吉田△

kamohura(カモフラ柄の色が出にくかったのでカラー調整した写真です)

吉田カバンのポーター。タンカーというシリーズが30周年ということでカモフラージュ柄の限定商品を発売していました。ここ最近とくに、カモフラージュ柄に目が行ってしまうボクとしては見逃すことはできません。カモフラージュ柄なので目立ってはいけない柄なんだろうけど、ボクの目には「あ、カモフラだ!」とつい欲しくなってしまう。ポーターのタンカーというシリーズはボクもいくつか愛用しています。同じものを2回買ったりしたこともある。もともと「限定商品」という言葉にも弱いのですが、カモフラージュ柄(とくに黒とグレーの)に弱いんです。

で、今回お話したいのはボクの趣向の話ではなく、吉田カバン店さんの企業姿勢に感銘を受けた、という話です。

http://www.yoshidakaban.com/tanker30th.html

そのカモフラ柄の商品カタログのページを見ていたら、それぞれのバッグのディテールの拡大写真が載っていて、とても丁寧なカタログになっている。そこになんと、「*経年変化サンプル」と題して、古くなったときの写真もアップしているのです。ふつう商品カタログや広告では新品の一番キレイな状態で見せるのがいままでの常識だったと思います。しかし、吉田カバン店は違う。経年変化してクタッとしたときの写真も堂々と見せて、「ウチの商品は長く使っていただきたい商品です」と胸を張って言っている。実にカッコイイ。(吉田サンカッケー、です)こういうところに「企業姿勢」が見えるのですね。いいことしか言わない企業広告を打つのではなく、企業の本心はこういう細部に現れるのだと思いました。

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「ただ古くなるんじゃない。使い込んだ味が出るんです、ウチの商品は」という商品へのプライドを感じます。商品のWEBカタログに「*経年変化サンプル」を載せようとした決断が、一番の企業広告になっている。もう一個、買っちゃおうかな。

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■一番右上が最初に買ったウエストバッグ。MTBのダウンヒルの時などに使って転んで、ボタンの塗装が剥げてぼろぼろ。いまは自転車のメンテナンス用具入れにしています。
■その下が同じもの、2代目です。旅行などではポーチとして使い、ふだんは通勤バッグの中の貴重品入れとして使っています。
■真ん中の正方形みたいなバッグ。これも旅先用の小物入れとして。
■左の黒いドキュメントケース。これはタンカーシリーズではありませんが、iPad入れとして使っています。
■右下が2WAY WAIST BAG。これ、けっこういろいろ入るんです。500mlのペットボトルも折り畳み傘も。旅先には便利です。
■左下。これが問題の黒のカモフラです。その右のオリーブ色と同じカタチです。どうするのか?と妻に言われました。カモフラはふだん使いに。オリーブ色はMTBとかに乗って汗かいたりする時専用にと。

 

 

名も知らぬエキスたち

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今日ご紹介する商品は、デサント社のパワーコンポ、ウォーミング・マッサージ・ジェル。「ケガをしない楽しいフットボールを」がモットーの我がFCバッカーノで、ほぼ最年長であるボクが愛用しているジェルです。練習前に脹ら脛、アキレス腱、ヒザの裏、太腿の裏にこのジェルを塗りながらマッサージします。少しすると筋肉がぽかぽかしてくる。きっと「トウガラシエキス」が温めてくれているのだと思います。冬場は十分アップをするように気をつけていますが、これを塗ることで早く筋肉の温度を上げることができる。きっと痙攣などを回避できるんじゃないかなと信じて塗っています。名も知らぬエキスたちに助けられて、フットボールライフが楽しめるわけです。感謝です。

水、エタノール、トウガラシエキス、香料、グリセリン、BG、褐藻エキス、クレマティスエキス、セイヨウナツユキソウ花エキス、スギナエキス、スギナエキス、セイヨウキズタエキス、マテチャ葉エキス、コーヒー種子エキス、セチルヒドロキシエチルセルロース、PEG-60アーモンド脂肪酸グリセリル、TEA、メチルパラベン、ブチルパラベン・・・こういう成分を全部書き出すことで、聞いたことのない成分に感謝の意を示します。

注:写真のバックはFCバッカーノのファーストユニフォームのパンツ。エンブレムのライオンは生ビールを飲んでいます。

大阪の日曜日

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この着ぐるみが誰か、すぐわかった自分がうれしかった。仁鶴師匠とめだか師匠でしょ。大阪出張のついでに、なんばグランド花月の公演を予約して見に行った。日曜の朝、9:45開演。中田カウス・ボタン、月亭八方、Wヤング、ティーアップ、中川家、ピース。そして新喜劇は清水けんじ、Mr.オクレ、末成由美、未知やすえ他。

お笑いの芸人さんたちをボクは尊敬している。彼らは自分でネタを考え(企画)、練習して(リハーサル)、舞台やテレビで長いセリフを一個も噛まずにしゃべり倒す(演じる)。映画でいうと、原作・脚本・演出・出演を全部自分たちでこなしてしまう人たちだ。歌手みたいなのがドラマでセリフをしゃべるのとはわけが違う。テレビでMCなんかやっている姿より、やっぱり舞台でネタをやっているお笑い芸人さんを見たい。

1時間くらい漫才、落語があって、一度緞帳が降りていよいよ新喜劇。吉本新喜劇は九州出身のボクにも親しみがあった。毎週土曜日、お昼の1時。学校から帰って来て、マルタイラーメンをつくって、テレビで新喜劇を見る。土曜日のゴールデンパターンだった。その頃の新喜劇では、岡八郎、平三平、桑原カズオ、池乃めだか、船場太郎、原哲夫、坂本スミ子?といった名前をまだ覚えている。

nammba桑原和男さん!

♪パララパッパラ、パララパッパラ、パララパッパラッぴっ! フンワカパッパ、フンワカ、フンワカ、フンワカパッパッパァ〜というおなじみのメロディに泣けてくるぅ。子どもの頃、土曜のお昼に聞いていたメロディの本物が劇場に流れる。(後で聞いた話、これは吉本新喜劇オリジナルではなく、外国の曲だそうだ。ちょっとガッカリ)お決まりのパターンで笑いをとる伝統芸。満喫しました。見に行ってうれしくなったのは、来ている観客たちを見られたこと。ボクのとなりの席は小学生くらいの女の子。おとん、おかんと一緒に見に来ていた。鋭いツッコミにケケケケッとうれしそうに笑っている。子どもの頃からここでお笑いを生で見られて、いいなぁ。将来は笑いに厳しくなるのかな。

舞台が終わってロビーに降りていくと、次の開演を待つ人の長蛇の列。みんな大阪の地元の兄さん、姉さん、おっちゃん、おばちゃん、そしてお子たち。日曜の午前中の大阪なんば。こういう文化のなかで育つって、いいなぁ。ボクは東京からきた「よそ者」なんだけど、九州で土曜の吉本新喜劇を見ていたよしみで、半分「身内」のような気持ちで劇場の外に出た。そして、「わなか」というたこ焼き屋に並んで、缶ビールとたこ焼きを食べながら、ひとりニコニコしていた。しあわせな大阪の日曜日だった。

wanaka-takoyaki女の子同士、カップル、ご夫婦、ひとりの兄ちゃん、女の子ひとり。いろんな人たちがたこ焼きを食べている大阪の日曜日

 

8年目の11月22日

1122青銅

8年目はブロンズかぁ。結婚8年目は青銅婚式。今年もポストにこの手書きのハガキが届きました。結婚式を挙げた牧師さんが毎年結婚記念日に送ってくださるハガキです。
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「人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ。愛は唯一理性的な行為なんだ」(ミッチ・アルボム「モリー先生との火曜日」より) 愛を出しあい、受け入れあって。幸せな家庭にしていって下さい。神様の平安をお祈りします。

結婚記念日(青銅婚式・8年)おめでとうございます。  
2013年11月22日
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ムツゴロウさんにちょっと似た、もうかなりのご高齢の牧師さん。あの方がこうして式を挙げた夫婦に一枚一枚色鉛筆で色を塗り、手書きの宛名を書き、投函してくださる。こうした手書きのハガキには、書く人が送る人を想う時間が凝縮されている。その凝縮された『時間』が郵便受けに届く。だから感動するんだな。たった一枚の紙切れが遠くから運ばれてくる。一瞬で飛んでくるメールとは、やっぱり違うんだな。(デジタルでもこの「想い」を送れないだろうか・・・)

結婚記念日を忘れないようにするために、語呂のいいこの日にしたのですが、世間的にも商業的にも「いい夫婦の日」と騒がれるようになってきました。こどもや自分たちの誕生日をお祝いするように、『夫婦』の誕生日でもある結婚記念日は大事にしたほうがエエですね。11月22日、今日は外食でもしましょうか。(一回目の結婚の時にはそういうことまで思う気持ちが足りなかったんだろうなぁ・・・と、しみじみ)

追伸:7年目は銅婚式でした。「銅」と「青銅」はどう違うの?と思って軽く調べたら、「青銅」は「銅」に「錫」を混ぜたものだそうです。「銅」より強いのかな、たぶん。錆びないようにしなくちゃね。

22才の先生

テックアカデミー

テックアカデミーという社会人のためのITスクールに行ってきました。「初めてのWordPress講座」19:00〜22:00の3時間を二日間。昨年WordPressでブログを始めて、もっとこれを活用したいと思い、本で勉強しようと立ち読みはしたのですが、分厚くてむずかしそう。ここは例の「自分への投資」ということで、スクールに申し込んでみました。

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講師は慶応義塾大学環境情報学部在席の鶴田浩之さん。すでにLabit.incという会社のfounderで取締役。大学生向けのソーシャルアプリ「すごい時間割」など、各種Webサービス・スマートフォンアプリの企画・開発を手掛ける22才。

す ごいヤツはもう、就職活動なんかしないんじゃないだろうか・・・優秀な脳ミソは自分でどんどん起業する・・・となると、企業は優秀な学生が獲れない・・・ 深刻な人材不足・・・。そういう時代になるんじゃないか、と根拠なく想像してしまいました。くっそー、この時代に大学生だったら楽しかっただろうになぁ、 と思う反面、それはそれでタイヘンだろうし、俺たちの学生時代も今ほどの「便利」はなくてもその時代の「豊か」はあったゼ、とも言いたい。負け惜しみに聞 こえるかもしれないけど。天才的な学生の脳ミソにはついていけなくても、脳ミソの柔軟性だけは失わないようにするゼ、と22才の先生に教わりながら56才は思いました。

というわけで、いま「WordPress」を勉強し直しているので、「分厚い手帳」の仕様もしばらく試行錯誤しますが、よろしくお願いいたします。

西村さんを追いかけて

西村さんからの年賀状西村佳也さんからの年賀状より

初めて西村佳也さんの名前を見つけたのは、磯子図書館のコピー年鑑だった。コピーライターになりたくて勉強していた大学生の頃、図書館に一冊だけ1975年のコピー年鑑があった。そこでウールマークの広告を見て西村さんの名前を知った。「さくさくさく、ぱちん。」国際羊毛事務局の仕事だった。そのクレジットには「AD:中島祥文 C:西村佳也  制作:JWトンプソン」と書いてあった。だから、J.W.トンプソンの入社試験を受けた。

1975コピー年鑑さくさくさく、ぱちん。苦しい就職活動の末、見事トンプソンに就職が決まった。入社して間もなく、西村さんに早く会いたくて、先輩に訪ねた。
「コピーライターの西村佳也さんは何ルームにいらっしゃるんですか?」
するとその先輩は
「西村さんは、フリーだよ。トンプソンにはいないよ」
いない?え?フリーって何ですか?コピー年鑑のクレジットに名前があって、最後に会社名J.W.トンプソンとあったから、てっきりみんなトンプソンの人だと思っていた・・・。

結局トンプソンは1年ちょっとで退社することになる。転局試験を受けるべく準備(作戦A・作戦B)していたが、サン・アドのコピーライター募集に運良く受かったから。サン・アドの一員になれるということは、OBの方々とも近づいたことになる。西村佳也さんもサン・アドのOBだ。いつか会えるかもしれない。しかし、なかなか会えなかった。

電通に移籍して、30代後半の頃。代官山の今は亡き「MORGANS」というBARによく行くようになる。そこのママ、多映子さんに「電通コピーライター中村禎」の名刺を渡すと
「あら、コピーライターなのね
 西村さんも時々いらっしゃるわよ」と。
「西村さんって、まさかあの西村佳也さんですか!」

ある夜、ついに西村佳也さんにお会いすることができた。

自己紹介すると、
「知ってるよ、仲畑のとこの中村禎だろ」
と笑いながら頭をはたかれた。うれしかった。サンアドのOBです、ということと、西村さんを追いかけてトンプソンに行ったのにいなかったじゃないですかという話を、やっと伝えることができた。

以来西村さんとは中目黒の「わかな」でもお会いすることもあったりして、仲良くさせていただいている。KDDIの仕事でグランプリを獲ったときもMORGANSで
「良かったなぁ。中村、良かったなぁ」
とニコニコしながら何回も頭をはたかれた。うれしかった。

その西村佳也さんが東京コピーライターズクラブのホール・オブ・フェーム、コピーライターの殿堂入りされた。授賞式で久しぶりにお会いできて、
「おぅ!」
と声をかけていただいて、これまたうれしかった。

リンク元 プロフィール

違うふたりが、同じことを…

三浦さん三浦商店の三浦勝利さん

今年の8月、秋田に行った。昭和63年創業、横手市安田字馬場で秋田県の物産の卸販売をしている三浦商店の三浦勝利さんに会いに行った。三浦さんは秋田県特産品開発コンクールで奨励賞を受賞した「横手焼きそば」を開発した人。その三浦さんが新しい商品を開発しているという。
https://umaimon-p.nifty.com/project/summary/12
その取材での三浦さんのひと言をボクはメモした。

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『いいものと、売れるものは、違うんよね』
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秋田なまりのその言葉には、モノづくりをしてきた人の実感があった。

そして昨日…

国光さん国光宏尚@hkunimitsuさん

国光宏尚@hkunimitsuさんのTweet。国光さんは、株式会社gumiの代表で、モバイルゲームやソーシャルゲームの開発をしている人。一昨年に初めて参加した『ソーシャルメディアウィーク東京2012』のセミナーを聞いて、この人スゴイな、と思い、ツイッターでフォローしている人だ。

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『良いモノを作れば売れるという幻想を日本人は捨て去らないといけない』

『売れる仕組み作りが重要』
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違うふたりが、同じことを言っていた。

異論反論あるかもしれない。でも、ボクは、同じことをまったく別の場所の人が言っているということには何かある、と思う。これは『良くないものでも、売り方次第で売れる』ということではなく、いいものをつくるだけではダメで、売れる仕組み、売り方も同時に開発しなければダメだ、ということか。じゃあ、いいものとは何か…。

背番号21の理由

背番号21ー1999年に作ったファーストユニフォーム(UMBRO製)

なぜボクが背番号を21番にしたのか。という、どうでもいい話をします。FCバッカーノを設立してユニフォームをつくる時。背番号は第3希望までを申告して、競合した場合は参加ポイント(過去ブログ「バッカーノの掟」参照)の多い人に優先権があるようにしました。サッカーでは10番がエースナンバーで、バッカーノができた1999年頃は、7番といえば中田ヒデ。11番はカズ。そういう番号がやっぱり人気でした。でもボクは、そういう番号にしなかった。ボクはバッカーノの中では年上で、チームの「幹部」的な立場だったので、オレが7番だ!といえばそれでも通ったんでしょうが、そういうのはイヤだった。下手くそな年上がいい番号つけているのってカッコ悪いというイメージがボクの中にあったから。だから、ちょっと控えめなんだけど、そのチームでは重要な役割の選手、みたいなのがいいと思いました。(バッカーノの7番や10番を悪く言ってるんじゃないですよw  たまたまふたりとも年長者だけど、参加ポイントが高かったから獲得した名誉ある背番号です)

エンリケ21ルイスエンリケ21

左:スペイン代表でも21番だったルイス・エンリケ
右:FCバルセロナ100周年ユニフォーム

その頃、リーガ・エスパニョ〜ラをよく見ていてFCバルセロナが好きでした。当時のバルサの懐かしい名前をあげると、GKへスプ、DFライジハー、アベラルド、ゼンデン、セルジ。MFグァルディオラ、コクー。FWリバウド、フィーゴ、クライファート。そして背番号21にルイス・エンリケという選手がいた。スペイン代表でもある彼は攻撃的MFで、チームではすでにベテランの部類に入る選手。毎試合先発というわけではなく、試合の途中から投入されて流れを変えたりする役目をしていました。その21番ルイス・エンリケが途中交代で入るときのカンプノウ(バルセロナのホームスタジアム)が沸く感じがすごくよかった。背番号21。FCバッカーノでも、それ的なポジションがいいんじゃないか、そういうふうになりたいぞ、と思ったのでした。

居酒屋の下足箱も21番。ゴルフ場の貴重品入れも21番。クルマのナンバーも21番。21番が空いていたらとりあえず21番。「何番」と聞けばあの人!となるようになりたいから。ちなみにバッカーノ49名全員の背番号を言えるのは、チームでボクだけです。

ジダン21ユベントス時代のジダンも21番だった   レアルでもつけて欲しかった

SHINJI 21-2現在オーストラリアリーグで活躍する小野伸二も21番というのがスゴクうれしい

おまけ:どうでもいい話(過去ブログ)その1「コンフェデの21番」もあります

・・・なにがコピーだ

宣伝会議賞メッセージ(禎)

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審査員ひとり
動かせずに
なにがコピーだ。

中村禎
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宣伝会議賞に応募する人、コピーライターをめざす人への応援コメントや、なにかアドバイスになることを自筆で書いてくださいという依頼でした。ちょっとキツイかなとも思いましたが、中村組OBに伝えるつもりで書きました。「がんばってください」的なことよりも、「口惜しかったら書いてみな」的なことを言いたかった。これを見て「くそっ、ナカムラめ。覚えとけよ」と書きまくってくれることが狙いです。親分の仲畑さんが昔「クライアントひとり説得できないで、何万人の世の中を説得できるか」と言っていたことを思い出します。

でも、実は「代案」も書いて送ったんですよ。この「・・・なにがコピーだ」を書いて宣伝会議の担当者に送ったんですが、受け取りましたの返事が来ないんです。いつもはすぐ来るのに・・・。もしかして、「これはマズイんじゃない?」と問題になっているんじゃなかろうか、と勘ぐってしまいました。じゃあもう少しおとなしいのを送ろうと、書いて送ったら、「あれで大丈夫です」と返事が来たのでした。まあ、そうだよね。別にいいよね。

宣伝会議賞応援いちおういくつか書いて、乱暴すぎず、しかし勢いのある、かつ思いやりのある字を選んだつもりなんですがw

56年見てきた右手

10.3手56年見てきた右手

去年の10月3日誕生日からこのブログを始めて、丸1年。
毎日は書けなかったけど、なんとか1年続けることができました。
読んでくださる人がいる、と思うことで、くじけずに続けてこれました。
本当にありがとうございます。
ちょうど1年前の記念すべき第1話はこちらでした。
55分経過
そして、記念すべき1周年「56分経過」です。
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ボクはマラソンやらないんですが、『ランナーズハイ』ってのがあるっていいますよね。何十キロも走って疲れのピークなんだけど、そこを越えて、ふわっとラクになって軽くなって、もっとどんどん走れるようになる、というアレ。

フットサルやってても、やればやるほど疲れるんだけど、ある時間帯から急に楽しくなって元気が戻る瞬間がある。(それが全然無いときもあるけど)体は疲れているんだけど、ゴールが決まるとまた新たなパワーがみなぎってくる、あのカンジ。

年齢にもそれが、あるんじゃないかと思ったんです。『ネンレーズハイ』

ボクなんかより全然年上の先輩がメチャメチャ元気だったり、ステキだったりする。そういう『カッコイイ G3(ジーサン)』目指して生きて行きます。56才というともう、けっこうな歳なんだけど、年下からも年上からも学ぶべきことはすべて学ぼうと思っています。常に姿勢正しく、やや前傾姿勢で。2013年10月3日。56才になりました。