2014年の6月13日と6月14日が、今回のブラジルで一番長い、一番寝てない2日間だったのかもしれない。
6月13日
だってブラジルなんだもの ③ まだアブダビだ
だってブラジルなんだもの ④ 飛行機2本目
だってブラジルなんだもの ⑤ 旅のメモ
だってブラジルなんだもの ⑥ サンパウロの空気
2014年の6月13日と6月14日が、今回のブラジルで一番長い、一番寝てない2日間だったのかもしれない。
6月13日
だってブラジルなんだもの ③ まだアブダビだ
だってブラジルなんだもの ④ 飛行機2本目
だってブラジルなんだもの ⑤ 旅のメモ
だってブラジルなんだもの ⑥ サンパウロの空気
例えば明日、いいことがある、もしくはイヤなことがある、とします。そのとき24時間後はもうそれが終わっている(もしくは真っ最中だ)とか想像します。そのときボクは必ず頭の中に、TULIPの『心の旅』が流れます。♪あ〜明日のいま頃は〜♪ 「明日のいま頃は〜」ってよく考えます。と同時に、「きょ年のいま頃は〜」も考えませんか? facebookで『昨年の同じ日を振り返ってみましょう』というのが始まりましたね。あれ、意外と好きです。というわけで、『ブラジルのきょ年の今日は?シリーズ』始まります。『中村禎はまだブラジル引きずってるのかよ』なんて言わないのっ。だってブラジルなんだもの。
6月12日
2015年FIFA女子ワールドカップカナダが開催されています。そう、ちょうど1年前はFIFAワールドカップブラジル大会。それを記念して『だってブラジルなんだもの■全30話』の目次をつくることにしました。別に記念しなくていいんだけど。あと数日分をまだアップしていないので、1年が過ぎる前に完成させます。
だってブラジルなんだもの ① 出発の日
だってブラジルなんだもの ② 機上の人
だってブラジルなんだもの ③ まだアブダビだ
だってブラジルなんだもの ④ 飛行機2本目
だってブラジルなんだもの ⑤ 旅のメモ
だってブラジルなんだもの ⑥ サンパウロの空気
だってブラジルなんだもの ⑦ ブラジルの夜明け
だってブラジルなんだもの ⑧ ファベーラの笑顔
だってブラジルなんだもの ⑨ レシフェの雨
だってブラジルなんだもの⑩ナタルの彼
だってブラジルなんだもの⑪ブラジルの味
だってブラジルなんだもの⑫ブラジル国歌
だってブラジルなんだもの⑬KIRINと日本
だってブラジルなんだもの⑭「ファン」か「国民」か
だってブラジルなんだもの⑮リ〜コ〜ス♪
だってブラジルなんだもの⑯シュハスコの夜
だってブラジルなんだもの⑰移動日3,655km
だってブラジルなんだもの⑱クイアバ収容所
だってブラジルなんだもの⑲外出時間
だってブラジルなんだもの⑳ウルルン滞在記
だってブラジルなんだもの【21】さよならニッポン
だってブラジルなんだもの【22】クイアバの夜道
だってブラジルなんだもの【23】パンタナールの遠足
だってブラジルなんだもの【24】ひとりジャネイロ
だってブラジルなんだもの【25】三人の長い一日
だってブラジルなんだもの【26】マラカナン待ち合わせ
だってブラジルなんだもの【27】イパネマのおっちゃん
だってブラジルなんだもの【28】さよならブラジルスマイル
だってブラジルなんだもの【29】オブリガード・ブラジウ!
だってブラジルなんだもの【30】試合終了
ーーーfacebookなどへのコメントを残しておきたくてーーー
だってブラジルなんだもの【番外編】アブダビの涙
だってブラジルなんだもの【番外編】アブダビラウンジ
だってブラジルなんだもの【番外編】Arena Pernanbuco君が代
だってブラジルなんだもの【番外編】Love futebol
だってブラジルなんだもの【番外編】Vila Do Mar Natal
だってブラジルなんだもの【番外編】クイアバの励まし
ーーーブラジルへの道(準備編)ーーー
ROAD TO BRASIL ①カレンダー
ROAD TO BRASIL ②夢のチケット
ROAD TO BRASIL ③ブラジルでfutebolを
ROAD TO BRASIL ④ブラジル財布
ROAD TO BRASIL ⑤ブラジルブルー
ROAD TO BRASIL ⑥移動の友
ROAD TO BRASIL ⑦ 背中で語る
ROAD TO BRASIL ⑧ 聴くブラジル
ROAD TO BRASIL⑨リオデジャネイロの記憶
尊敬すべきサッカーバカたち①BRASIL 2014
尊敬すべきサッカーバカたち②BRASIL 2014
尊敬すべきサッカーバカたち③BRASIL 2014
ーーーその他ーーー
自分たちのサッカー? なんじゃそれ?
ありがとう、ザック
ブラジルワールドカップの終焉
2014年7月2日(水)
「ブラジルのみなさ〜ん、聞こえますか〜」というギャグがギャグに思えない。ほんとにブラジルは日本の真裏だったことを実感しました。必要以上に臆病になってしまったのかもしれませんが、楽しい思い出と健康な身体で帰国できたことは、勝ち負けでいうと「勝ち」だったと思います。今回の旅は「サポ村ツアー」にお世話になりましたが、基本ひとり。そこでfacebookなどのSNSで多くの友だちと繫がれていたことが大きな支えとなりました。情報提供はもちろん、旅の精神的支えや連絡のパイプ役となってくれました。
たくさんの写真を撮り、たくさんの思い出話を書き、30話にもおよぶダラダラ日記を書いてきましたが、今日が最終回。まだまだ思い出はありますが、今日2015年7月2日、虎の門HANZというお店でなでしこJAPANがワールドカップ決勝進出を決める試合を「みんな」で応援しました。その「一緒に応援した友だちのみんな」のほとんどが、今回のブラジルW杯がキッカケで出会えた人ばかり。『2014年にブラジルに行った』という絆の強さを感じます。同じ不安を抱え、同じ屈辱を味わい、同じよろこびと出会った国。だってブラジルなんだもの。(完)
今回のブラジルで一番こころに残っている人をひとり、といわれたら、この子かなぁ。レシフェのファベーラで一緒にボールを蹴って遊んだ子
2014年7月1日(火)
エティハド航空EY190便22:20Sao Pauloグアルーリョス空港→20:05アブダビ国際空港 昨日サンパウロを飛び立って、これから2泊3日で日本に帰る。
とりあえずこの飛行機が墜落しなければ、今回のブラジルツアーは無事終わったと言えるだろう。機内でいい感じに酔いながら、いろんなことがあったなぁ。長かったブラジルの旅のしめくくりに、ブラジルで出会ったブラジルの笑顔(一部コロンビア人もあり)を並べてみようと思う。
日本語ペラペラのサポ村現地スタッフ(名前忘れちゃったゴメン)
マラカナンの地下鉄で「これはマラカナンには行かないよ」と教えてくれたお姉さん
マラカナンの掃除係3人娘 ワーッ!と騒いでいたからブラジルに1点入ったのかと思ったら、追いつかれてた。なんで騒いだの?
この写真に写ってくれた人も、ボクのことを憶えてくれているだろうか。「なんか背中にヘンなポルトガル語書いたヤツがいたな」と憶えてくれているとうれしい。それにしても、みんなやさしい人が多かった。笑った顔はウソつかない。いい笑顔が多かった。そうだ、サンバの国、ポジティブな国だ。だってブラジルなんだもの。(明日はやっと日本です)
2014年6月30日(月)
いよいよブラジルを去る朝が来た。HOTEL REGINAの朝食は美味しい。なんといっても、いつもニコニコしてくれた兄ちゃんがいい。帰る日に絶対写真を撮りたいと思っていた。毎朝同じKIRINのジャージを着て朝食に行った。背中にはユザワヤで買ったブラジル国旗のワッペンと手書きで「私はブラジル代表と日本代表を応援するためにブラジルに来た」と書いた(つもり)これを読んでくれたら「ああ、バカな日本人だなぁ」と笑ってもらえるンじゃないかと思ったから。たぶん、これで顔を覚えられたんじゃないかと思っている。笑顔がかわいい人のよさそうな兄ちゃんとも今日でお別れだ。
ナイス兄ちゃんの笑顔
背中で語る日本人
タクシーでサントス・ドゥモン空港へ向かう。
AZUL航空2405便13:05Rio de Janeiroサントス・ドゥモン空港発→14:05Sao Pauloグアルーリョス空港
サントス・ドゥモン空港は国内線が中心の空港だから飛行機が飛び立つとRio市内がよく見える。一昨日登ったポン・ヂ・アスーカルをもう一度よく見せてくれるかのように、飛行機は旋回した。「あそこからあそこに登って、あそこであれして・・・」ああ、Rio de Janeiroともお別れだ。今回のブラジルでRio de Janeiroは一番訪れたかった街だった。そしてひとりだったので一番危険な街だとも思っていた。お会いしたことはないがfacebookで知り合った人に助けられた。村上アシシさんがつくってくれたfacebookグループで知り合った、Rio在住のHaruki Fujiiさんにはいろいろ治安状況などを教えていただいた。ありがとうございました。CATETE は夜ビビったけど大丈夫でしたよ。Rio de Janeiroはまた来たい街だ。マラカナンでブラジルリーグの試合なんかも見てみたい。でもなぁ、また36時間は覚悟しないといけないんだよなぁ。
Sao Pauloグアルーリョス空港に到着。エティハド航空のEY190便アブダビ行きは夜の22:20発だから、それまで空港で過ごさなければならない。サンパウロ市内にサッカー博物館があるらしいけど今日は月曜で休みらしい。ま、ブラジルの時間つぶしには慣れているからね。
空港内のカフェに入ろう。なるべく長居できる店がいい。広そうな店に入る。シーザーサラダとビールを注文。なんだか無愛想な店員。ま、いいか。スーツケースをテーブルのヨコに置き、ワイヤーでテーブルの足に結びつける。そんなヤツは誰もいないだろうけど、帰りのサンパウロ空港で置き引きにあった日本人がいると聞いていたのでまだ警戒度マックスだ。ボクが盗むほうだったら、帰国の空港を狙うと思う。一番油断してそうだから。
警戒しながらもスタジアムでも飲んだBRAHMAを飲みながら、やっと日本に帰れるのかと思うとだんだんうれしくなって来た。いろんなことを思い出しながら、ひとりでアーコリャコリャになってきて、だんだん楽しくなってきて、ビールじゃなくてカイピリーニャを注文。もちろん「シン・アスーカル」。さっき無愛想だった彼女に、こっちは勝手に楽しくなってきてるものだから、ニコニコしちゃって追加注文をした。自分でも不自然かと思うほどニッコリしながら注文した。すると、さっきの彼女もつられて笑った。「なんじゃ?この陽気な日本人」と思ったのかもしれない。カイピリーニャを笑顔で持ってきてくれた。「オッブリガード!」といいながらまたニコッとすると彼女もニコッとしてくれた。なんだ、無愛想かと思ったら、いいヤツじゃんか。カイピリーニャ・シン・アスーカルを飲みながら思った。「笑顔は伝染するんだ」「これが、微笑み返しか」 こっちがニコニコしていたら、ブスッとしていた彼女もだんだんニッコリになっていく。「なんかヘンな酔っぱらいの日本人だな」と思ったのかもしれないが、笑顔は伝染するんじゃないかという結論に至る。「追加はいかが?」とテーブルに来てくれた彼女に勇気をだして「写真を撮りたい」と言ってみた。すごく照れて真っ赤な顔になりながらOKしてくれた。イェーイ!
もっと自撮りのテクニックをマスターして行けばよかったと後悔した。ブラジルで出会った人ともっと写真を撮れば良かった。(撮ったけどブレブレだったり見切れていたり) みんなが陽気に応えてくれる。そうだ、だってブラジルなんだもの。
リオデジャネイロで1957年設立のFUTEBOLクラブ ヴァスコ・ダ・ガマのフラッグがイパネマ海岸に誇らしげに旗めく
2014年6月29日(日)
今日はリオからレシフェに移動して、あの雨のコートジボワール戦を見たアレーナ・ペルナンブーコスタジアムで日本のC組2位 vs D組1位の試合を見る予定だった。日本が勝ち進む前提で飛行機と宿泊を予約していた。しかし、日本代表はすでにブラジルにはいない・・・。あのレシフェに戻ってコスタリカ(D組1位) vs ギリシア(C組2位)を見に行くか?(予定ではイタリア vs 日本というコンフェデの再戦が理想だった)ブラジル最後の一日に日本が負けた相手の試合を見に行くか?・・・う〜む、それよりRioでのんびりしたいなぁ、もう移動はいいや、という気持ちになっていた。HOTEL REGINA にもう一泊することにした。
HOTEL REGINAの前には黄色とグリーンのフラッグ 昔のブラジル国旗かな
今日はどうしてもビーチに行きたかった。ブラジルからどうしても持って帰りたいものがあったから。それは「ブラジルの砂」だ。高校球児が甲子園の土を持って帰るように、海外での自分の思い出に、その土地の石とか砂とかをよく持って帰る。ニースの海岸の丸い石、ハワイ島の黒い石、サハラ砂漠の砂。そこに行かないと絶対手に入らないもの。実はもうNATALのビーチの砂はもらっていたので、あとはコパカバーナかイパネマ海岸に行ってみたかった。
ビニール袋に入れた砂 NATALはやや赤みがかった砂 IPANEMAは真っ白な砂
リオデジャネイロには4つのクラブチームがある。ジーコのいたフラメンゴ、フルミネンセ、ボタフォゴ、そしてヴァスコ・ダ・ガマ。 どこのチームが贔屓というわけではなかったけれど、アンティークサッカーショップで「ブラジルっぽい」ものが欲しかった。買ったのは、ヴァスコ・ダ・ガマ。黒字に白のタスキ、赤い十字。タスキが南米っぽいなぁというのともう1つ理由があった。それは、クラブの設立が1957年だということ。ユニフォームにも「1957」と入っている。これは買わねば。だってボクの生まれた年なんだから。
アルゼンチンからこのバンで来ている人(だと思う)ここで寝泊まりしながらワールドカップを回っているのだろう
オランダ vs メキシコの決勝トーナメントを店のテレビやビーチのパブリックビューイングで見ようとする人たちで混雑するコパカバーナビーチ。そこで偶然の再会があった。日の丸ハチマキ大作戦の発案者でもあるpecoさん。今回のブラジルツアーに参加する決意をした集会で初めてお会いしたpecoさん。ギリシア戦のNATAL前夜祭でも再会したpecoさん。露店が並ぶ雑踏で日本語が聞こえる。「中村さ〜ん!」 日本の国土の23倍もあるブラジルで、しかもRIO DE JANEIROのコパカバーナという人ごみのなかでの再会。FUTEBALの神様はブラジル最後の日に粋な計らいをしてくださった。FUTEBALバカふたりを引き会わせてくれた国。そう、だってブラジルなんだもの。(ブラジルあと一泊です)
2014年6月28日(土)
今日は、Estádio do Maracanã いよいよマラカナンだ。ホントならここで日本代表が勝ち上がってくるはずだったが日本代表はもういない。しかし決勝トーナメントのコロンビア vs ウルグアイという好カードだ。試合開始は17:00だがその前にブラジル vs チリ戦がある。ホテルのテレビで見るよりも早めにスタジアムに行ってスタジアムの大画面で見れないかなと思って、ホテルを早めにでることにした。地下鉄のカテーテ駅前の道路がガラーンとしている。ほとんどクルマが走っていない。店もシャッターを閉め始めている。そうか、今日は13:00からブラジル戦だからだ。ブラジルでは代表戦がある日は学校が休みになると聞いたことがある。とても正しいと思う。「サッカー好き」が多い国だから、ということじゃなく、「国民全員で自分の国の代表を応援する」という姿勢が正しいと思った。ショッピングセンターのテナントは「お昼過ぎから閉店。試合後にまたオープンします」という店が多かった。 ブラジル戦が始まる
シーンとした街
マラカナン競技場は巨大なスタジアムだ。座席のゲートの位置によって地下鉄降りる駅が違うほど。ひとつの駅に集中しないぶん効率的に考えられてつくられているのだろう。改修工事で収容人数は8万人ほどになったらしいが、あの「マラカナンの悲劇」があった頃は15万人収容できたという。スタジアムに到着。客席裏の通路にモニターテレビがある。その前にすでに集まり始めているコロンビアサポーターたちがブラジル戦を見ている。どうやらブラジルを応援しているみたいだった。 ゲートによって降りる駅が違う 混雑緩和のアイデアかも
ブラジル vs チリ戦1:1の同点。延長PKにまでもつれている。試合後に合流する約束の、昨日会えなかったFCバッカーノの友だち大野くんの席に行ってみることにした。ブラジルのスタジアムはゲートの中に入れば中での移動は自由だった。どの席にも行ける。空いていたらいい席に移動することもできそうだ。スタジアムの大画面でブラジル人たちとPK戦を見る。ここでも見れるなら早くこっちに来れば良かったか。 まだ大野くんは来てなかったので席にメモを貼っておいた
大野の席。広いスタジアムでも座席番号さえあれば確実に会える。
試合後、息子とワールドカップに来ている大野くんの席に降りていく。そこで待ち合わせ。一緒に記念写真を撮る。FCバッカーノで一緒に神宮外苑フットサル場でボールを蹴っているボクと大野くんと小学生の息子凛堂と、ブラジル、リオデジャネイロ、マラカナンにいる、ということが不思議な感覚だった。夢を見ているような感覚。神宮外苑からマラカナンへ
7万人以上の入場者。レベル5まであるスタンドがぐるりと囲むサッカー専用スタジアムはとても見やすかった。すり鉢状の客席はデカイんだけど『一体感』があるスタジアムだと感じた。観客全員がひとつのボールを見つめている、ひとりのプレーヤーを見つめている、そんな雰囲気をもったスタジアムだと思った。そう、全員が同じシーンを見ている感覚。競技場の設計にもサッカーの歴史のノウハウがあるんだろうなと思った。 7万人以上がひとりのプレーを目撃している
試合は2:0でコロンビアの勝利。コロンビアの10番、ハメス・ロドリゲス。相手守備ブロックでの浮き球を胸トラップからの左足ボレー。クロスバーの下を叩いた先制点。今大会のベストゴールといわれたビューティフルゴールを目撃することができた。
背番号10 ハメス・ロドリゲス
ウルグアイは完全アウェイだった
試合中、あっちこっちでウルグアイサポーターがもめていた。警備員にウルグアイ人が連行されていたが、大多数のコロンビアサポーターとブラジル人の中、ウルグアイは少数派で、かわいそうだった。もめた原因はどうやらブラジル人サポーターがウルグアイを挑発したみたい。マラカナンではブラジル人はウルグアイ人に敵対心をもっているからね。そうだ、ここは「マラカナンの悲劇」があった場所。だってブラジルなんだもの。(あとブラジル2泊)
(試合後、大野くんの席で待ち合わせして一緒に帰った。大勢が駅に向かう中、おととい会ったナベさんご夫婦と偶然再会。あの混雑の中でよく会えたもんだ。日本代表の『中村組10』を着ていたから遠くから見つけた、と。10代目中村組からもらったユニフォームのおかげさまだ、ありがとう!)
よく見る写真でしょうが、これは珍しい写真だと思います。キリストの右手の先を見てください。落雷で欠けた指先を修理する人。右肩のあたりのハッチから出てきて歩いて指先まで。このキリスト像の大きさがわかっていただけたでしょうか。
2014年6月27日(金)
さあ、今日は楽しみにしていたコルコバードの丘のキリスト像を見に行く日。リオデジャネイロ最大の、ブラジルの代名詞でもある観光地。当然危険もいっぱいだろうとビビっていた。だから、できれば1人では行きたくなかった。facebookでその悩みをつぶやくと、同じ境遇の人がみつかったのです。1人で行動していて、その日リオに滞在している人たち。荒木さんとMIYAさん。もちろん面識はありません。facebookメッセージだけで情報交換して、待ち合わせをして、その日一日一緒に行動したのです。ありがたかったなぁ。ソーシャルメディアのおかげです。
コルコバードの丘に登る乗り合いバスのターミナルが、ボクが宿泊しているHOTEL REGINAのあるCATETE駅のとなりの駅近くにあるらしい。ということで、荒木さんとMIYAさんがHOTEL REGINAに来てくれることになりました。ホテルのロビーで待ち合わせ。初めまして、よろしくです。今日のコルコバード運命共同隊です。
予約した乗り合いバスが登って行く。かなりの急坂。丘じゃなくて山だ。(調べてみたら標高710m)頂上に近づく。ちらっとキリストさんの後ろ姿が見えた。デカッ。あまり下調べをせずにやってきたもんだから、その大きさにビックリ。こんなにデカイとは知らなんだ。逆に調べないで来たから単純に感動できた。『1931年のブラジル独立100周年を記念して、1922年から1931年にかけて建設された。高さ39.6メートル、左右30メートルあり、635トンの重量がある』なんて知らずに行ったのがよかった。しかもパノラマ360度。もう興奮して写真を撮りまくったのだが、帰って見てみたら全然いい写真がなかった。ま、そのときの「興奮」は写っていますが。
このキリスト像の写真は有名だからみんな知っているでしょうが、この台座の中に教会があることは知らないでしょ。裏に入り口があってそこが小さな教会になっているんです。ま、ただそれだけのことなんですが。 教会内は撮影禁止なのでササッと撮ったら入り口上部しか写ってなかった
どうしても撮りたかった写真。それがコルコバードの丘からマラカナンスタジアムを見下ろす。ちょっとズームでボケてますが、あれが明日行くマラカナン。
海岸近くの歩道橋。これもアホな観光写真か、と思いきや。ボクの後ろ、山の頂上を見てください。あれがコルコバードの丘です。あの高さのキリストの右手を修理していた人がいたんですから。
さて次は、ポン・ヂ・アスーカル(Pão de Açúcar)に登りましょう。リオのもうひとつの顔ともいえる潜水艦のような山。『大西洋に繋がるグアナバラ湾に突き出す半島の上にある奇岩で、ブラジル・リオデジャネイロの南部に位置する。海抜は396メートルであり、ポン・ヂ・アスーカルの名前の由来は、その形が砂糖パンに似ているところから来ている』そうだ。「ポン」はパン(ポン・テ・ケージョのポン)で「アスーカル」は砂糖。「カイピリーニャ・シン・アスーカル」でブラジルのカクテル、カイピリーニャの砂糖抜き、となります)
ここに登るのは夕陽の時間がいいですよ、というわけでゆっくりシュハスコのランチを食べ、ショッピングセンターでロケハン(買い物の下見)をし、15時半くらいにロープウェイ乗り場へ。ところが・・・。何か事件か事故でもあったのか?と思うくらいの行列。ロープウェイ乗り場から道路を横切って公園のほうまで。長蛇の列というより大蛇の列。いったい何時間かかるか想像もつかずにとりあえず列の最後尾へ。この日はブラジルW杯が始まって初めて試合のない一日。つまり、全員観光する日だから、しょうがないか。また別の日に、というわけにもいかないので覚悟を決めて並ぶことにする。
結局並んでからロープウェイに乗り込むまで約3時間。よく耐えたもんだ。ま、他にやることもなかったし。で、やっとこさロープウェイに乗り込んで動き始めたら、「え?もう着いたの?」という距離。と思ったら、そこは中継地点でそこで降りて、また並んで、山頂行きの別のロープウェイに乗るんだとさ。もう夕暮れの景色を楽しむゆとりは消滅し、むしろ「帰りもまた並ぶわけだよね」と下山する時間が心配になって来た。その日はFCバッカーノの友人の大野くんと晩ご飯でも食べようか、と言っていた。しかし、このままだと何時に下に降りられるかわからない・・・。
日没直前のリオの街を一瞬眺めることができたので、よかったとしよう。でも気持ち的には「軟禁」されたような気持ちだった。
ポン・ヂ・アスーカルからコルコバードを望む。あのキリスト像からここまでをロープウェイで結べばいいのに(できるかっ!)
やっと下の世界に降りて来たのがもう20時近く。タクシーを拾おうにも奪い合い。なかなか乗れない。あたりもすっかり暗くなってきて身の危険を感じ始めた、そのとき。MIYAさんが「あのバスに乗りましょう!Botafogo (ボタフォゴ)って書いてあります!」ボタフォゴは地下鉄駅の名前。リオにサッカーチームもある名前なので知っていた名前。それに乗れば駅までたぶん行けるだろう。暗くなってタクシー探してウロウロしているより安全だ。ボクたちは走ってそのバスに飛び乗った。このときほど「仲間」が心強く思えたことはない。一人だとこうはいかなかっただろう。
地下鉄で荒木さんとMIYAさんとはお別れ。それぞれのホテルにもどる。ありがとうございました。一緒に行動させてもらって、いい思い出ができました。それにしても長い一日だった。ブラジルで一番たくさん写真を撮った一日となった。
地下鉄CATETE駅で降りて近くのスーパーマーケットで食料を買い込んでホテルに戻る。21時過ぎの街は人通りが少ない。ホテルまでそう遠くはないけれど、街灯も少ない。楽しい一日だったけど、ひとりになってもう一度緊張感を高める。セントロ地区ほどは治安は悪くはないらしいが気は抜けない。だってブラジルなんだもの。(ブラジルあと3泊)
2014年6月26日(木)
日本を出発して16日目、今日からブラジルでひとり。今まで一緒だったサポ村ツアーの人たちと別れて単独行動になる。やや緊張。ある意味、ほんとうのブラジルが始まるような気もする。クイアバからサンパウロ経由リオデジャネイロ。クイアバ収容所を出所できるのはうれしいが、サポ村で知り合った人たちと別れるのは少し淋しい。お世話になった人たちと空港のバゲッジクレームでお別れだ。
ブラジルに1人といっても現地で友だちと待ち合わせはしているんですけどね。ま、会えれば、の話ですが。単独行動の時間が多くなるので、気を引き締めていかねば。
今日の目標は①無事にホテルREGINAにチェックインすること②なんとかナベさん夫婦と再会すること、この2つ。乗り継ぎのサンパウロ空港では、ブラジル16日目だが「警戒態勢マックス」を再開。慣れて来たところで油断したり、空港は置き引き等がとても多い場所だから。ブラジルから帰国する時のサンパウロ空港でやられた日本人がいる、という噂も聞いていたから。自分の方が怪しい人間として行動することにする。トイレの洗面所で自分の姿を写真に撮ったが、そうとう不気味なヤツ。こんなヤツがキョロキョロしてたら話しかけてこないだろう。これでいいのだ。
クイアバ〜サンパウロ〜リオは国内線のAZUL航空だった。前と後ろの2カ所に出入り口がある、2席2席の小さな飛行機(でも席はGOL航空より全然ゆったり)CAさんがとても美しくて、思わず写真を撮らせてもらった。憧れのリオデジャネイロが近づいて来た。飛行機の窓からリオの山々が見える。コルコバードの丘のキリスト像が見えたりしないだろうか。あ、あれはポンジアスカール(潜水艦のようなカタチをした山)じゃないか?ということは、あの辺がコルコバードの丘?リオには空港が二つある。国際空港のガレオン空港と国内線のサントス・ドゥモン空港。このAZULが降りるサントス・ドゥモンは市内に近いのでリオの街が見下ろせるはずだ。滑走路に着陸して窓から外をみると近くに高い山が見える。もしかして? ぼんやりだが山頂に十字架が見える。あれか?あれだ!そうだ、とうとうリオデジャネイロだ。
興奮は押さえなくてはいけない。バゲッジクレームで荷物を受け取ってタクシーに乗ってホテルへ行ってチェックインして、というただそれだけのことなんだけど、緊張する。だって、ブラジルなんだもの。
スーツケースと無事再会し(当たり前なんだけど)、正式なタクシー乗り場に行き、用意しておいたホテルの住所を書いたメモを運転手に渡し、タクシーに乗り込む。緊張はつづく。誰かに着けられていないか後ろを確認する。刑事ドラマじゃないんだから、とお笑いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、聞いた話によると、空港からタクシーに乗って、市内に向かう時、交差点や渋滞でタクシーが止まるとガラスを割られてバッグを盗られたという話をきいたことがあるから。空港で観光客に目を付けてバイクで後を着け、タクシーを襲う。着けられていることがわかると運転手も赤信号で止まらないこともあると聞いた。ま、そんなことは滅多にないのだろうが、ボクの警戒態勢はマックスだった。とても疲れますわ。
フラメンゴ地区カテーテにあるHOTEL REGINA。FIFAのOFFICIAL ACCOMMODATIONホテル。写真で見た看板のホテルに到着。507号室、無事チェックインできた。安堵。キレイな部屋、エアコン付き、シャワーは・・・・お湯がで〜る〜! 完璧だ!ブラジルの最後の4泊をするホテル。FIFAのサイトから数ヶ月前に予約して、ちょっと割高なんだけど、エアコンがあってお湯が出る、ああ、ただそれだけで、それだけで。お湯のシャワーを浴びて、思わず声が出た。「ありがとうございます!」
WiFiも快適につながる。日本で借りて来たケータイが使い物にならないので、facebookメッセージでナベさんとやり取りをする。今日の晩ご飯をナベさんご夫婦と。待ち合わせて食事をする。ただそれだけのことが大仕事なのだ。
当時のfacebookメッセージのやり取りが残っていた。
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中村 禎2014/06/27 5:57PM
26日、今夜合流できるとうれしいです。今ホテルに入りました。あたりが暗くなってどうしましょうw
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渡辺 伸一朗2014/06/27 6:42PM
僕たちも今ホテルに入りました。すごい渋滞です。もう少ししてからタクシーに乗った方が良さそうですね。お互いの位置関係を調べてみます。
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渡辺 伸一朗2014/06/27 7:05PM
地下鉄のカリオカ駅までは来れそうですか?
そちらから進行方向前方のマラカナン方面改札に8時とか。
そこから一緒にタクシーで店へ。
それか、rua do ouvidor 41 centroの
toca do baiacu
へ直接タクシーか。どうでしょう?
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中村 禎2014/06/27 7:12PM
Toca do baiacu というのが店の名前ですか?店に直接タクシーで行くほうがいいかも。
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渡辺 伸一朗2014/06/27 7:17PM
はいそれが店の名前です。ブラジル料理。直接タクシーにしましょうか。8時までに着くように向かってみます。
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中村 禎2014/06/27 7:22PM
20 時目指して行って見ます!
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渡辺 伸一朗2014/06/27 7:24PM
了解しました!
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渡辺 伸一朗2014/06/27 8:03PM
道路激混みしてます。かなり遅刻します、すみません。
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タクシーでその住所に向かうも、その路地が一方通行らしくて、「ここで降りて歩け」みたいなことを言われ渋々降りる。しかし、降ろされた場所からはまだ遠く、いろんなお店の人に住所を見せて「あっちだ」「もっとあっちだ」と言われ、歩くと、さっきタクシーで通り過ぎた交差点まで来た。なんだ、さっきここで降ろせばいいじゃんか。まったく!と思いながら、そのレストランをさがす。このレストランの名前と住所を書いた紙がなければ何もできない自分。言葉はまったく通じない。逆に言うとポルトガル語しゃべれなくても文字で伝わるってことか。想像していたレストランとは違って小さな食堂で、道路にテーブルを出して食べている。周りの店もみんなこんなスタイルだった。大勢の人で賑わっている。まだナベさんたちは到着してないみたいで、BRAHMAだけ頼んで飲んで待つことにする。このまま会えなかったら・・・ということはひとまず考えないことにする。リオのセントロに近い場所。東京でいうと丸の内のオフィス街の裏道の路地。歩行者天国になった狭い路地にテーブルを出してそこで食事をする人気の場所、みたいな雰囲気だった。ビルの外壁もどことなくヨーロッパなカンジ。そうか、ポルトガルなんだろうな、と思った。(ただし、東京の丸の内と違うところは、セントロ地区はリオでも非常に治安が悪い場所らしい、ということです)
ナベさんご夫婦と会えた。話すのに夢中であまり写真は撮らなかった。不思議な気持ちになった。東京で一緒に仕事をしたナベさんと初対面の奥さまと日本の裏側のリオデジャネイロの路地裏で食事をしている。知っている人に会えてホッとした反面、どこか緊張からは解放されていない部分もある。だってブラジルなんだもの。(まだつづく)
(あと4泊です。最後まで書きます。だって書き始めたんだもの)