ぶ厚い手帳

ぶ厚い手帳

ボクの手帳は、20代の頃からずっと、1日1ページの手帳です。1985年頃、アートディレクターの浅葉克己さんが1日1ページのぶ厚い日記帳のような手帳を使っているのを見て、カッコイイなぁと思ったのがキッカケでした。最初は、パリにロケに行ったときに泊まった、モンパルナスのホテル近くの文房具屋で見つけたQuoVadisの1日1ページの手帳。当時は日本に輸入されてなかったので、パリに住む友人から送ってもらっていました。『dimanche』が日曜日だと憶えたのもQuoVadisのおかげでした。その後、銀座のITOYAで買えるようになりましたが、1996年頃1日1ページのタイプが無くなってしまいました。

次に見つけたのが上の写真の後ろに積んであるLetts社の1日1ページのタイプ。これを2010年まで愛用していました。が、またもやこのタイプが生産中止に。毎年暮れが近くなるとごった返すITOYAの手帳売り場で、なんの迷いもなく、お目当てのお決まりの手帳をサッと取ってレジに行くのが密かな快感でしたが、手帳難民になってしまうのか?と焦りました。Googleカレンダーがあればいいか、とも思いましたが、やはり『書く手帳』がないと落ち着かない。ボクの手帳は仕事のスケジュールだけを書くためだけのものではないので、やはり手帳は必要でした。

コピーの下書きをしたり、セミナーで聞いた話をメモしたり、その時思ったことやなんか、いろんなことを書き込みます。そこで2011年から採用されたのが、MOLESKINE DIARYです。これからもたぶんずっと、1日1ページの手帳を使っていくと思います。いままでも、これからも、たぶんずっと『ぶ厚い手帳』です。

(そういえば、KTK之助くんから「なに聖書なんか持ってんの」と言われました。アーメン)

(写真のチャーリー・ブラウンのMOLESKINE DIARYは、2013年用です)

頭で見るな、目だけになれ

柄にもなく、メトロポリタン美術館展に行ってきました。なんかゆっくり絵でも見に行きたいなあと思っていたとき、駅貼りポスターで思わず声を出しそうになりました。このブログのトップの写真にも使っている、フランソワ・ポンポン作のシロクマがあったのです。ボクが見たのはパリのオルセー美術館のもので、高さ2mくらい長さ3.5mくらいの大きなものでした。調べて見るとポンポンはいくつもシロクマを作っているようで、メトロポリタン美術館のシロクマは50cmくらいの小さなものでした。ちょっとガッカリしましたが、なぜかちょっとホッとしました。オルセー美術館で見た感動をそっとしておいて欲しかったんですかね。いやらしーか。

22フランソワ・ポンポン シロクマ1923年

11フィンセント・ファン・ゴッホ 歩きはじめ、ミレーに拠る 1890年

36フィンセント・ファン・ゴッホ 糸杉 1889年

3レンブラント・ファン・レイン フローラ1654年頃

100年以上も前に描かれたゴッホや350年以上前に描かれたレンブラントを目の前にすると、つい最近描かれた絵のような不思議な気持ちになりました。なんだろう、あのチカラは。

白洲正子さんが青山二郎氏に言われた言葉を思い出しながら、美術館を楽しみました。

『頭で見るな、目だけになれ』

昔、母の葬儀のとき

昔、母の葬儀のとき。兄が喪主でボクは遺族席に座っていた。焼香に来て下さった方々にお辞儀をする。お通夜はだいたい18時くらいから。仕事では一番慌ただしい時間だ。その焼香の列に、いつも一緒に仕事をしている会社の人たちの顔を見つけたとき、一気に涙があふれてきた。忙しいだろうに、都心から離れたこんな埼玉の葬儀場までわざわざ来てくれたことがうれしかった。葬儀に参列するということは、義理とかそんなものじゃなく、ただその友人を励ましに行くことだと、その時思った。

その夜、兄と香典を数える。香典袋を開けながら、金額なんて関係ないんだと気づいた。ただ自筆の文字でその友人の名前があるだけで、うれしかった。そのとき、香典の内袋に『禎さん、がんばってください』という手書きの文字を見つけた。泣けた。うれしかった。元気がでた。それ以来、読んでもらえるかわからないけれど、香典袋の中にひと言添えることにしている。もし読んでもらえたら、ちょっとは励ます力になるんじゃないかと思うから。

昨日、友人の奥様のお通夜に行って来た。毅然と立つ彼の姿を見ただけでこみ上げてくる。奥様はまだ若く、お子さんも小さい。時間が経つことでしか癒えないことだろうけど、ちょっとでも励ましになるかもしれないので、告別式に向かおう。黒いサングラスを内ポケットに入れて。(2011年6月1日 facebookより)

(先日、十分な恩返しができないまま亡くなられたTさんの告別式に参列させていただきました。喪主である奥様にひと言を書き添えましたが、言葉だけではなく行動で何かお手伝いをせねばと思ったのでした)

Tさん、ごめんなさい

大事にとってあった新聞の切り抜きがある。
朝日新聞「声」の欄。千葉県の59歳男性の投稿。
「ずっと抱いてあげたかった」という題。
その書き出しが、ずっとボクの心に刺さっているのです。
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愛は、思うことではなく行動することである。愛の対象に向かって、話す、書く、体を動かすなどの行為を実践することである。このことは夫婦愛、親子愛、兄弟愛、友人愛、さらには広く人間愛にもあてはまる。

名古屋に住んでいた私の母は、1973年(昭和48年)10月始め、足の骨を折って入院した。神戸に勤務していた私は、その時、仕事が非常に忙しく、たまたま愛知県へ出張したついでに母を見舞った。八人兄弟姉妹の末っ子で、私が生まれた時、母は43歳だった。兄姉がうらやましがるほど可愛がってもらった。

病室に入ると、母はいきなり「抱いて」と言った。私は一瞬戸惑ったが、抱きしめた。母の上半身は思ったより重かった。五分ほどすると手が疲れたので母を下ろした。母は目をつむり何も言わなかった。

幼少時に母に抱いてもらった一万分の一の時間も、私は母を抱いていない。三十五歳だった私の体力は、仕事が終わったら新幹線に飛び乗り、名古屋に行って徹夜で看病し、早朝に神戸へ戻ることを楽に出来る余裕があった。私はそれもしなかった。見舞った数日後、母は逝った。私のつらい悔恨は、終生消えることはない。

1997年7月13日(日)朝日新聞「声」の欄より
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愛は、思うことではなく行動することである。という一行はそれ以来
自分にも言い聞かせているし、友人や後輩の結婚のときなどは
この言葉を贈ることにしている。

それなのに・・・・。そんな偉そうなこと言ってるくせに・・・。

なんでもう一度お見舞いに行かなかったんだ。お見舞いは逆に気を使わせるかもと、かわいいカードを探して買ったのになんでまだ書かずに出さずにいたんだ。自分がはまっているiPadの無料ゲームを知らせてあげようとしたメールもなぜまだ出していないんだ。なにもしてないじゃないか。思うだけで何も行動していないじゃないかバカ野郎。

お世話になった、という言葉では言い尽くせないほど、ボクを守ってかばってくれた人を亡くしてしまった。今頃悔やんでも遅いよバカ野郎。

ごめんなさい、Tさん。ほんとうにごめんなさい。

2012年11月29日
(この日を忘れないために書きました)

ふたりの合言葉『551』

昔一緒に仕事をしていた電通関西の山下行理さんから、『東京出張で汐留に来てます。渡したいものがあるので連絡ください』というメール。

まさか!もしかして!そうじゃないかと思ったモノを持って来てくれた!ボクの大好物、551のぶたまん。大阪出張のときは必ず新大阪の駅で買って帰った。京都までで一個、京都を過ぎてまた一個。家には冷凍用を8個くらい買っていた。

インターネットで世界中のモノが買える時代なんだけど、たぶん通販でも買えるんだろうけど、大阪に行った時にしか買えないもの、って大事だと思います。大 阪でしか買えないから、わざわざお土産で持って来てくれることが、とってもありがたい。不便なほうがうれしいことって、いっぱいあるんじゃないかな。山下さん、思い出してくれてありがとう。

しかし、なんで551って言うんだろう。

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調べてみました。昭和20年。創始者である羅邦強さんは、当時外国産の555(スリーファイブ)というタバコを吸っていました。漢字やカナ文字は中国や日本でしか通用しない。横文字は当時の日本人にはまだなじみがなかった。しかし数字なら覚えやすいし万国共通。また、その当時の本店の電話番号が64-551番だったこともあり、「味もサービスも『ここ』『いちばん』を目指そう!」という意味を込めて、551蓬莱の名前が生まれたそうです。なんか、よけいに好きになっちゃう話だなぁ。
http://www.551horai.co.jp/company/company2.html

「ええヤツ」だった「バカ野郎」

同じクリエーティブ局の若者から突然「12月1日付けで営業へ移動になりました」と挨拶された。ビックリした。直接は仕事をしたことがなかったけれど、局の宴会やフットサルやゴルフコンペの幹事をよくやってくれていた「いいヤツ」だった。

その彼に、facebook上に僕が勝手につくった作った電通のクリエーティブ中心でやっているグループ「アイベヤ2012」に参加しろよとメッセージを送った。局が変っても電通の脳ミソを混ぜようぜ、と。

そいつとは以前、デジタル・ビジネス局へのインターン制度で同じ時期にDB局に行っていたことがある。その時、ある事件があった。事件といってもボクが怒っただけの事件なんだけれど。

—(2011年12月14日 facebookに書いた文章)—————————-

 

僕はアタマにきた。クリエーティブ局から40名ほどの人員がデジタル・ビジネス局に半年ほど兼務として席を移し、それが今月で終了する。その「卒業式」という送別会をDB局の人たちが社員食堂で催してくれた。なのに、CR局の若い連中は会場の後ろの方に隠れるようにして、いる。スピーチをしてくれたDB局の人も「あれ?クリエーティブの人、来てる?」と。僕はガマンできなかった。後ろに行って、そのバカ野郎たちの背中をはたきに行った。もっと前に行け。僕らのために送別会をやってくれているのに、失礼だろ、と。まだ、へらへらしている。うるさいオッサンやなあ、てなもんかもしれない。僕らの送別のために多忙な業務のなか、企画して幹事をやってくれた仲間を思うと、前の方に集まるのが礼儀だろう。そんな当たり前のことを思い至る想像力もない人間に、コミュニケーションの仕事などできるわけがない、と思った。僕の直属の部下たちでもなく、僕はそのバカ野郎たちに無関心でいてもよかったのだが、どうにもガマンができなかった。せっかくの楽しい場なのに、怖い顔をしてしまった自分を責める。あの場合、笑ってへらへら見過ごすのがいいのか、怖い顔をしてでも引きずり出した方がよかったのか。正直わからない。(2011年12月14日 facebook)

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その「バカ野郎たち」のなかに、その彼もいた。
その彼からメッセージが返って来た。

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禎さん、メッセージ本当にありがとうございます。
日曜までかなり落ち込んでおりました↓
ただ、今はかなり前向きに捉えております!

禎さんとDB局でご一緒した時、
今でも忘れない出来事があります。
DBの方々に送別してもらう時、
CRの人間が主賓にも関わらず
後ろでヘラヘラしてた時の事です。
禎さんが怒って前に来いと言って下さった時、
人間として何か大事な部分を忘れていたなと、
その時本当に思いました。
CRに配属になり、何か勘違いしてたなと。
本当にあの時怒ってもらって、感謝しております!

アイベヤ、ぜひ参加させて下さい!
引き続き宜しくお願いします。!
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やっぱり、ええヤッチャ、だった。

(写真は「卒業」で検索したらこういうのがあったので貼りました)

かくれんぼ

日光カンツリークラブ17番ホール。
ティーショットが狙いより右へ。
林までは入っていないだろう場所へ飛んだ。
あれ?この辺だったんだけど、ないなぁ。ないなぁ・・・。
同伴競技者のKTGくんも探しに来てくれて、見つけてくれた。
かくれんぼのような、雨宿りのような。

さて第2打は、どうしたでしょう?
①キノコごと打った
②キノコを抜いて打った
③キノコを抜いて打って、そのあとキノコを元の位置にもどした
④アンプレヤブルを宣言して1ペナを払った

facebookのいいところ

今日、twitterとかfacebookをやってて良かったと思うことがあった。

ウチの会社は大勢いるから、
会社で友だちに会っても久しぶりのことが多い。
「お、久しぶり」
「何階なの?」
「いま、何やってるの?」
「忙しい?」
「今度また飲みに行こうよ」
的な会話になるところを、twitterとかfacebookをやってるおかげで、
久しぶりに会っても
「今日、胃カメラどうでした?」
「あのキャノンデールかっこいいね」
みたいに、席が近い友だちと会話をしているように
「前略」で話ができる。

今日は会社のビルを出て、
久しぶりに会うMTKと2、3分一緒に歩いたけど、
もう少し一緒に歩いていたら
「ボルボ、何色にしたんですか?」
「ナンバーはまた21番にしたのよ」
「結構チャリのレース出てるんだね」
「なるしまフレンドって知ってる?」
という話もできた。
これも、twitterとかfacebookをやっていたからだと思う。

デジタルの道具と、直接会う会話。
これが組合わさることが、いいんだなぁと思った。

(2011年5月21日のfacebookより)

855R

2011年5月18日 facebookへの書き込み

中古で買って、7年乗った
1997年最終バージョンのVOLVO855Rを
手ばなす日が近づいてきた。

バイクの時もそうだったけど、手ばなすとなると
急にエンジンの吹け上がりが良くなり
『まだまだ俺は行けるよ、捨てないでよ』
と言っているように感じる。

機械なんだけどね。

次のクルマも、またVOLVOにしました。
Volvo. for lifeというコピーがじんわり好きで。
長年コピーを変えてないってとこも好きで。

言い訳の手紙

コピーライター養成講座専門コース10代目中村組の応募が締め切られた。よかった、定員を割ることはなかった!正直ほっとした。しかし、何人かには申し訳ないと伝えなければならない。

選考のとき最初にやることは、履歴書の顔写真のところに四角いポストイットを貼ること。顔の印象で決めないために。顔のいい人だけを選ばないようにするため、ではなく、怖い顔に写っていても実はいいヤツだったりすることの方が多いと思うから。履歴書とか免許証の写真って、もっと笑えばいいのにって思う。まじめな顔をしてると、ただのヤなヤツにしか見えない。

そしてまず、手書きの文字を見る。下手な字でも一生懸命書いた文字は見ればわかるから。さぁ、どんな10代目に会えるかな。

*写真の手紙は、応募してくれたけど定員オーバーでお断りをしなければいけない人へ送る手紙です。落とした言い訳です。この山田寛くんは、数年前、お断りしました。けど、また翌年か翌々年に応募してくれて、その時は「合格!」でした。2度も応募してくれたので、記念に写真で撮っておいたのです。8代目の山田寛くん。実はボクと同じ会社なんです。