コピーライターという職業

コピー年鑑たち

先日、東京コピーライターズクラブのコピー年鑑の審査会がありました。今年の年鑑編集長は小野田隆雄さん。その小野田さんからお聞きした話を思い出しました。

小野田さんが「ゆれる、まなざし」をお書きになった1977年頃(なんと35才くらいっ !)でしょうか。コピー年鑑の審査員に任命されたにもかかわらず、「まあいいや」と審査の日にずる休みをした若き日の小野田隆雄さん。あとで秋山晶さんにこっぴどく叱られたそうです。

「君はコピーライターという『職業』をやっているんだ。その職業の将来のことをもっと大事に考えないとダメじゃないか!」

秋山さんたちは、いいコピーがたくさん掲載されたコピー年鑑をつくることが、いかに大事なことかわかっていらしたのでしょう。秋山晶さんや土屋耕一さん、清水啓一郎さんをはじめとする諸先輩方たちが『コピーライターという職業』を大切に考えていてくれたおかげで、いまの僕たちがコピーライターとして「新人賞」をいただいて泣きそうになり、「クラブ賞」をとってこの職業に自信が持てるようになり、コピー年鑑に掲載されることを誇らしく思えるようになった。それは、先輩たちがこのコピーライターズクラブを守り、発展させてくれたおかげなのだと思います。そして、今年も新人賞とクラブ賞が決まりました。

ゴールはケチャップ

白ユニ背中

FCバッカーノのフットサルは20:00から22:00まで、2時間やっています。5点先取で1ゲーム。そのたびにグー・パーでチーム分けをします。いつも適当な時間帯でゴールを決めるんですが、ヤバイ、今日は全然決めてない。焦る・・・。ふつうゴールを決めると(休む意味でも)キーパーと交代するんですが、今日は全然ゴールを決めていないので、なかなかキーパーもできない。21:30頃になってもまだボクはノーゴール。(でもアシストは2つ3つしましたよ)ヤバイ・・・。今までノーゴールの日は確か一日もなかったはずなのに・・・。でも、ま、そういう日もあるか。無理してケガしちゃダメだしな、といい聞かせながらもやっぱり攻めたい。仲間のナイスアシストでやっと1ゴール決めることができました。足を出すだけで入るようなパスをくれました。ありがとう!それからの20分は、なぜかボカスカ決めることができました。

レアルマドリーのクリスティアーノ・ロナウドがノーゴールの試合が続いたとき、インタビューでこんなこと言っていました。「ゴールはケチャップのようなものだ。出る時はドバッと出る」

まさにケチャップでした。それと、やっぱり最後まで諦めちゃダメなんだと思いました。途中で「今日は点を獲れない日だ」の言い訳を考えようとする自分がいた。「今日は5時半起きで出張先から新幹線で東京に戻って来たから・・・」という言い訳を。でもやっぱり、なんとしても1点取りたい、取るんだという気持ちが大事なんだな、と思ったのでした。たかがこんな素人のフットボールでもね。

声の記憶

ph_profile

糸井さんのほぼ日で『今日の土屋耕一』http://1101.jp/17vhF6nという連載が始まりました。土屋さんのいんな言葉が読めるという、とても楽しみでな幸せな企画です。ワクワクします。そしてちょっと優越感なのは、ボクには土屋さんの声の記憶があるということ。東京コピーライターズクラブ(TCC)の会員で幹事をやっているとき、幹事会とかで土屋さんとお会いする機会が何度かありました。そのとき、どんな話をしたか、も大事ですが、声を憶えているということが、実は大事だなぁと思ったのです。もう土屋さんにはお会いできませんが、文章は読むことはできる。そして声を思い出しながらそれを読めれば、もうそれは、頭の中で動画になります。ましてや「中村君」と呼んでもらえた声も憶えているので最強です。

45才の父

4月15日は父の命日だ。
45才の若さで、父は亡くなった。
ボクがまだ5才だったから、もう50年前か。(2013年当時)
コピーライター養成講座の福岡クラスがある時は
いつも延泊して墓参りさせてもらっているが、
今回はちょうど父の命日に来ることができた。

門司の城山霊園というところは、緑豊かな静かな場所で、
小学校の遠足で行ったこともあった。
コロロン、カラン。コロロン、カラン。
静かな霊園にブリキのバケツと柄杓が当たる音が響く。
井戸で水を汲むのは子どもの頃からボクの役目だった。
父も母もじいちゃんもばあちゃんもここにいる。
もう九州には家はない。
このタタミ3畳くらいのお墓の場所がボクの実家だ。
静かで、妙に落ち着く。

子どもの頃、仏壇に飾られていた父の写真は、
そうか、45才くらいだったのか。
兄貴が13才。ボクが5才。
そしてまだ30代だった母を残して
逝かなければならなかった45才の父。
さぞ口惜しかっただろうに。
墓に手を合わせて
「健康には気をつけます。守ってください」と
年下になってしまった父に報告して来た。

シキミ?

シキミ?

墓参りにいつも母が買っていた。『シキビ』だと思っていたら『シキミ』だった!かれこれ50年間違っていたのか!これから『シキミ』もって墓参りに行ってきます。でもやっぱり『シキビ』のほうがシックリくるなぁ。

とfacebookに書き込んだら、「私は『シキビ』と言います」という声が多かった。よく調べてみたら、「地方によっては『シキミ』を『シキビ』と呼ぶ」ということがわかりました。母の発音がわるかったわけでもボクの耳がわるかったわけでもなかった。よかった。

非情の東西線

東西線

バッカーノ14周年の日。門前仲町でフットサルをして夕方から飲み会となった。ビールを飲みワインを飲み紹興酒を飲んだ。まだ電車のある時間に帰ろうと、門前仲町から何人かで東西線に乗った。日本橋で降りる者、飯田橋で降りる者を見送ったあたりで席が空き、座れた。荻窪まで帰るのに中野止まりだ。総武線直通だと乗り換え無しで帰れるのにな、と思いながら、つい眠ってしまった。

目が覚めたら電車は混んでいた。満員だ。なぜ? さっき飯田橋で座ったときはガラガラだったのに・・・。ここどこ?走り出した駅の表示を見たら『茅場町』とある。え?なんで茅場町なの?乗客の隙間からドア上の電光掲示が見えた。『つぎは門前仲町』 ハァ?門前仲町から乗ったのになんで?  そうか・・・中野止まりだったのに折り返しで西船橋行きになっていたのだった。

「誰も起こしてくれない一人暮らし。悪いのは誰だ。あ、僕か」というコピーはたしかに書いたけど、終点だったらふつう駅員さんとか起こしに来ない?  折り返しで中野から乗って来た客も、寝てる人をそのまま寝かしとくかぁ? 寝ているボクの隣りに誰か座ってたってことでしょ?ふつう起こさないかぁ? なんか、いろんな意味で、ショックだった。

『中野ぉ〜中野ぉ〜終点です。寝ているお客様がいらっしゃったら揺すって起こしてあげてください』

ボクが東京メトロの人間だったら、そうアナウンスさせる。ゼッタイ。

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終点は ちょっと突っつく 優しさを

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思いつきで終わらせないこと

いいことを思いつく。
無理なことかもしれないけど、いいことを思いつく。
でもどうせ、みんなも同じことを考えついているんだろうな、
と諦めてしまってはいないだろうか。
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1万人が思いつく。
そのうちの100人が実際にやってみる。
そして5人くらいが、ずっと続ける。
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という話を聞いたことがある。

思いつくだけで、何もしないのではなく
やり続けながら修正していくことが大事なのではなかろうか。
誰かがやり続けて完成させて
「それ、ボクも思いついてたんだけどね」なんて言うのが一番カッコワルイ。
たとえ完成しなくても、やり続けることで得られる経験が
貴重なんじゃないか、と自分に言い聞かせてみる。

地下鉄丸ノ内線


コピーライターの土屋耕一さんは荻窪にお住まいだった。昔いただいた年賀状の住所が確かそうだった。たまたまボクも今、荻窪に住んでいる。地下鉄丸ノ内線に乗って赤坂見附に行く途中、四ツ谷駅で一瞬地上に出る。地下鉄の車内にまぶしい陽の光が差し込む気持ちいい瞬間がある。

上智大学の土手にサクラが見える。土屋さんの仕事場は青山一丁目だった。荻窪から丸ノ内線に乗って、赤坂見附で銀座線に乗り換えていたに違いない。朝のラッシュ時だと人が立っていて窓の外はあまり見えないけど、ちょっと時差通勤の時間だと、人が立っていないので座っている正面の大きな窓から土手の桜が見える。今日はいい天気。葉桜になりつつある上智の土手が見えた。

土屋さんもこの時間、この車両の、このシートに座っていたんじゃないかと思った。だって、土屋さんの七・七の句、『武玉川』(むたまがわ)にこんな句があるんだもの。

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四ツ谷で花を見せる地下鉄

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土屋さんとまさに同じ風景が見えた気がして、なんかうれしくなった。

バッカーノの約束

FCB14周年旗

F.C.バッカーノというサッカーチームをやっています。1999年2月設立なので今年で14周年を迎えました。初心者も多く、女性も、50代のオッサンもいるチームで月2回神宮外苑でフットサルを続けています。登録メンバーは現在48名。(いつもフットサルに来られるメンバーは最近10人ちょっとですけど)ぜんぜんサッカーをしないメンバーもいます。集って飲むだけでもいいんです。会費などもありません。

ただ、いくつかの『約束』をつくりました。そのひとつが、『チームのメイン行事への出欠連絡は必ずしよう』というもの。サッカーしなくてもいい。飲み会に来られなくてもいい。ただ、1年間何の音沙汰もないメンバーが一人もいないように、してきました。

その『約束』を守れない人、「行けたら行くよ」という人は切ってきました。「そこまでしなくても、いいじゃないか」という声もありました。でも、そのルールを守ることで14年続いて来たのだと思っています。楽しく遊ぶためのルールです。ナーナーになると、いつか破綻すると思ったから。14周年のパーティへの参加不参加の連絡は全員から届きました。連絡をくれるということは、ボクにとって「参加」と同じことなのです。

(写真は、先日14周年パーティに掲げたチームフラッグです)

ある日の表参道にて

クリスマスイルミネーションで飾られていた表参道のケヤキが、

まだ丸坊主かと思ったら、

てっぺんのほうから新緑の葉っぱが芽吹いてきていた。

温かくなってきたから、

あたり前のことなんだけど、

感動してしまった。

みんな一生懸命生きているんだなぁと。