第50回宣伝会議賞授賞式

中村組授賞式2

第50回宣伝会議賞授賞式にて。協賛企業賞に輝いた4人と記念写真。左から7代目高橋尚睦くん、8代目伊藤みゆきさん、組長中村禎、初代新免弘樹くん、7代目伊東美貴さん。おめでとう。晴れやかな顔と再会できてうれしかった。しかし、そこには悔しさがあるのです。授賞式に出席した人だけが味わえる「悔しさ」が。自分より派手なトロフィをもらう人を間近で見る悔しさ。その悔しさが、また来年へのモチベーションになるのです。チカラをだせよ!

グランプリは日野原良行くん。彼は専門コース中村組ではなかったけれど、少人数クラスのA3クラスにいました。彼の名前を見たことある人も多いはず。彼は受賞の言葉で「中学生の時からコピーライターになりたいと思ってきました」と言っていた。仲畑さんの最後の挨拶の中でもそれに触れていた。『中学生の頃から目指していた職業だと聞いて、この職業をもっとチャーミングなものにせねばと、身が引き締まる思いがしました』と。

白い紙にコピーだけを書いて応募する宣伝会議賞は貴重な場だと思います。裸の勝負です。今回、審査を終えてあらためて、「言葉」のチカラを確信しました。こんなデジタルの時代だからこそ、「言葉」のチカラの差がくっきりするんだと思いました。未来のコピーライターたちが緊張しながら晴れやかな顔をしているのを見てうれしくなったと同時に、ボクも、もっといいコピーを書くぞと思ったのでした。

コピーライターの未来は・・・

ロベカル(この写真は超攻撃的サイドバック、レアルマドリー時代のロベルト・カルロス選手です)

レイ・イナモトさんの話にいろいろ刺激を受けました。「広告の未来は、広告ではない」クリエーティブの階級制、職業名を取っ払ったほうがいい」「アートディレクターとコピーライターが一緒になって広告を作り出す手法は通用しないんじゃないか」「ART×CopyからART×Codeへ」と、これらの言葉だけ見ると、なんだ、もうコピーライター養成講座なんて意味ないじゃないかと思う人がいるかもしれませんね。でもレイさんは、コピーライターが不要だと言っているのではなく、コピーライターの役割が変わって来ていると言っているのだと思います。「コピーライターの未来は、コピーライターではない」と言えるのかもしれません。

例えば、コピーライターが昔のサッカーでいうディフェンダー(とくにサイドバック)だとします。昔はただ攻められたらボールを遠くにクリアするだけでよかった。(ボクの中学高校時代はそうでした)ところが現代フットボールのサイドバックは、サイドを駆け上がり攻撃の起点にならないといけない。相手のペナルティエリアまで入ってシュートも打つ。そう、長友や内田です。その昔、ロベルト・カルロスという名サイドバックがいました。超攻撃的サイドバック。コピーライターにだって昔からそういうタイプのコピーライターはいましたよね。

コピーライター養成講座は、ただ「コピーの書き方」を教えるのではなく、「伝える、とは?」を学ぶ場所だと思っています。ボクが担当する専門コース中村組ではそうしているつもりです。いま、池上彰さんの「伝える力」という本を読んでいますが、コピーライターにとってものすごく大事な、役に立つ話ばっかりです。コピーライターの教科書にしてもいいと思うくらい。最近の学生さんは「コピーライターなんて古いよ。これからはコミュニケーション・デザイナーだぜ」という人が多いそうです。どうぞどうぞ。コミュニケーション・デザイナー養成講座に行けばいいと思います。

「コピーライターなんてカンタンになれる。名刺にコピーライターと刷ればいいんだから」これは、ボクの師匠の仲畑さんの言葉です。コピーライターやコミュニケーション・デザイナーなどカンタンになれる。名刺に刷ればいいんだから。そういう意味で肩書きには意味がないのだと思います。大事なのは、その人が優秀かどうか。いい人かどうか。柔軟かどうか。伝えるということをわかっているかどうか。

その「伝える」ということ、「言葉を使って伝える」ということを、練習、経験するためにコピーライター養成講座には意味があると思っています。ボクは「伝える」ことに関してのプロでありたい。その軸足としてボクはコピーライターという職業を通じて経験を積んできたということ。「ほぼ日刊イトイ新聞」というすばらしく革新的なメディアを作っている糸井さんも、「ボクはコピーライターです。頼まれもしないのに毎日コピーを書いています」とおっしゃっていた。(東京コピーライターズクラブのコピー殿堂入りのスピーチで)コピーライターの走る範囲はどんどん広がっているのだと思います。インテルの長友のように走らなくてはいけないのです。

キングカズの気持ち

千駄ヶ谷コート

ボールとビブスを持って誰よりも早くコートに入る。ピッチに入る時、左手でピッチの砂を触り、その手を胸に当てる。今日もケガをしませんように、という勝手につくった儀式をする。ひとりでストレッチを始め、軽いランニングからだんだん身体を温めて行く。その日走り始めるとき、身体が重いか軽いかがわかる時がある。なんか重いなという時は、無理しないようにと。軽いなと感じたら、調子に乗るなよと、言い聞かせる。FCバッカーノはケガ禁止だから。股関節、モモの裏、ふくら脛、足首、肩、腰、膝の屈伸。思いつく場所をすべてを温めていく。自分が1957年製のフェラーリだとすると、もう立派なクラシックカーだ。エンジンに火をいれてエンジンオイルを全身に回さないで走ると壊れてしまう。だけど丁寧に扱えばまだまだ負けない。

身体が動くことへの感謝の気持ちと、今日もボールを蹴れるというワクワクと。まだ誰も来ないコートでひとりアップをする。ふと、キングカズもこんな気持ちなんじゃないかなと思った。….なんちゃって。

16年前の駐車券

駐車券

1997年2月10日。16年前の今日、朝早くに家の電話が鳴って起こされた。電話が鳴ったというだけで、何があったかは、わかっていた。兄貴からだった。「今朝、おふくろが息を引き取った」という連絡だった。ずっと入院していて、そろそろ危ないかもしれないと言われていたので、ついにこの日が来たかと思った。目黒から埼玉県の越生というとこに行く。電車を乗り継いで行くにはかなり時間がかかる場所なので、クルマで向かった。何を思いながら運転していたのか思い出せないが、今日の空みたいに、何もなかったかのように晴れた青空の日だったように憶えている。

「97-02-10 08:56」と印字された駐車券がある。越生の病院の駐車券だ。ああ、ちょうど今頃の時間だ。あの朝、病室の母に会いに行ったんだった。印字は薄くなってきていて、出庫が「97-02-10 12:03」と見える。病院からどこへ行ったんだっけ・・・。病室から安置室へ移って、葬儀屋さんのクルマでどこかへ移動したんだっけかなぁ・・・。

もう16年か。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、デロリアンの車内に、何十年後(あるいは前)の同じ日、同じ時間へタイムスリップする装置があった。16年前と同じようないい天気の冬の朝だから、16年前に戻ったような気がした。

その日の記憶はだんだんぼんやりしていく。この駐車券は、印字された時刻が薄くなって消えてしまわないように、パウチしてある。このパウチした駐車券はお守りとして、いまもクルマの中に入れている。

テレビ局とCM その1

羽生く

妻がフジテレビに文句を言っている。大好きなフィギュアスケート四大陸選手権を見ている時のこと。日本開催だから時差はないはずなのに男子のショートプログラムの演技がなかなか始まらない。過去の録画が流され、ようやく21時過ぎから始まったかと思うと、何度もCMが入り引っ張られる。妻はイライラする。それは正しい視聴者の反応だと思う。

いくら視聴率がいいからとはいえ、そこにCMを流すことは逆にジャマで、嫌われるんじゃないかと思うことがある。視聴者はその「番組」を見たくてチャンネルを合わせている。なのに、その途中途中「続きはCMのあとで」と遮られたらそのCMが嫌いになるのではないか。

サッカー中継で長友が左サイドを上がって行くとき「さあ!日本のチャンスです!続きはCMのあとで!」なんてやられたら、どうか?バラエティ番組なんかではよくその古い手を使う。最近ボクは、バラエティやドラマはすべてHDDに録画してCMは飛ばして番組を見ている。広告屋がそれでいいのか?と言われるかもしれないが、広告屋である前に視聴者だし、視聴者の気持ちに立つことは広告屋として大事なことだと思っている。

テレビ局のこういうCMの流し方はもう、考え直した方がいいんじゃないだろうか。視聴率がいい番組の隙間に短いCMを紛れ込ませて「みんなもそのCMを見ましたよ」と金を取るより、「この番組は次のスポンサーのお金のおかげで作られました」ときちんと挨拶して、30秒や60秒の、ちゃんと見応えのあるCMを流した方が効果があるんじゃないだろうか、と思う。

生放送が主流で、街頭テレビでみんながひとつの画面を見ていた頃と違い、いろんなチャンネルを選べて、簡単に録画して再生できる時代、テレビ以外にネットで好きな動画が見られる時代なのに、CMの流し方だけ昔のままでいいわけないとボクは思う。(これは個人の意見です)

Tシャツを一瞬でたたむ方法

http://www.youtube.com/watch?v=mMZDoxCU-rM&feature=share

facebookで見つけた『Tシャツを一瞬でたたむ方法』やってみたら、できて、感動したんだけど、すぐ忘れてしまう。記録としてここにも残しておきます。(長袖ではできないんだな、これが)

①身丈(タテ)の1/2の位置と身幅(ヨコ)の1/4の交差する所を左手でつまむ
②左手でつまんだ部分の同線上の肩の部分を右手でつまむ
③肩の部分をつまんだままの右手で同線上の裾の部分をつまむ
④持ち上げ、軽く払って袖を折り込むようにたためば完成です

 

エージシュート

ゴルフをやる人なら知っている言葉、「エージシュート」。自分の年齢と同じスコアでラウンドすることをいいます。例えば72才のゴルファーが1ラウンドを72打でプレーすること。ボクみたいな100切ったり切れなかったりするゴルファーには夢のような話です。100ではラウンドできるけど100才でそれができるか?っちゅう話です。その前に100才まで生きれるのか?っちゅう話です。90なら出せるだろうけど90才でそれができるか?っちゅう話です。無理だろう… 。ボクの好きな日光カンツリークラブ(友だちがメンバーで)の食堂の壁に、そのエージシュートを達成したメンバーの名前が飾られています。よく見ると同じ人の名前が何回もでてくる。すごいなー。その人たちのゴルフの楽しみとボクなんかのゴルフの楽しみは次元が違うのかな、とひがんでみたり。ゴルフのエージシュートは一生無理なんだろうな、、、と思っていた、そのとき。

エージシュート・・・?   シュート・・・?   シュートならしてるぜ? もう14年もシュートしてるぜ? それは我がFCバッカーノのフットサルで、この年齢でもシュート決めてるぜ?と思ったのです。バッカーノの活動は今年で14年目に入ります。年間平均22回、神宮外苑でフットサルをやっている。ボクは毎年ほとんど皆勤賞的な参加率を誇っている。そのゲームで最低1ゴール、1日だいたい平均2、3ゴールは決めている。ということは、毎年自分の年齢くらいのゴールは決めているはず。それもエージシュートじゃね?と勝手に思いつきました。55才で年間55ゴール。毎回平均2、3ゴール決めていけば55ゴールは達成できる。そうだ!ボクはフットサル界のエージシュートを目指そう。60才になっても年間60ゴールだなんて、すごくね?よし、今日から数えよう。今日はFCバッカーノのフットサル、蹴り初めです。

背番号3

写真は3代目中村組の卒業生からもらった記念品のユニフォーム。3代目だから3番。今は10代目だから6、7年前の写真です。ここでフットサルやっとります。

今日うれしかったこと

大雪が降った15日の夕方、早めに帰宅して家の前の雪かきをした。家の前のクルマの轍部分だけでも雪をどけておかないと、深夜に凍ってしまいそうだったから。小さな園芸用のシャベルとデッキブラシしかないので、コツコツやるしかない。なんとか黒い路面が見える一本道を作って休憩していたら、小学生みたいな坊主がチャリンコでふらふらしながらやってきた。雪かきした部分を上手に通りながらウチの前にさしかかり、デッキブラシを持ったボクにちょこんとアタマを下げて、よたよた通り過ぎて行った。「道作ってくれてあざーっす」とでも言いたげに。なかなかええやっちゃ。顔はハッキリ見えなかったが、きっといい顔したかわいい男の子だろうと思った。

ものごとの「いい面だけ」を見る

ものごとのいい面を見よう、見つけようと思う。これはコピーライター養成講座中村組でも自分の体験談(電通に途中入社した頃の失敗談)として話していることなんですが、なっかなか習慣化できない。ついつい悪いほうに目が行って、ダークサイドにひきずられてしまう。世の中、悪いこともあればいいこともある。でも今年は意識的に「いい面だけ」を見よう、見て行こう、見つけよう、と思います。

イヤなことがあったとき、そのことに「時間」と「心」を占領されてしまう。そんなときは師匠である仲畑貴志さんのエーザイ・チョコラBBのコピー「世の中、バカが多くて疲れません?」を思い出して、イヤなこと、イヤな人のことを忘れるようにしてきました。最近それより効きそうな言葉を無理やりつくりました。「ああ、可哀そうに」と思うようにしてみる。イヤらしいですが、そのイヤなヤツが地獄にでも落ちるかのような想像をしてみます。想像だけならいいでしょ?そうやって自分の記憶の中から消すことで自分がラクになるんだったらいいと思ったんです。ある人から酷いことをされる、ムカツクことをされる。そんなとき、そんなヤツはゼッタイ幸せにはなれない、と決め付けるのです。「ああ、可哀そうに」と。それでそのことを記憶から消してしまう。

要するに、イヤなことはすぐに忘れたいんです。そんなことに「時間」と「心」を占領されているヒマはもう、ないんです。ボクはこれからの人生、ハッピーでありたい。そのために、無理やりにでもマイナスの記憶はすぐ消したい。

昔、コピーライターの眞木準さんに「面白いよ」と教えてもらった小説『摩天楼の身代金』の中に、主人公があることをいとも簡単に自分の記憶から忘れ去るシーンがあって。その言い回しがすごくステキだった。ステキだったのは憶えているんですが、正確には憶えていない。たしか、「まばたきをするくらい簡単に記憶から消した」みたいな言い回しでした。そんなふうに忘れよう、と。

作戦を思いつきました。今年2013年の、1日1ページのぶ厚い手帳に毎日「今日のうれしかったこと」を一行書いていく。どんな些細なことでも、どんなショーモナイことでも、自分がうれしいと思ったことを思い出して書いていく。そうすると、今年が終わるころ振り返ると、めっちゃ幸せな1年が思い出せるんじゃないかと。まあどうなるかわかりませんが、とりあえず始めてみます。

12月28日に書いた、栗原はるみさんとマザー・テレサさんの言葉を実践してみます。
http://baccano21.wordpress.com/2012/12/28/
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暮らしの中でちょっとした幸せを
見つけ出す努力をしないと
人は幸せを忘れてしまうんじゃないかしら

栗原はるみ
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当たり前と思っていたことが
当たり前じゃないことに気づいて
「ありがたい」と思う

マザー・テレサ
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新宿高島屋の奇跡

妻のコートのボタンが取れてなくなった。正月2日初売りの新宿高島屋。メンズのフロアを一緒に見てもらっていた。マントのようなコートの胸元の大きなボタンがいつの間にか取れていた。

■「ここ糸がほつれてるよ」
□「いやーん、ボタン取れてるー。さっきのお店かなぁ」
■ 「上にユザワヤがあるからそこで買えば?たくさんあるだろうし」
□ 「うん…探しても見つからないよね」
■ 「いつ取れたかわからないもんね」

で、お腹がすいたので高島屋のレストランフロアのランチへ。韓国料理の店はやや混み。数組が外の椅子で待っている。

□ 「どうせちょっと待つから      
  さっきのメンズのフロアでもう一度探してみる。並んでて」
■ 「えーっ、ないと思うよ?そんなに待たずに入れると思うよ。もう」

お店に入れたけど妻はまだ来ない。電話も通じない。必死で探しているのだろう。そして妻が戻って来た。

□「やっぱり、なかった」
■「ユザワヤでかわいいボタン買えばいいよ」

食後、お互い別行動で買い物をすることに。妻は高島屋で自分の服と食品売り場を見たいと。ボクは伊勢丹に寄って帰るわと。 伊勢丹はセールでもないのに激混み。疲れたので「先に帰るよ」とメール。すると電話がかかって来た。

□ 「ユザワヤでボタン買ったんだけど、ボタンあったよ!」
■ 「うそっ!どこに?」
□ 「ブーツの中。      
       ボタン買って、洋服見て、試着しようとブーツを脱いだら、      
       中からポロッとでてきた」

なんという奇跡。というか気づかないもんかね。妻は足は細い。ブーツもたしかに少し隙間はある。しかしまあ、なんというナイスキャッチ。

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新宿高島屋の妻のボタン、善福寺公園のボクのサングラス (http://baccano21.wordpress.com/2013/01/03/)なくして、諦めきれずに、またしつこく探しに行って、そして見つけることができた。夫婦に起きたこの小さな騒動は、正月早々ついてないね、になるところがすげぇラッキーという結末で終わった。お互いボタンとサングラスをテーブルに置いて「やっぱり諦めないって大事だね」と乾杯した。

妻はユザワヤで買ったボタンを縫い付け、見つかったボタンはお守りにするそうです。(という、どうでもいい話でした)