名前の天才⑤俺の考え

俺の考え

名前の天才 05

「俺の考え」

本のタイトルです。本田宗一郎さんが「放言暴言」というテーマで寄稿したものをまとめた本。初めは、なんとまあ乱暴なタイトルをつけたものだなぁと思ったのですが、前書きを読むと、ご本人の意思ではないらしい。編集者に乗せられ、その気になって「ま、いっか」と思ったそうです。本田さんの肉声で率直に仕事のエッセンスを語るエッセイは、とても痛快で、読んでいるこっちが元気になる文章でした。本田宗一郎という名前と、タキシード姿の表紙の挿し絵、そしてその奔放な内容を読むと、「俺の考え」という題名に、ちっとも偉そうな素振りはなく「だって、そう思うんだもん」という姿勢が見えてきて、実に気持ちのいい題名だなと思えてきます。天才の「ま、いっか」は、さすがのものですね。(コピーライター)

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昔、毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。前書きにはたしかに本田宗一郎さんも「エラそうなタイトルだからどうなんだろう」と思っていたそうですが、編集者に押し切られた、と書いてあった。たしかに、このタイトルのほうが売れそうだし、手に取りそう。やはり、自分で自分の名前をつけるより、客観的な第三者の視点も大事なんだなぁ。

関連:本田宗一郎さんのビル

名前の天才④都忘れ

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名前の天才 04

「都忘れ」

通勤途中の道端の、緑が鮮やかに見える季節になってきました。相変わらず名前を覚えきれない僕なんですが、憶えている花の名前があるんです。紫色の小さな花を咲かせる野菊「都忘れ」です。 昔、順徳上皇という貴族が佐渡に流されていたとき、草でぼうぼうになった庭に一茎の野菊が紫色に咲いているのを見つけ、「紫といえば京の都を代表する美しい色。今日からはこの花によって都のことを忘れることができる」と言ったのに由来するそうです。 ほんとに忘れる気があるのなら「都」なんて字は使わなきゃいいじゃん、と(意地悪く)思うので、側近が付けた名前かも。ちいさなちいさな、紫色の野春菊の名前に、日本人の切ない気持ちが込められている。忘れられない名前になっちゃいました。 (コピーライター)
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毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。これは新緑の5月頃の掲載だったかと思います。

名前の天才③ポリ100

バカポリ富津

名前の天才03

「ポリ100」 

読み方は「ポリヒャク」です。これ、友人の草サッカーチームの名前なんですね。F.C.ポリ100。ヘンな名前でしょ。 サッカーのユニフォームは、たいていポリエステル100%なんです。どうやらそこからきているらしい。強いんだか弱いんだかわからいところが、妙に不気味なカンジを漂わせています。 「ポリ100」の「100」がいいんです、男らしくて。なんか「完璧!」って言っているカンジで。それに「ポリ」という、頼りなさげでユーモラスな音感が、うまくミックスされていて、かなりのセンスだと思います。 ユニフォームもユーゴ代表や、スウェーデン代表で揃えている。並のセンスでは、とうてい思いつかない渋いチョイス。う〜む、恐るべし「ポリ100」です。 (コピーライター)

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ポリ100のスローガンは「健康のためなら死んでもいい」です。背中にスポンサー名のように「面白い恋人」と入れたのも、たしか吉本興業より先だったと思います。たしかにぶっ飛んでます。しかしプレーは紳士です。負けるとメチャメチャ口惜しい、勝つとメチャメチャうれしい。そんな相手なんだけど、試合後はいつも笑顔になれるチームです。

名前の天才②しりあがり寿

shiriagari

名前の天才 02

「しりあがり寿」

「しりあがり寿」というおチャメな名前。売れっ子漫画家のペンネームなんですが、初めて目にしたとき、なんとも心地よい衝撃を受けたことを覚えています。奇をてらった様子もなく、淡々としたユーモラスな人柄ってカンジ。

「しりあがり」と聞くと僕は、子供の頃の鉄棒の技を思い出すのですが、企画意図は「なんだか上り調子なカンジがいいと思って」だそうです。(彼は昔、某企業の宣伝部にいて、一緒に仕事をしたことがあるんです)そこに「寿」という、本名にもある一文字を入れ、さりげなく本人のキャラクターをほぼ完璧に表現しています。 

 自分で自分の名前を付けるって、実に頃合いが難しい。自己満足で終わりそうで怖いですしね。僕は「ペンネームのいらない職業」でホント助かったな、と思います。(コピーライター)

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最初にこの名前を目にしたのはたしか「ホットドッグプレス」だったと思います。小さな挿絵とこの名前。その時はまさかクライアントとコピーライターとしてお仕事する人だとは思いもしませんでした。Mさんはビールの仕事の海外ロケに行ったとき、当時まだ戦争中の携帯電話のようなデカイ電話機で、スーツ姿で片膝付いた姿勢で、日本と電話していました。その写真があるのです。その電話は会社ではなく雑誌社との電話だったらしく、締切のことで話していたようです。

毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。

名前の天才①ニューライン

もう10年以上前になるでしょうか。毎日新聞に「名前の天才」という小さなコラムを書かせていただいていました。その当時の原稿がでてきたので、これも「書いたコピー」として記録に残しておこうと思います。

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名前の天才 01

「ニューライン」

 ここ十何年ほど通っている理髪店がありまして。短髪ならココ!と何人にも紹介している、腕前の確かなお店、理容「ニューライン」。限りなく普通っぽくて、どことなく頑固な職人芸を匂わせつつ、決しておしゃれすぎずちゃらちゃらもせず、かつ男らしくもある。絶妙なポジションだと思います。短く刈り込んだ頭がゴルフ場のグリーンの起伏のような美しいラインを出している、あのカンジ。 コピーライターがネーミングを考えるとき、英語の辞書などをひっぱり出して、言葉や理屈をこねくり回してしまいがち。しかしこの「ニューライン」という名前には「えいやっ!」と大将が決めた潔さのようなものを感じます。短くしたアタマをなでながら、店を出て、ああニューラインだぁと思う瞬間も、気に入っています。(コピーライター)

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newline&me 最後の日。オヤジさんとボク

もうこの「ニューライン」は閉店してしまいました。オヤジさんが高齢で「もうしんどいわ」と多くの常連客におしまれつつ閉店してしまいました。ボクはここに20年以上通っていましたかね。ニューラインに通っていた「短髪系オヤジ」たちは、床屋難民になってしまったのでした。

名前の天才①ニューライン
名前の天才②しりあがり寿
名前の天才③ポリ100
名前の天才④都忘れ
名前の天才⑤俺の考え
名前の天才⑥瓶覗
名前の天才⑦やや重

…親のほうこそ金かかる。

au-gakusei

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学生さんは金かかる。
親のほうこそ金かかる。

ガク割は、オヤ割でもある。
2000年  au by  KDDI
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「学生さんは金がない」というコピーを最初に書いていました。中学入学から大学卒業まで「半額」という思い切ったauだけのサービスです。こりゃauにしない理由はないだろう、知らせるだけでOKだろうと思っていた。そんなある日、東横線の電車の中。中学生みたいな男子生徒が数人乗っていた。ゲームをしたりケータイをいじったりしている。ボクはよくやるのですが、「観察」しながら、その人たちと頭の中で「対話」してみるのです。ターゲットからヒントをもらうために。

「ねえ、学生さん?そのケータイ、ドコモの?」
「そうだよ」
「なんでauにしないの?」
「デザインがダサイじゃん」
(たしかに当時はドコモのほうがデザインいいものが多かった)
「でもさ、こんど学生半額ってサービス始まるんだけど、どうよ?
中学から大学卒業まで半額なんだよ?」
「半額?安っ!でも半分しかつながらなかったりして。アハハ。」
「そんなこたぁないよ。半額だからauに変えたほうがよくない?」
「でもウチは親もドコモだから」
「僕も電話代は親が払ってるし」
「!」

そうか!学割半額といっても学生向けに広告するだけじゃなく、お金を払っている親に向けた広告も必要なんだ!と実物の中学生を見ていて気づいたわけです。調べてみると、高校生は7割以上、大学生でも5割以上は親の援助に頼っていることがわかりました。そこで「親のほうこそ金かかる」とauは親の財布の味方でもある、と新聞15dを打ったのでした。

一人勝ちをだまって…

auひとり勝ち合併1ヶ月後 auの新聞15dです

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一人勝ちをだまって
見てるわけにはいかない。

オモシロイほうのケータイ!

2000年  au by  KDDI
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auのスタートです。当時のケータイはドコモの独壇場でした。というより、auのケータイが正直ダサかった。デザインがダサダサで、ボクらも「これは欲しくない」と思っていました。スタッフに支給されたauケータイは営業の人間以外はほとんど使っていなかったくらい。これでドコモと闘うために、佐々木隊長はクライアントに厳しい注文を出しました。まず、全国にあるショップの看板をオレンジ色のこのロゴで揃えること。当時は赤い看板で、ドコモと一緒じゃん、でした。とにかくいろんな機種のある携帯電話。auはどーする?となったとき、「オモシロイほうのケータイ!」という方向を打ち出すことにしました。ドコモがどっちの方向を向いてるかは関係なく、ウチらはこっちに行きますという宣言です。携帯電話を「ケータイ」と広告で表記したのも初めてだと思います。(ユーザーはすでに使っていたかもしれませんが)最後につけた「!」がいいと思っています。千代の富士が引退の時「・・・体力の限界!・・・」と歯を噛みしめたときのあのカンジです。「こっちを目指します!」という気持ちと、「こっちのほうが楽しいよ」という思いを込めた「!」でした。

それとさりげなく、「学割半額」も始まっていますね。「学生さんは金がない」というコピーもちゃっかり入っています。

「一人勝ちをだまって見てるわけにはいかない。」というコピーは、鼻息荒く言うのではなく、クールにのんびり静かに言うカンジにしたかった。だから「黙って」を漢字にしなかったんじゃなかったかと思います。あの時の気分で「黙る」を漢字にすると、ムキになっているように思えたんじゃないかな。たぶん。

「一人勝ちをだまって見てるわけにはいかない。」・・・(平静)

「一人勝ちを黙って見てるわけにはいかない。」・・・(ムキ!)

ま、これはボクの個人的な感覚ですから、どっちが正しいとかではありません。

日本はまだケガをしたまま。

日本はまだケガをしたまま
2005年1月31日 日経新聞夕刊

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日本はまだ、ケガをしたまま。

2005年  三宅島災害・東京ボランティア支援センター
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三宅島の全島避難指示が出されてから約4年半。
明日2月1日、ようやく島へ戻ることができるようになります。
依然として一部地域では火山性ガスの影響があり
まだ安全が確保された状況ではありませんが
ご支援いただいたみなさまへ
謹んでご報告をさせていただきます。

10年前、阪神淡路大震災で被災された方々も。
昨年の台風被害で被災された方々も。
新潟中越地震で被災された方々も。
スマトラ沖地震で被災された方々も。
元の生活を取り戻すためには、
気の遠くなるほどの長い時間がかかるものです。
私たちはこれからも支援活動を続けてまいります。
どうかみなさま、ニュースの扱いが小さくなっても
心のどこかで、ご支援いただけると心強く思います。
災害は自然のチカラですが、
復興は人間のチカラなのですから。

三宅島災害・東京ボランティア支援センター
代表:山崎美貴子
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CD:白土謙二  AD:小塚重信  C:中村禎

もしボクが被災者だったとしたら、何が一番イヤだろう? と考えました。日に日に新聞のニュースの扱いが小さくなっていくことに、心細さを感じるんじゃないか、と思いました。忘れられてしまうことが一番怖いと思ったのです。みんながみんな、被災地を毎日支援することはできないでしょう。でも頭の片隅にでも、まだ復興に汗を流している人たちのことを忘れてほしくない。そんな気持ちで書きました。ボク自身も忘れかけていました。いろんな自然災害が次々と起こり、最近の出来事に目を奪われるけれど、ニュースに取り上げられなくても、まだ復興の途中なんだ、と。

日本をひとりの「身体」だとすると、いろんな場所にケガをしてて、それがまだ全然治っていない。そんな状態だぞと。痛みはだいぶ無くなったけど、傷跡はまだジュクジュクしたままだぞと。

ボディコピーの「災害は自然のチカラですが、復興は人間のチカラなのですから。」の最後の一行はキャッチ案のひとつでした。たくさんキャッチを書いて捨て難いものをボディコピーのアタマや締めに持ってくる。ボディコピーのある一行が心に刺されば、ボディコピーはそれでいい。だからキャッチはたくさん書くのです。

この広告は、日経新聞と電通が企画をして掲載しました。「こんな広告するお金があるなら被災地に送れ」という声を防止するために、その一行を入れてくださいと言われたのです。広告に金を使うことがそんなに意味のないことか? 支援を集めるためにも、もう一度国民に向けて「忘れないで!」と叫ぶことに意味がないというのか?と、ちょっとムッとしました。(ボランティア支援センターの人にムッとしたのではなく、そういうイチャモンを付ける人がいることにムッとしたのです)

もっとムッとしたことは、この広告がコピー年鑑の一次審査で落とされたことです。コピー年鑑に掲載してもらえなかった。ボクはいいコピーだと思っています。だからボクはここに残します。

ジョニー前(下書き)

下書きです。「ジョニーって誰よ?」の前は、実名でドキュメンタリーにするつもりでした。当時発行されたビジネス誌「月刊経営塾8月号」の「深層海流」に書かれた記事を元にKDDI設立に至るまでの過程を、登場人物の口調などはアレンジして書いてみた。それが元でした。どんなものになるか、一度書いてみて、プリントアウトしてみて、読んでみる。そうすると「もっとこうしたほうがいい」とか「これじゃダメだ」が見えてくる。自分で書いた文章にツッコミを入れるわけです。セリフ回しは想像です。でも、誰と誰が話したか、そこでどんなことが決まったか、は事実。「早い話の男たち」の話です。

KDDIコピー1KDDIコピー2KDDIコピー3KDDIコピー4KDDIコピー5

ジョニー三部作
「ジョニーって誰よ?」
ジョニーの正体
③ジョニー前(下書き)

ジョニーの正体

こんなコピーを書きました「ジョニーって誰よ?」の裏話です。

KDDIコピー1最初は実名でドキュメンタリーにするつもりでした

「日経の30段があるんですけど」と営業がいうのです。正直なところ「まだあんの?」というくらいの出稿量でした。15段でやったオレンジの白抜きコピードカドカを30段でやるか?でもそれは乱暴すぎだろう。じゃあ牛尾次朗さんや稲盛和夫さん、ソニーの盛田昭夫さんたちの設立までのドキュメンタリーを載せればいいんじゃないか、と提案しました。ある記事で読んだことがあり、その設立動機やストーリーがすばらしくて、それを知らせたらどうかと思ったのです。そしたら佐々木さんが「それいいね。じゃ中村、書いて」「え?ボクが書くんですか?」てっきりすでにある記事を載せるだけのつもりだったので、ヤバイと思いました。

長いボディコピーを書いてもたぶん読まれない。じゃあ脚本のような会話形式にしよう。そして全部読まない人のために、気になるコピーだけ大きくして、そこだけを見た人も「KDDIってオモシロそうね」と記憶してもらおうと考えました。ボクは長いボディコピーは読まれない前提で広告をつくります。読まれなくても最低限伝えなければいけない。そして、読んでくれた人には、読んでよかったと思えるサービスをしたい。

最初は全部実名で書きました。ところが牛尾さんたちから「実名は恥ずかしいよ」と言われたので「配役」を設定することにしました。ちょうどその頃、めったに本を読まないボクが人の薦めで読んでいた本がありました。

2039年の真実

落合信彦の『2039年の真実』J.F.ケネディ暗殺にマフィアが関わっていたという、ほぼ実話。めちゃめちゃオモシロイ話でした。その影響でマフィアの親分と子分の会話のようになったのです。それとイタズラというか『隠し絵』みたいなことをしようと考えた。ある人にしかわからないメッセージを入れ込もう、と。それが「ジョニー」「ジェシー」だったのです。

マッドマックス

1979年公開の映画『マッドマックス』 メル・ギブソンの出世作です。暴走族と対決する近未来の特殊警察の話。暴走族のボスの名前が「トゥーカッター」、その優秀な一番弟子が「ババ」一番のできそこないが「ジョニー」でした。主人公の特殊警察「マックス」がメル・ギブソン。ある日、「トゥーカッター」たちに狙われることになるマックスの妻が「ジェシー」なのです。

最初は登場人物の名前だけあればいいか、と思っていたのですが、だんだん面白くなってきて「なんとかセリフも入れられないだろうか」と思い始めました。コピーライターの佐倉康彦クンとサン・アドの哲ちゃんとボクは、このマッドマックスの吹き替えが大好きで、暗記したセリフがいくつもありました。

マックスの妻ジェシーが息子のスプローグ(まだ2才くらい)とドライブインでソフトクリームを買っていたとき、トゥーカッターたち暴走族に絡まれます。ジェシーは息子を守るために気丈にふるまう。それをからかう暴走族のボス、トゥーカッターのセリフです。そのしゃべり方(日本語)がまたいいんです。

トゥーカッターこの人が名言「そりゃぁねぇだろうジェシー」のトゥーカッターです

『ジェシー、そりゃあ、ねぇだろう、ジェシーw お前さんにはユーモアのセンスがねえな。そうか、美人にはユーモアなんていらねえのかもしれねぇな。ジェシー、ホント食べちまいてぇくらいだぁw』(だったかな)とにかく「そりゃ、ねぇだろう、ジェシー」を入れたかった。この掲載を見たふたりに「あれ、禎さんがやったんだ」とわかってもらえる暗号として。クライアントからは「なんでジョニーなんですか? このジェシーって必要ですか」と言われましたが、そこはなんとか切り抜けました。で、読んだ人がたぶんみんな「ジョニーって誰よ?」と思うと思ったので、それをタイトルにしました。

ジョニー初めまして オレがジョニーです

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ほぼ実録「早い話の男たち」という題名でドキュメンタリーにするつもりでした。当時発行されたビジネス誌「月刊経営塾8月号」の「深層海流」に書かれた記事を元にKDDI設立に至るまでの過程を、登場人物の口調などはアレンジして書いてみた。それが元でした。その下書きがまだ残ってたんですが、見ます?(近日公開か?)

ジョニー三部作
「ジョニーって誰よ?」
②ジョニーの正体
ジョニー前(下書き)