行ってみることにした。ブラジルのスタジアムはゲートの中に入れば中での移動は自由だった。どの席にも行ける。空いていたらいい席に移動することもできそうだ。スタジアムの大画面でブラジル人たちとPK戦を見る。ここでも見れるなら早くこっちに来れば良かったか。大野の席 まだ大野くんは来てなかったので席にメモを貼っておいた
大野の席。広いスタジアムでも座席番号さえあれば確実に会える。
試合後、息子とワールドカップに来ている大野くんの席に降りていく。そこで待ち合わせ。一緒に記念写真を撮る。FCバッカーノで一緒に神宮外苑フットサル場でボールを蹴っているボクと大野くんと小学生の息子凛堂と、ブラジル、リオデジャネイロ、マラカナンにいる、ということが不思議な感覚だった。夢を見ているような感覚。マラカナン大野と神宮外苑からマラカナンへ

マラカナンの21番シートボクの席 マラカナンの座席21番 ボクの背番号

7万人以上の入場者。レベル5まであるスタンドがぐるりと囲むサッカー専用スタジアムはとても見やすかった。すり鉢状の客席はデカイんだけど『一体感』があるスタジアムだと感じた。観客全員がひとつのボールを見つめている、ひとりのプレーヤーを見つめている、そんな雰囲気をもったスタジアムだと思った。そう、全員が同じシーンを見ている感覚。競技場の設計にもサッカーの歴史のノウハウがあるんだろうなと思った。マラカナンの一体感 7万人以上がひとりのプレーを目撃している
試合は2:0でコロンビアの勝利。コロンビアの10番、ハメス・ロドリゲス。相手守備ブロックでの浮き球を胸トラップからの左足ボレー。クロスバーの下を叩いた先制点。今大会のベストゴールといわれたビューティフルゴールを目撃することができた。
葉メス 背番号10 ハメス・ロドリゲス 

客席のケンカ ウルグアイは完全アウェイだった
試合中、あっちこっちでウルグアイサポーターがもめていた。警備員にウルグアイ人が連行されていたが、大多数のコロンビアサポーターとブラジル人の中、ウルグアイは少数派で、かわいそうだった。もめた原因はどうやらブラジル人サポーターがウルグアイを挑発したみたい。マラカナンではブラジル人はウルグアイ人に敵対心をもっているからね。そうだ、ここは「マラカナンの悲劇」があった場所。だってブラジルなんだもの。(あとブラジル2泊)

(試合後、大野くんの席で待ち合わせして一緒に帰った。大勢が駅に向かう中、おととい会ったナベさんご夫婦と偶然再会。あの混雑の中でよく会えたもんだ。日本代表の『中村組10』を着ていたから遠くから見つけた、と。10代目中村組からもらったユニフォームのおかげさまだ、ありがとう!)

だってブラジルなんだもの【24】ひとりジャネイロ

MISS AZUL  AZUL航空をおすすめします

2014年6月26日(木)

日本を出発して16日目、今日からブラジルでひとり。今まで一緒だったサポ村ツアーの人たちと別れて単独行動になる。やや緊張。ある意味、ほんとうのブラジルが始まるような気もする。クイアバからサンパウロ経由リオデジャネイロ。クイアバ収容所を出所できるのはうれしいが、サポ村で知り合った人たちと別れるのは少し淋しい。お世話になった人たちと空港のバゲッジクレームでお別れだ。

藤井さんとの別れ収容所で仲良くしてくれた藤田さんともお別れ

ブラジルに1人といっても現地で友だちと待ち合わせはしているんですけどね。ま、会えれば、の話ですが。単独行動の時間が多くなるので、気を引き締めていかねば。

今日の目標は①無事にホテルREGINAにチェックインすること②なんとかナベさん夫婦と再会すること、この2つ。乗り継ぎのサンパウロ空港では、ブラジル16日目だが「警戒態勢マックス」を再開。慣れて来たところで油断したり、空港は置き引き等がとても多い場所だから。ブラジルから帰国する時のサンパウロ空港でやられた日本人がいる、という噂も聞いていたから。自分の方が怪しい人間として行動することにする。トイレの洗面所で自分の姿を写真に撮ったが、そうとう不気味なヤツ。こんなヤツがキョロキョロしてたら話しかけてこないだろう。これでいいのだ。

リオ到着の男サントス・ドゥモン空港の怪しい日本人

クイアバ〜サンパウロ〜リオは国内線のAZUL航空だった。前と後ろの2カ所に出入り口がある、2席2席の小さな飛行機(でも席はGOL航空より全然ゆったり)CAさんがとても美しくて、思わず写真を撮らせてもらった。憧れのリオデジャネイロが近づいて来た。飛行機の窓からリオの山々が見える。コルコバードの丘のキリスト像が見えたりしないだろうか。あ、あれはポンジアスカール(潜水艦のようなカタチをした山)じゃないか?ということは、あの辺がコルコバードの丘?リオには空港が二つある。国際空港のガレオン空港と国内線のサントス・ドゥモン空港。このAZULが降りるサントス・ドゥモンは市内に近いのでリオの街が見下ろせるはずだ。滑走路に着陸して窓から外をみると近くに高い山が見える。もしかして? ぼんやりだが山頂に十字架が見える。あれか?あれだ!そうだ、とうとうリオデジャネイロだ。

RIOの空港から山のテッペンに!

興奮は押さえなくてはいけない。バゲッジクレームで荷物を受け取ってタクシーに乗ってホテルへ行ってチェックインして、というただそれだけのことなんだけど、緊張する。だって、ブラジルなんだもの。

スーツケースと無事再会し(当たり前なんだけど)、正式なタクシー乗り場に行き、用意しておいたホテルの住所を書いたメモを運転手に渡し、タクシーに乗り込む。緊張はつづく。誰かに着けられていないか後ろを確認する。刑事ドラマじゃないんだから、とお笑いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、聞いた話によると、空港からタクシーに乗って、市内に向かう時、交差点や渋滞でタクシーが止まるとガラスを割られてバッグを盗られたという話をきいたことがあるから。空港で観光客に目を付けてバイクで後を着け、タクシーを襲う。着けられていることがわかると運転手も赤信号で止まらないこともあると聞いた。ま、そんなことは滅多にないのだろうが、ボクの警戒態勢はマックスだった。とても疲れますわ。

FIFAホテルFIFA公認ホテルって何を公認するのだろう?

フラメンゴ地区カテーテにあるHOTEL REGINA。FIFAのOFFICIAL ACCOMMODATIONホテル。写真で見た看板のホテルに到着。507号室、無事チェックインできた。安堵。キレイな部屋、エアコン付き、シャワーは・・・・お湯がで〜る〜! 完璧だ!ブラジルの最後の4泊をするホテル。FIFAのサイトから数ヶ月前に予約して、ちょっと割高なんだけど、エアコンがあってお湯が出る、ああ、ただそれだけで、それだけで。お湯のシャワーを浴びて、思わず声が出た。「ありがとうございます!」

WiFiも快適につながる。日本で借りて来たケータイが使い物にならないので、facebookメッセージでナベさんとやり取りをする。今日の晩ご飯をナベさんご夫婦と。待ち合わせて食事をする。ただそれだけのことが大仕事なのだ。

当時のfacebookメッセージのやり取りが残っていた。
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中村 禎2014/06/27 5:57PM
26日、今夜合流できるとうれしいです。今ホテルに入りました。あたりが暗くなってどうしましょうw
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渡辺 伸一朗2014/06/27 6:42PM
僕たちも今ホテルに入りました。すごい渋滞です。もう少ししてからタクシーに乗った方が良さそうですね。お互いの位置関係を調べてみます。
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渡辺 伸一朗2014/06/27 7:05PM
地下鉄のカリオカ駅までは来れそうですか?
そちらから進行方向前方のマラカナン方面改札に8時とか。
そこから一緒にタクシーで店へ。
それか、rua do ouvidor 41 centroの
toca do baiacu
へ直接タクシーか。どうでしょう?
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中村 禎2014/06/27 7:12PM
Toca do baiacu というのが店の名前ですか?店に直接タクシーで行くほうがいいかも。
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渡辺 伸一朗2014/06/27 7:17PM
はいそれが店の名前です。ブラジル料理。直接タクシーにしましょうか。8時までに着くように向かってみます。
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中村 禎2014/06/27 7:22PM
20 時目指して行って見ます!
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渡辺 伸一朗2014/06/27 7:24PM
了解しました!
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渡辺 伸一朗2014/06/27 8:03PM
道路激混みしてます。かなり遅刻します、すみません。
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タクシーでその住所に向かうも、その路地が一方通行らしくて、「ここで降りて歩け」みたいなことを言われ渋々降りる。しかし、降ろされた場所からはまだ遠く、いろんなお店の人に住所を見せて「あっちだ」「もっとあっちだ」と言われ、歩くと、さっきタクシーで通り過ぎた交差点まで来た。なんだ、さっきここで降ろせばいいじゃんか。まったく!と思いながら、そのレストランをさがす。このレストランの名前と住所を書いた紙がなければ何もできない自分。言葉はまったく通じない。逆に言うとポルトガル語しゃべれなくても文字で伝わるってことか。想像していたレストランとは違って小さな食堂で、道路にテーブルを出して食べている。周りの店もみんなこんなスタイルだった。大勢の人で賑わっている。まだナベさんたちは到着してないみたいで、BRAHMAだけ頼んで飲んで待つことにする。このまま会えなかったら・・・ということはひとまず考えないことにする。リオのセントロに近い場所。東京でいうと丸の内のオフィス街の裏道の路地。歩行者天国になった狭い路地にテーブルを出してそこで食事をする人気の場所、みたいな雰囲気だった。ビルの外壁もどことなくヨーロッパなカンジ。そうか、ポルトガルなんだろうな、と思った。(ただし、東京の丸の内と違うところは、セントロ地区はリオでも非常に治安が悪い場所らしい、ということです)

食堂レストラン中でつくって外で食べる 地元の食堂なカンジ

ナベさんご夫婦会えた!リオの晩ご飯見栄えはともかくうまかった!

ナベさんご夫婦と会えた。話すのに夢中であまり写真は撮らなかった。不思議な気持ちになった。東京で一緒に仕事をしたナベさんと初対面の奥さまと日本の裏側のリオデジャネイロの路地裏で食事をしている。知っている人に会えてホッとした反面、どこか緊張からは解放されていない部分もある。だってブラジルなんだもの。(まだつづく)

(あと4泊です。最後まで書きます。だって書き始めたんだもの)

だってブラジルなんだもの【23】パンタナールの遠足

ボートのボク
Rio de Claro クラロ川ってことかな

6月25日

クイアバ収容所の最終日。当初の予定では「なんにもしない一日」にするつもりだったが、あわてて「パンタナール大湿原観光」のオプショナルツアーに申し込んだ。605号室から外出できるならどこでもいい。(だってブラジルなんだもの⑱クイアバ収容所 参照)このオプショナルツアー、ホントに行ってよかった。サポ村ツアーに参加して14日目。名前は知らなくても見覚えのある顔がふえた。初めて話す人もいた。

ホテルからバスで3、4時間走っただろうか。サッカー王国ブラジルの、また違った表情が見えた。そうだ、ここは南米大陸だったんだ。そんな景色に変わっていった。今日は一日観光なのでいろんな写真をご覧ください。

途中の牛さん
■行く手を阻む牛の群れ


■カウボーイではなく、Gaúcho(ガウ〜ショ)。スペイン語ではガウチョ、ポルトガル語ではガウーショ。そういえば、ロナウジーニョも名前はRonaldinho Gaúchoだったな。(ブレブレ写真で申し訳ありません)


■それにしても、すごく痩せた白い牛だった。まさかこれがシュハスコに?ジャネイヨね。

ブラジルの土2
■ブラジルの土

パンタナールの私2
■ブラジルの地平線

Pousada Rio Claro
■目的地の『Pousada RIO CLARO』は自然公園の中にある宿泊施設のようだった。

開高さんの川
■ワニやピラニアのいる川をモーターボートに乗って遊覧する。川面の風が気持ちいい。ふと開高健さんの「オーパ!」な気持ちになった。ここもブラジルなんだなぁ。

開高さんの川3
■開高さんの川(のつもり)

ワニの川
■この写真はサポ村の誰かが撮ったもの。ゲッ、ワニ、ほんとにいたの!川に手を浸けてたよ。

こんなボートで
■こんな感じでブイ〜ンと。

パンタナールの友2パンタナールの友1
■パンタナールの友 ランチのときに合い席にさせていただいて、記念写真。

木陰1木陰2
■木陰で休憩ビール。

青いサポ村Tシャツの藤田さんはクイアバ収容所の食堂で知り合った。同部屋の池葉くんがブラジリアに旅立った後なので、このツアーで一緒に行動してくれる人がいてくれてうれしかった。ランチで同席させていただいた人たちとボートにも乗り、顔見知りになった。収容所の孤独を忘れさせてくれた友。しかし、明日のいま頃はまたひとりだ。サポ村ツアーの人たちと別れて単身リオデジャネイロに向かう。せっかく顔見知りになれた人ともお別れだ。明日、日本に帰国する人もいる。疲れが貯まってきたボクには、日本に帰れる人たちがちょっとうらやましく思えた。しかし、明日からは楽しみにしていたリオデジャネイロだ。今回のブラジルツアーの三大目的を忘れてはいけない。①ブラジルでブラジル代表の試合を見る。→これは、ブラジルでブラジル人とブラジル代表の試合を(テレビなどで)見る、に変更。(だってブラジルなんだもの⑲外出時間 参照)②コルコバードの丘のキリスト像を見る。③マラカナンスタジアムに行く。この②と③を果たさねば。だってブラジルなんだもの。(つづく)

明日からはいよいよRio de Janeiroです。

チョン・テセ選手の涙

テセ登壇

第2回アジアサッカーマネジメントセミナー「2014FIFAワールドカップブラジル後のアジアサッカー界の動向」というセミナーに出席しました。その中で、チョン・テセ選手の話が聞けました。
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「日本・韓国・北朝鮮、3つのアイデンティティーを持って見つめるアジアサッカー」
水原三星ブルーウィングス所属
鄭 大世(チョン・テセ)
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チョン・テセ選手は日本で生まれて日本で育ちました。朝鮮学校でサッカーを始めたそうです。ボクも中学生の頃、九州の福岡県のサッカー部で、ときどき地元北九州にあった朝鮮学校と練習試合をすることがありました。メチャメチャ怖かった。いろんな人に「朝鮮学校は怖いことするぞ」と脅されていたのです。でも終わってみたら、特に汚いファウルとかはなくて、フェアな試合でした。(でも怖かったけど)ま、そうやって、草の根から日本の朝鮮学校でサッカー選手になったテセ選手。

川崎フロンターレにいた頃のチョン・テセ選手のことは好きでした。強引なFW。相手が何人来ようがなぎ倒してでもゴールを決める、というあの気迫が好きでした。そして、北朝鮮代表の国歌のとき。テレビカメラなんか気にせず号泣していた姿に感動しました。その姿で一気にファンになりました。しかし、今日、そのときの、実はそうじゃなかったという「裏話」が聞けたのです。

テセ涙

【涙のわけ】
最初の涙は、初めて北朝鮮代表に選ばれた2008年の試合。相手は日本代表です。選手が並んで国歌を聞きます。その時、チョン・テセ選手は泣いていました。その映像はテレビに大きく映しだされました。初めて北朝鮮代表に選ばれて北朝鮮の国歌を聴いて涙が出たのだろうとテレビを見た人全員が思ったはずです。でも、事実は違いました。言われてみれば、チョン・テセ選手は北朝鮮国歌になる前から泣いていた。そこに北朝鮮代表として立つことで感無量だったのだろう、と思っていました。ところが…

日本で生まれて日本のJリーグで育ってきたテセ選手。だから、北朝鮮代表の前の、日本代表の「君が代」を聞いて泣いていたんだそうですw。「君が代」に感動して。テセ選手はこどもの頃から「君が代」を聴いていた。その曲が流れてきて思わず泣いてしまった、というのが真相なんだそうです。それを今語ってくれるテセ選手も、いーじゃあーりませんか。北朝鮮のチームメイトに「おまえ、日本の国歌で泣いてただろ!」と怒られたとも言ってました。

しかし’、2010年の南アフリカW杯の試合前の国歌での涙(写真上)は、ホント涙のだそうです。北朝鮮代表としてワールドカップの舞台に立てた感動、しかも相手はブラジル代表だという感動。テセ選手は泣いているのに、エスコートキッズがあくびしているというこの写真に何度も突っ込みを入れられたそうです。

【ビフテキとミニハンバーグ】
欧州サッカーの話もしてくれました。テセ選手がドイツ・ブンデスリーガの2部ボーフムに所属していた当時、日本代表選手が大勢ドイツに行っていて(今もそうですが)よく向こうのみんなで会って話したそうです。

「欧州の選手はスライディング・タックルがうまい。深い」とみんなも感じていたそうです。これは、こどもの頃の環境の違いだとテセ選手は言っていました。日本のこどもたちのグラウンドは土、砂です。スライディングしたら太ももの外側は擦りむいてカサブタ。(テセ選手はそのカサブタを「ビフテキ」と言っていたそうです。それぐらいでかかったのでしょう。ボクらのカサブタはせいぜい「ミニハンバーグ」くらいでした)欧州のこどもたちは芝生だからスライディングしても「ビフテキ」はできない。だから思い切り滑れる。遠くからでも滑れる。だから欧州の選手は守備範囲が広いんだそうです。たしかに、こどもの頃、そこまでして滑りませんでした。環境って大事なんですね、こどもの頃の。

テセ・ウッチー

【ぶれないメンタリティ】
「欧州で成功する秘訣はありますか?」というテセ選手への質問。その答えが「さすが」だと思いました。
●海外に行く選手は、何かしら自国リーグで認められた得意技があるはず。それがあるから海外のチームが誘う
●海外に行くと→言葉が通じない→生活環境が違う→サッカーも思い通りにいかない→相手に合わせようとする→自分の弱点を補強しようと焦る→自分のストロングポイントを忘れてしまう→結局、うまくいかない
●だから、自分の武器は何かをしっかり捉え、その武器を磨き続けるぶれないメンタリティが大事だと思う
とテセ選手は言っていました。それが一番あるのがシャルケ01の内田篤人選手だとも言っていました。

人(特に日本人)(ボクもそう)は、うまくいかないと弱気になる→自分が相手に合わせなきゃと反省する→弱点を直そうとする→自分の強みを忘れてしまう→結局、自分を出せないまま終わるという悪循環

これは、チョン・テセ選手から聞いたサッカー選手の話だけれど、どんな仕事の人にもあてはまる部分があると思いました。だからメモしたんですけどね。やっぱり、どんな職業でも、必死でやっている人の言葉にはヒントがいっぱいあるなぁと思いました。

背中で語る

ブラジルの背中
先日のFCバッカーノの神宮外苑フットサル。
ブラジルで着たKIRIN日本代表ウェアでやりました。
背中はユザワヤで買ったブラジル国旗のアイロンワッペン
手書きの文字は
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Eu vim para o Brasil,
a fim de apoiar
a Selecao Brasileira
e Selecao Japonesa.
Junho e Julho 2014
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『私はブラジル代表と
日本代表を応援するために
ブラジルに来た。2014年6月7月』
と書いたつもりです(by Google翻訳)

これを着て、リオデジャネイロのホテルの朝食バイキングに行ったら、
スタッフも笑ってくれました。通じたのかな?
ま、話すキッカケになっただけでも大成功。
笑ってもらえればそれでいいんですけどね。