講師の仕事


コピーライター養成講座基礎コースの修了式。そのあとのパーティにはいつも行くことにしています。基礎コースは少人数クラスを受け持つので、何人かの生徒は顔見知りだから。ボクのクラスかそうじゃないか、すぐわかる。ボクの生徒は「禎さん」とか「中村さん」と呼んでくれるけど、そうじゃないクラスの生徒は「先生」と呼んでくるから。(ボクは「先生と呼ばないで」という話をいつも最初にするんです)
 
修了パーティには、仲畑さんと対談した渡邉千佳さんも。いつも来てくれる中島信也さんはこの日、名古屋クラスでの講義のため残念ながら欠席(でも、この日来られないというので、その数日前に生徒さんの飲み会に参加してくれたらしい。やさしいね)修了パーティ2次会に山本高史さんと玉山貴康さんも顔を出してくれました。
 
ボクたち講師の仕事は、コピーを教えることというよりも、迷える生徒たちを勇気づけたり励ましたりすることなんじゃないかなぁ。中西からの帰り道、ふと思ったのでした。

世界のトップ4と

さて問題です。この写真はなんでしょう? 見る人が見ればスゴイ!人たちと写ったものです。サッカーに例えて言うならば、クリスティアーノ・ロナウドメッシ澤穂希ワンバックの4人と、サッカーのこと全く知らないオッチャンとの写真、みたいなものです。

これは、世界の囲碁界トップ4の選手たちなのです。写真左から、謝依旻(シェイ イミン)六段柯潔(カケツ)九段、オッチャン挟んで、於之瑩(ヨ シヨウ)六段井山裕太九段。ペア碁という、男女がペアになったチームとして囲碁を戦う、その最強位決定戦の後のパーティでの写真です。

「ペア碁ワールドカップ 2016東京」優勝ペアの於之瑩六段・柯潔九段ペア(中国代表)と今年8月に行われた「ペア碁最強位戦2017」優勝ペアの謝依旻六段・井山裕太九段(日本代表)の4人。

もう一度サッカーに例えると、2014年W杯で優勝したドイツと、クラブW杯で優勝したレアルマドリーが試合をするようなもの。その時のレアルのクリスティアーノ・ロナウドセルヒオ・ラモス、ドイツ代表のノイアーゲッツェと一緒に写真を撮ったようなものなんです、サッカー全く知らないオッチャンとが。

囲碁は全くできないボクが、なんでこの場所にいるのか。それは、この大会の告知ポスターを制作させていただいたから。
「囲碁のミックスダブルス。試合中しゃべると反則。」
「1+1=2、以上の強さになる。」
「黒石女→白石女→黒石男→白石男→。」
「強いもの同士のペアが強いとは限らない。」
「自分以外、3人の頭の中を想像しながら戦うゲーム。」
「ケンカはやめた。ペア碁で戦う。」
「人間はミスをする。人間がフォローする。」
などなどのコピーでポスターを作りました。

選手のスピーチでうれしかったことがありました。日本代表(女性)の謝依旻六段が、『あのポスターを見た、囲碁に全く興味がないはずの友人から連絡があってビックリした』と言ってくれたのです。ボクみたいな囲碁を知らない人間がこの仕事をした狙いは、ボクみたいに囲碁に興味がない人にいかにこの大会いかに興味を持ってもらうか、でした。選手の口からその「効果」が聞けて、うれしく思いました。謝さんは、掲出されているポスターの前での自撮り写真も見せてくれました。有り難や。

サッカーワールドカップ決勝後の優勝チーム、準優勝チームの選手たちとFIFAの会長ら大会関係者との祝宴の末席にお呼ばれしたサッカー全く知らない人、という状況でした。

【言い訳】囲碁ファンからすると、囲碁もできないヤツがこんなスゴイ人たちと記念写真に写るなんて許せない!と思うと思います。サッカーを全く知らないオッチャンがCR7やメッシと記念写真に写っていたら、ボクだってムカつくと思うから。でも、囲碁を広めるための仕事をしたから一緒に写ってもらえたわけなので、許してください。

【追記】ほんとはこの話をしたかった。選手のスピーチで、この4人は世界のトップ4であり、ライバル同士でもあるのですが、決戦の前夜、試合会場のある渋谷セルリアンタワー近くの居酒屋に4人で行ったそうなんです。ペア碁の世界大会は日本、中国、韓国、台湾だけでなく欧米のチームも参加する大会です。世界の国と国が政治で争っているけれど、こういう「ルールのある戦い」でしのぎを削りあう人たちは、お互いをリスペクトしているし、仲良しだったりする。平和って、こういうことなんじゃないかと思うのです。まさに「ケンカはやめた。ペア碁で戦う。」だなと、そのスピーチを聞いて思いました。

まだ60才

2017年10月3日。中村禎、60才になりました。
5才の時に父と別れ(思えば人生の12分の1)
40才の時に母と別れ(思えば人生の3分の2)

親孝行しきれていない自分がいます。

『親はなくとも子は育つ』とはいうものの
人は誰も一人では生きられません。

今まで出会ったすべての人たちのおかげで、
今の自分があるのです。

いろんな人からいただいたご恩を、
少しでも返していける人生にしたいと思います。

ボクを名前で呼んでくれるすべての人たちに、
ありがとうございます。

生まれて初めて60才になって
そう思う、10月3日です。

55分経過 (55才)
56年見てきた右手 (56才)
1957年10月3日 (57才)
勝手に新記録 (58才)
ただいま59%(59才)
まだ60才(60才)

スタジアムの言葉


3年前の大阪長居競技場 親善試合で日本がオーストラリアに勝った試合後、オーストラリア側のコンコースに「アジアカップ決勝で会おうぜ!」というメッセージ。

日本代表がロシアW杯出場を決めた埼玉2002スタジアム、オーストラリア戦。そこで掲げられた横断幕の言葉についてフェイスブックに自分の思いを書きました。それに少なからずの反響がありました。同意してくれた意見もあり、そうは思わないという声もあり。一連のコメントをもらって初めてわかった事実もあり、思い出したことや、考えたことをもう一度まとめておこうと思ったのでした。

まず最初に、先日書いた文章が、これです。
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残念な横断幕
ロシア行きを決めた試合後の埼玉2002のスタンド。数年前(2009年南アフリカW杯最終予選の時)にオーストラリアサポーターが掲げた「Nippon Forever in Our Shadow!」(日本は永遠に俺たちの影)に対してのジョークなんだろうけど、これを準備しておこうぜ、と思ったセンスにちょっとガッカリ。

1997年フランスW杯最終予選で日本が苦戦していた時、ライバル韓国はすでに出場を決めていた。その韓国での最終予選の日韓戦、チャムシル競技場。もう絶対日本が負けられない試合で、韓国サポーターの真っ赤なスタンドに『一緒にフランスへ行こう』という横断幕があった。ボクは日本人としてうれしかった。韓国サポーターの方がW杯の先輩だった。

ボクだったら、日本サポーターがオーストラリアに仕返しするんじゃなくて、『一緒にロシアへ行こう』って言葉を掲げたい。それを試合前に準備しておく。そしてロシアで同組になってドイツW杯での借りを返すのが、一番カッコイイと思う。

と書きました。
(注:2006年ドイツW杯の予選リーグ第1戦日本vsオーストラリア戦。1点リードしたものの終了間際に3点入れられ逆転負け。当時オーストラリアはオセアニア地区。現在はアジア勢同士が1次リーグで同組になることはありません)
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この書き込みに対して「そうだ!そうだ!」という同意のコメントと「いや、あれはあれでいいじゃないか」というコメントが集まりました。ボクは両方の考えがあっていいと思うし、あるだろうと思っていました。だから、ボクならこうする、を書いたわけです。いろんな声が聞けて意義のあるスレッドになったと思います。

すると、これらのやり取りを見ていた「ある事情通」が書き込んでくれました。「正也さん」です。正也さんは、国内はもちろん、多くの海外アウェイの日本代表の試合を現地で応援している、コアなサポーター。海外で見かけるおなじみの日本語の横断幕も、正也さんたちが張ってくれている横断幕もあります。(他にもいろんなグループがあるらしいです)で、この正也さん、ボクともフェイスブックで繋がっている友だちなのです。そこで知った、この「お返事横断幕」の背景をもっと多くの人に知ってもらうべきだと思ったのです。

まず時系列で話を整理すると
南アフリカW杯最終予選の最終節。2009年6月17日、オーストラリアのホーム、メルボルン・クリケットグラウンド。日本は1点先制するも、「天敵」ケーヒルに2点を決められ逆転され、敗北。その試合終了後、オーストラリア側のスタンドに掲げられたバナーがこれでした。「NIPPON;FOREVER IN OUR SHADOW(日本は永遠に我々の影)」

で、今回の「AUS; Forever in Our Shadow!」は、その時メルボルンにいた正也さんの先輩の日本サポーターたちが出した横断幕なのだそうです。ただ、メルボルンでのメッセージに対しての「仕返し」の意味とは違って「日豪のサポーターシーンの中で、彼ら(オーストラリアサポーター)が日本をそういう相手として見てくれている事に対して、僕ら(日本サポーター)も返事をしている、だけなんです」と正也さんが教えてくれました。

考えてみれば、スタジアムでお互いの代表チームを応援していて、サポーター同士も自然と顔見知りになるだろうし、知り合いになってそういう話をしているんだろうと想像できます。実際、正也さんの知り合いのオーストラリアサポーターとも「それやり返すべき!お互いにサポーターから盛り上げていいし」って話していたそうです。

さらに貴重な裏話を教えてもらいました。日本から「AUS Forever in Our Shadow!」のメッセージは、いつか出したいね、という話はすでにあったそうです。3年前の大阪長居競技場でのオーストラリア戦で勝ったら出したい!という話になりかけたそうですが、正也さんが「親善試合で勝つのはリベンジじゃないし、アジアカップも控えてるので【決勝で会おうぜ】みたいなほうがいいと思う」って話して、みんな納得して、こんな幕をオーストラリア側のコンコースにだけに出したそうです。『See you against at final in the Asian Cup!!』(写真参照)そういう「心意気」があったのですね。でもそういう話はテレビ中継からだけでは伝わってきません。

正也さんは、「オーストラリアが嫌いで、ザマァ見ろ、なんて思っていないことをわかってほしい」と言っていました。そういう意味でも「ともにロシアへ」のメッセージも欲しかったなぁ。

正也さんとのきっかけ
で、そもそもボクみたいに(フランス、日韓、ブラジルW杯には行きましたが)テレビ観戦しながら文句言ってるサポーターと声を枯らしたコアな横断幕サポーターの正也さんがどうやって繋がったか、のお話をしておきましょう。

ボクはコピーライターとして、東日本大震災直後、サッカー日本代表の仕事を担当していた時期がありました。その時、ブラジルW杯のザックジャパンの時に書いたのが「新しい日本を見せよう。」というコピーです。これはキリンカップなどのバナーとして使っていただきました。このコピーは、キリンの広告コピーですが、ボクとしてはサッカー日本代表の横断幕の言葉のつもりで書きました。負けている時や疲れている時、選手やサポーターたちがこれを見て「よっしゃ!」と思ってもらえる言葉、のつもりです。

ブラジルW杯後、アギーレジャパンになった頃、新しいCMを制作しました。使える映像は撮影するのではなく、最新のキリンカップや親善試合などの試合映像をつなぐものです。編集して音楽を入れてコピーを入れて、一つ重大な問題にぶち当たりました。使っている映像にとある横断幕が映っているのです。たいていのものは事前に許可を得ているものの、これはまだ連絡できていない。確認が取れていない横断幕が背景に映っている。
CMの中のワンカット

それが「日本人として、仲間として俺等は此処に居る」という横断幕でした。無断でCMに使うわけには行きません。どうやってこの横断幕の持ち主、責任者を見つければいいか、スタッフはスタジオで途方に暮れかけました。その時、閃きました。

ブラジルW杯に行った時、ボクは多くのサポーター仲間と知り合うことができました。その人たちのネットワークで、あの横断幕の持ち主がわからないだろうか?スタジオから何人かにメッセージを送ったところ、すぐに返事がきました。「○○に聞けばわかるんじゃないか?」「あ、それウチのですw」「今は正也がリーダーとしてやってます」あっという間に持ち主がわかった。それがきっかけで正也さんと繋がることができ、許可を得ることができたのです。
先日のオーストラリア戦のゴール裏にもしっかり掲げられていた「日本人として、仲間として俺等は此処に居る」

幕を運ぶ
この言葉の横断幕は、正也さんが先輩たちから受け継いだもの。もう日本代表の試合を代々応援してきた汗と涙の染み込んだ横断幕なのでしょう。しかも世界中を飛び回って。スタジアムで見かけるこの横断幕。スタジアムでは見慣れているけど、これを運んでいるところを見たことある人は少ないと思います。大抵試合の数時間前にスタジアムに到着し、観客が入る前に一番最初に張られるものだから。

2014年 Arena das Dunasへの道 NATAL Brasil

この写真はブラジルW杯、ナタウでの日本vsギリシア戦のスタジアムまで歩いている時のもの。偶然、横断幕を運んでいるサポータを発見。こんなに大きな荷物を毎試合運んでいるんですね。(右を歩いている日の丸チョンマゲ甲冑の人は有名なツンさんです)やはり、試合に掲げられる横断幕には「魂」が込められているんだなぁ。

何年にも渡って先輩サポーターから引き継がれた「言葉」。顔見知りの相手サポーターへの挨拶、返事としての「言葉」。広告コピーなんだけど選手やサポーターに届けたい「言葉」。勇気をくれる言葉、励ます言葉、笑いを取る言葉。言葉にはそれぞれ目的があるけれど、正解はありません。スタジアムに掲げられる言葉にも、もちろん正解はない。広告コピーと一緒で、正解はない。「いいね!」という人もいれば、「そうかな?」という人もいる。だからこそ、一人でも多くの人に届く言葉を、考えて考えて選ぶ。これからも声援だけでは届かない、「スタジアムの言葉」を大事に見ていこうと思います。

柳西中学サッカー部


【柳西(リュウセイ)中学サッカー部の思い出】
45年くらい前に通っていた中学校。当時の木造の校舎はすでになく。だけどサッカー部で練習していた土のグラウンドはそこにありました。中学の同窓会に出席するため門司に帰りました。

卒業アルバムにサッカー部は写っていません。ボクらはサッカー部担当の先生の指導に納得できず、全員で退部したから。

なんでこんな写真?と思うでしょ。ボクにはサッカー部の思い出の川なんです。画面の左側がグラウンドで、シュートをふかすとネットを超えて向こうの家に当たって、この川にボールが落ちるんです。(その時はこんな白い柵はなかった)下級生の時はいつもこの川にボールを拾いに下りてました。当時はドブ川でした。このグラウンドでサッカーをしていたんだけど、志し半ばで退部してサッカーができなくなった。そのせいか。59才になったいまでもボールを蹴っている。そうだ、あの頃の続きをやっているんだなと思ったのです。

電通が悪い、のか?

サッカー日本代表が負けると、まず選手や監督が悪いという意見が飛び交う。その次にサッカー協会が悪い、となる。そしてその次に「電通」が悪い、という話になる。日本代表を愛するサッカーファンの批判は自由なんだけど、身内に火の粉が降りかかるとなると、黙ってはいられません。ボクは電通のOBであり、日本代表を愛する一人のファンとして、言いたいことがあります。

中東イラクとのアウェイの試合。イラクの政情不安から試合はイランで行われることになった。その試合時間が「もっと涼しい時間でやればいいのに」とファンはおっしゃる。確かにもっと遅い時間の方がまだ涼しいだろう。なぜまだ暑さの残るイランの夕方の試合だったのか。イランの夜は日本の深夜になってしまう。日本での試合放映時間は21時半から。「深夜の試合だと視聴率が悪く、CMの効果が減るから、電通が早い時間(暑い時間)での試合開始をごり押ししたんだ」と、どこから仕入れた話なのか知らないが、そうおっしゃる人がいる。(昔はゴールデンタイムと言っていた夕食後の時間帯も、今は逆にもっと遅い時間の方がテレビをみている確率が高かったりする)

じゃあ、お聞きしますが。日本代表の選手たちに暑くて苦しい時間に試合をさせて、みんな足が攣って日本が負けたらどうします? その日のCM視聴率が良かった場合と、W杯に出場できなくなった場合の損出と、どっちが得ですか、っちゅう話でしょ。電通もスポンサーも日本代表の試合が多い方がいいに決まってる。そのために、日本が不利になることを薦めますか?、っちゅう話です。(暑くて足が攣るのは、イランの選手も日本の選手も一緒でしょ。イランの選手の方が暑さに強いと言うのなら、それくらいのホームアドバンテージがあったっていい)

負けたら終わりかもしれない試合中継のGRP(CM視聴率)を獲得するために、そんな幼稚な手段をとると思いますか? そこまで電通はバカじゃない。もしスポンサーが「もっと視聴率の取れる時間帯に試合はできないのか?」と言ったとします。ボクだったら、1試合の視聴率で稼ぐより、W杯出場を決めてロシアで戦う試合まで中継できる方がどれだけ得か、を説得します。数字で実証することもできるでしょう。
千歩譲って、仮に電通が試合時間を決めたとしましょうか。だとしても、負けたこと、勝てなかったことを試合時間のせいにしているようじゃダメですよね。相手も同じ条件なんだから。

昔の話を一つ。日本人のほとんど誰もが知らなかった2011年の女子W杯。その、ドイツへの出発前。佐々木則夫監督となでしこJAPANの選手たちが、スポンサーであるKIRIN本社(当時原宿にあった)に挨拶に訪れた。日本のマスコミは誰もいなかった。その時、当時のキリンビールの社長とキリンビバレッジの社長は揃ってなでしこカラーのピンクのネクタイをして迎え、玄関まで見送った、というのです。(KIRINの人は両社長が揃うことは年に一回あるかないかだとおっしゃっていました)そんなスポンサーが、日本選手に不利になる時間帯の試合を強要するでしょうか?たった1試合のCM視聴率のためにそこまでアホなことをするでしょうか。ボクには到底そうは思えません。

2014年ブラジルW杯の時も同じような「言葉」がもっともらしくSNSで語られました。予選3連敗(実際は1分け2敗だけど、ボクにしてみりゃ3連敗)に終わった日本代表のキャンプ地のこと。日本代表は、サンパウロから離れたイトゥという町にキャンプ地を設定。聞くところによると、練習環境が良く、雑音から隔離されていて、選手の宿舎にバスタブがある部屋が作れる、ということなどからここが選ばれたそうです。しかし、結果は3連敗。選手、監督、協会の順番でバッシングされ、そして「電通が悪い」ときて「KIRINが悪い」とくる。

選手のコンディションが悪すぎた。それはキャンプ地が試合会場から遠すぎたからだ、という。ほっほー。ブラジルはどこへ行くにも遠いんだよっ!日本の国土の20倍あるんだよっ! それを「イトゥはブラジルのKIRINの工場が近くにある。だから、電通がごり押しして、イトゥに決めたんだ。悪いのは電通だ」そういうファンの知ったかぶりの想像が自慢げにSNSで語られていた。そういう論調の記事さえも見かけた。もう、笑っちゃいましたよ。

ブラジルKIRINの工場の近くにキャンプして、KIRINにとって何のメリットがあるの? 社員の家族がサイン会に行きやすいから? 試合に影響するほど環境が悪い場所でキャンプして、3試合敗退で終わるより、決勝トーナメントに行ってもらった方がいいに決まってるじゃん。むしろ、行ってもらわないと困るよ、だったと思います。何で電通とKIRINがキャンプ地を決めるかな。何のため? 疑わしいなら、そう思うなら、ちゃんとしたジャーナリストにちゃんと調べてもらえばいいじゃない。

電通が悪い、と言うことは、そのスポンサーであるKIRINが悪い、と言っているのと同じこと。だからボクは黙ってはいられません。かつて電通でKIRINのサッカー日本代表のコピーを書いた一人として、日本代表を愛する一人のファンとして。
なんかわからないことがあるたびに「電通が裏で糸を引いている」みたいに、わかったようなことを言う人がいます。電通はフリーメイソンか、っちゅうの。そんな力があるのなら、まず最初にハリルホジッチを解任しますよ、ボクだったら。
(これはすべて中村禎、個人の意見です)
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写真は原宿のKIRIN本社ロビーに飾られていたものです。下にある「なでしこジャパン」の色紙に2011年7月21日とあるので、ワールドカップで優勝した後に挨拶に訪れたのでしょう。ぜんぜんマイナーだった女子サッカーを支援し続けてきたことは選手たちが一番よく知っています。#7安藤梢選手の「キリン大好き!」という言葉は正直な気持ちだと思います。
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【友人の書き込み】
(前略)ここからが本題なんですが、来年のワールドカップ、中村さんのチカラで、電通やキリンを動かしキックオフ時間を選手ファーストの時間にするようにして頂けないでしょうか?電通やキリンからの要請があれば、不可解なキックオフ時間問題の解決ができるのでは無いかと思います。ロシアワールドカップで日本が優勝するために是非、お願いします。
【それに対する中村 禎 の書き込み】
 できません。それは電通にもスポンサーにもできることではないのです。できるとすれば、サポーターたちの「署名・お願い」としてサッカー協会に届けることくらいだと思います。W杯予選は、フェアに行うためにホーム&アウェイで試合をするんです。アウェイの試合の運営に、たかが広告代理店(しかもアウェイの)が口出せるわけがないのです。だからボクはFIFAの会長になりたいのです(具体的努力はまだ何もしていませんがw)
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これはボクのフェイスブックに書き込んだ記事です。とても多くの人の「いいね!」が得られたので、ここに記録しておきます。

長友さんに会いたくて


長友さんに会いたくて、クリネタ編集団に入りました。ボクは「稀代(ケッタイ)」というBARを紹介するページを担当していたのですが、その取材を長友さんと一緒に行けることが何よりの楽しみでした。長友さんの周りには笑顔が伝染します。「まぁ、ええやないの」いつもニコニコの長友さんでしたが、何かの話の時、ツボにはまったのか、声も出ないくらい、お腹が痛いと言わんばかりに笑ったこともありました。子どもみたいだった。

「タダシ!」と呼ばれるまでにはなれませんでしたが、「何やったかいな」ではなく、「中村クン!」と呼ばれるくらいの距離には近づけたのではないかと思います。(「何ゆうてんのん、忘れるわけないやないのw!」という声が聞きたいなぁ)

2013年の冬、目黒のモンドバーでの取材のとき、長友さんと目が合った瞬間のことを、今でも憶えています。こんなくだりです。

(前略)・・・そしてグラス。「山崎ハイボールには薄いグラス使います。そのほうが『運びがいい』から」ん!運びがいい?耳新しい言葉を聞いた。カウンターに座っていた長友編集長と私は思わず顔を見合わせ「こりゃメモ!メモ!」と目で合図を送り合った。(後略)

長友さん、忘れません。ありがとうございました。

長友啓典さんの話
長友啓典さんの声

8760時間の手帳 2017


2017 年 あけましておめでとうございます
新しい『ぶ厚い手帳』に、あれこれ書いていきます。
新しい365日、8,760時間を大切に使うために。

みなさまにとって、中村家にとって、
いい年でありますように。
今年も仲良く、よろしくお願いします。

エコヒイキ・マーケティング


お礼を言うのが遅くなってしまいました。九州パンケーキさんから、これから新発売される商品のサンプルを頂いちゃいました。

九州パンケーキマーマレード・甘夏(熊本産)
九州パンケーキジャム・しらぬいみかん(熊本産)
九州パンケーキジャム・晩白柚(ばんぺいゆ)(熊本産)
九州パンケーキシロップ・博多いちじくシロップ(福岡産)
九州パンケーキシロップ・桜島こみかんシロップ(鹿児島産)

ラベルの裏に小さく書かれた「どこどこ産」という地名がみんな九州で、九州出身としてはどうしても応援したくなってしまう。九州の農家の畑に九州の太陽の光を浴びて育った果実を思いながらいただきます。

これからの商品は、性能の差だけじゃなく、「応援する」といった気持ちで売れていくんじゃないかと思います。性能がいいから買う、だけじゃなく、好きだから買う。その「商品」が好きなだけじゃなく、その「企業」が好きだから買う。応援したいから買う。ファンが贔屓のチームを応援するあの感じ。選挙で投票しようとするあの感じ。エコヒイキ・マーケティングですw

ありがとうございます。いただきます。株式会社一平の村岡 浩司さま、桑畑宣孝さま、 長谷川実里さま。
(注:マーマレードは食べかけです)

おでん代

ひょんなことからボクより20才も年上の、しかも同じ福岡県北九州市出身の電通OBの方とfacebookで知り合いになれた。その方は、鬼十則をお書きになった吉田秀雄社長の時代に電通社員だった。その方から吉田社長の話を聞くことができました。

「吉田秀雄社長は社員との”絆”を非常に大切にした人です。私は昭和34年に電通に入社し数年後に電通の月額取扱高30億円を達成した時に、全社員に金一封をくれました。表書きに「おでん代」と書かれており、封筒の中には『ご家族でおでんを食べお楽しみ下さい』的なことが書かれていました。歴代の社長の中でこの様な社員に対する心遣いをする社長は吉田社長だけです。まさしく全社員との”絆”です」

「おでん代」とは、なんとも粋な言葉のチョイス。金一封の中に「言葉」を残す心配り。さすが、我ら電通の社長だ!とOBの端くれとして、誇らしく思えました。吉田社長は福岡県北九州市小倉出身、出会ったその大先輩も小倉出身、電通途中入社のボクは、となり町の門司出身。なんとも不思議な縁を感じます。鬼十則を話題にするマスコミも、こんな吉田社長の人となりも、しっかり取材してほしいものだと思います。

追記:そしてこの話は、残業問題で騒がれた時に、石井社長と中本副社長にもメールで伝えたということです。電通を愛するOBとして。